新宿末廣亭 林家つる子真打披露興行「しじみ売り」

新宿末廣亭の林家つる子真打披露興行初日に行きました。3月21日から10日間、林家つる子師匠と三遊亭わん丈師匠の真打披露興行が鈴本演芸場でおこなわれたが、全日前売完売札止めの大盛況だったようだ。

二人の10日間の演目は、つる子①紺屋高尾②反対俥③しじみ売り④お菊の皿⑤中村仲蔵⑥スライダー課長⑦芝浜(おかみさん目線)⑧JOMO⑨子別れ(お徳編)⑩片棒、わん丈①寿限無の夜~星野屋②茶金③もふもふ(喪服キャバクラ)④明烏⑤県民性⑥五貫裁き⑦毛氈芝居⑧ねずみ⑨魚の狂句⑩河童鍋。さて、末廣亭ではどんなパフォーマンスを見せてくれるのか。楽しみである。

「やかん」柳家小じか/「動物園」金原亭杏寿/漫才 ニックス/「黄金の大黒」柳家小せん/「三人旅」柳家三三/奇術 ダーク広和/「財前五郎」五明楼玉の輔/「三平の思い出」林家正蔵/ものまね 江戸家猫八/「雛鍔」柳亭市馬/中入り/口上/漫才 すず風にゃん子・金魚/「紙入れ」三遊亭わん丈/「締め込み」柳家さん喬/太神楽 鏡味仙志郎・仙成/「しじみ売り」林家つる子

口上の並びは下手から、三三、玉の輔、さん喬、つる子、正蔵、市馬。司会は三三師匠、落語協会百周年の節目の年に期待の抜擢真打誕生と。応援せずにいられない一生懸命さ、そして華がある、そして押し付けがましいところもつる子の長所と讃えた。

玉の輔師匠、群馬県の期待の星、センバツ高校野球では健大高崎が優勝と勢いがあると。つる子の名前の由来は上毛かるたの「つる舞う形の群馬県」から来ているわけではない…師匠正蔵が「お肌がツルツルしていたから」。それが13年半経った今では…今もツルツルのつる子です!鈴本のつる子の楽日の口上では涙だけでなく、鼻水も出て、その鼻水から虹が見えました!美しいつる子絶賛だった。

さん喬師匠、女性真打が誕生し高座が華やかになると。「落語は男のモノ」という考え方は今は昔、近年は優秀な女性噺家がどんどん活躍し、喜ばしい。つる子が中央大学の落研で中央亭可愛(ちゅうおうてい・かわいい)という名前で活動しており、そこの会長から「噺家になりたい女性がいる」と私に相談があった。「どこの弟子になりたいか」と訊いたところ、「正蔵師匠がいい」と言われてしまいました。器量以上に芸のある噺家になって、鶴のように羽ばたくことは間違いないと太鼓判を押した。

市馬師匠、鈴本で10日間、「これでもか!」というくらいに幅広く手を変え品を変えお客様を楽しませてきたと。群馬県の三偉人は国定忠治に中曾根康弘、そして林家つる子でしょう!と持ち上げた。

正蔵師匠。お父様は東北大学で鉱物の研究をされている方、お母様は太陽のように明るい方。名門の県立高崎女子高校を卒業し、中央大学まで進んだ手塩にかけた一人娘を「私が預かってもいいのですか」と訊くと、お母様は涙ぐみながら、「私は漫画家になりたかったが、夢途中で終わってしまった。この娘には自分のやりたいことをやってもらいたい。応援します」と答えてくれたという。何よりの孝行娘ではなかろうか。

つる子師匠の「しじみ売り」。去年4月1日に真打内定の報せが来たとき、師匠正蔵は「嬉しい春をありがとう」と言ってくれたそう。その台詞が出てくる落語を演りますと言って、江戸落語の鼠小僧次郎吉版とは違う型を演じた。ある方に教えていただいたのだが、上方落語の型だそうで、師匠正蔵もこの型で演るそうだ。「貧乏暇なし」という慣用句があるが、これは江戸かるたに由来するもので、この後に「しじみ売り」と続くのだと切り出す冒頭が素敵だ。

冬の寒さに晒され、手や足が真っ赤になりながら、荷商いするしじみ売りはさぞ辛い商売だったのだろう。それを十歳の子どもがするというのだから、余程事情があるのだろう。だから留は下駄泥棒と間違えた。名前は長吉。人情味溢れる口入れ稼業の稲葉屋清五郎が哀れに思い、留が泥棒扱いしたお詫びにお椀一杯8文の蜆を笊ごとそっくり、二朱で買ってやると言う。そして、そのまま前の川に放して来いという。「きょうはおふくろの命日だ。放生会だ」。

腹すかしの長吉に助六寿司とお茶を出してやる。まずは熱いお茶をすすって体を温める長吉の丁寧な仕草に冬の厳しい寒さを感じた。「寒い日は熱いのをキューと引っ掛けるのが堪らない」。まるで酒を飲むかのような口ぶりに長吉の幼いながらも世間をしっかりと歩いている様子が窺える。そして、助六寿司は竹の皮に包んで持ち帰るという。家で寝たきりの盲目の母親に食べさせたいという気持ちに感じ入る。

清五郎は二朱に加えて、小判3枚を「薬代だ」と渡そうとするが、長吉は断る。「小判は遠慮します。小判は嫌だ。小判が憎いんだ、恨みがあるんだ」。清五郎は頼んで事情を訊く。

姉は深川で芸者をしていて、田原町の下駄問屋の若旦那といい仲になった。若旦那は勘当され、一緒に小間物屋を開いた。だけど、借金がかさみ、吉原の女郎になると姉は言い出した。若旦那はそれは済まない、死んでお詫びをすると言うと、ならば「私も一緒に死ぬ」と、吾妻橋で身投げしようとした。去年の二の酉だった。そこをある旦那が見つけて、引きずり下ろした。「俺に任せろ。命を粗末にするな」。そう言って、20両を恵んでくれた。名前は教えてくれなかった。

20両で借金を返し、小間物屋を再開したが、良いことは続かない。近所の質屋に泥棒が入った。調べが入った。「この20両は?」と訊かれ、若旦那は「見ず知らずの人に貰った」の一点張り。命を助けてくれた旦那に迷惑をかけちゃいけないと口を割らなかった。母親は泣きすぎて、盲目になった。

清五郎が言う。「この金は?と訊かれたら、稲葉屋清五郎に貰ったと言えばいい。また困ったら、うちに来な」。長吉は合点して、小判を受け取り、礼を言って、帰っていった。清五郎が後ろから言う。「冬っていうのは寒くて辛い。嫌になっちまうほど厳しい。だが、そう長くは続かない。必ず春がやって来る。それを楽しみにしなよ。おっかさん、大事にな」。

「その旦那はなぜ名前を名乗らなかったんでしょう?」と留が訊く。「その旦那は俺なんだよ。これから番所に行く。良いことをした、人の命を助けたと天狗になっていた鼻をへし折られたよ」。「これじゃあ、助けた甲斐がない」「貝がないから、蜆を買った」。

笑いを沢山にまぶしながら、根幹である人情噺の芯はしっかりと外さずに、最後は心にグッとくる噺に仕上げている。つる子師匠の話芸の力をまざまざと見せられた素晴らしい高座だった。