田辺いちかの会「生か死か」

田辺いちかの会に行きました。「細川の茶碗屋敷」「鉄砲のお熊」「生か死か」の三席。前講は神田ようかんさんで「違袖の音吉」だった。

「細川の茶碗屋敷」は25日に神田松麻呂さんで聴いたばかりだが、いちかさんの型は落語「井戸の茶碗」に近い演出が幾つもあった。元々は講談ネタが落語になったのだが、いちかさんの型は一旦落語になったものを取り入れて作家先生が創ったものだそうで、それで合点がいった。

登場人物が川村惣左衛門、田中宇兵衛というのは講談の型を踏襲している。惣左衛門が屑屋に売った仏像の儲けを折半するという件、仏像から50両が出てきたので宇兵衛が惣左衛門に返金するときに家主が折衷案として「惣左衛門20、宇兵衛20,屑屋10」を提案する件、惣左衛門が松平安芸守に帰参が叶った際に娘おうめを宇兵衛の嫁にと願い出る件などは原型の講談にはなく、落語から取り入れた創作である。なかなかに興味深かった。

「鉄砲のお熊」は16日になかの芸能小劇場でいちかさんがネタ卸したのを聴いたが、そのときより持ち時間に余裕があったからか、実に丁寧に演じられていて、荒唐無稽な白鳥作品が丹精に磨いて構築しているのがよく伝わってきた。特におみつ後に鉄砲のお熊と時次郎後に中村夢之丞の恋物語部分の心理描写、胸に迫るものがあった。

「生か死か」は久しぶりに聴いた。いちかさんにとっては芸の上では曽祖父に当たる十二代目田辺南鶴先生の作品で、終戦直後の混乱期の悲哀を描いた秀作だ。

東京大空襲で妻を亡くし、特攻隊員として息子を亡くしたゴム屋の社長・金兵衛は多額の借金を抱えてしまい、死を覚悟するが…。息子そっくりのシベリアの辰こと山瀬辰造との奇妙な井の頭公園で出会い、新宿三丁目の中村屋商店の大事な赤革の手提げ鞄を拾ったこと、歌舞伎町のキャバレーもみじの地下室の賭場で「この世の賭け納め」がとんだ大儲けをしたこと。これらが金兵衛の運命を大きく変える…。

とりわけ、特攻隊の生き残りだという辰造に対する湧き上がる情愛が印象的だ。「なぜ真面目に働かないんだ?」「帰ってきたら、親兄弟は皆戦争で死んだ。居場所がない。俺は厄介者なんだ」「何が正しいのか。何が間違っていたのか。今は判らない世の中だ。死んでしまった者の分まで立ち上がって生きて行こうという気にはならないのか?」。

金兵衛は一から事業を起こす決意をした。そして、辰造に「一緒に働かないか?人生をやり直してみないか?」と誘う。そして、「俺の倅になってくれないか」。辰造が金兵衛の熱意にほだされ、案内された仏壇に線香を手向けようとすると、そこには同じ特攻隊員だった戦友の遺影が。金兵衛の息子の孝太郎は辰造と寝食を共にした戦友だったのだ。辰造は息子の生き替りなのか。運命の悪戯が泣かせる。

辰造は「3年待ってくれ」と言う。警察に自首して、罪を全て洗い清めてから金兵衛の許を再び訪ねるという。日本晴れのような心地だというのが素敵だ。金兵衛は「お父っつぁん!と呼んでくれ」と頼む。「お父っつぁん!行ってきます!」「倅、行って来い!」。

終戦直後のある新聞記事を基に創作した講談だそうだが、太平洋戦争に翻弄された人々がこれからも力強く生きて行こうと心に決める姿に胸が熱くなる。