林家あんこ「北斎の娘」を聴く
柴又門前寄席 林家あんこ「北斎の娘」を聴く会に行きました。あんこさんが創作した葛飾北斎とその娘、応為の物語。去年、完成発表会があったときに是非行きたいと思ったが、都合がつかなくて残念に思っていたのだが、このほど葛飾柴又の亀屋本舗さんの二階で定期的に開かれている地域寄席で、「北斎の娘」通し口演がおこなわれると知って、万難を排して伺った。開口一番は三遊亭けろよんさんで「真田小僧」だった。
葛飾北斎の娘、お栄は10代の頃から父親の影響で春画を描くなど、才能を発揮し、葛飾応為と名乗って手伝っていた。北斎をもってして「美人画では右に出る者がいない」と言わしめたくらいだったという。北斎は応為のことを“あご”と呼んでいた。顎が長い顔をしているからだそうだ。
そんな応為に縁談が来た。相手は画家の南沢唐明。北斎は「所帯を持つと絵師としての腕があがる」と言って、応為もそれを受けた。だが、夫婦生活は3年ももたなかった。夫の唐明の絵を下手だと思ったからである。「絵と向き合っていない」「絵が死んでいる」と言って、応為の方から離縁した。そして、応為は出戻り、「これで絵に専念できる」と思ったという。
ある日、10歳の女の子が訪ねてきた。北斎の富嶽三十六景を見て感動し、自分も絵を描くのが好きだから、「弟子にしてもらいたい」と言う。応為が「まだ10歳、しかも女」と門前払いをしようとすると、北斎は弟子入りを許す。しかも、応為の弟子になれと言った。この女の子はお駒と言った。通い弟子として育てることにした。
版元が美人画を引き取りに来た。「見事だ」と感心している。そして、北斎の落款を押してもらう。本当はほとんど応為が描いたものであるのに。だが、北斎の落款がないと「売れない」ので、「買えない」という。悔しい思いの応為である。応為という筆名は北斎が娘を呼ぶときに「おーい」と言うことから名付けられた。洒落好きな北斎らしい。いつか応為という落款で売れるように腕を磨こう。北斎の絵の青が高く評価されているので、自分は紅色、赤で勝負しようと心に決めた。
弟子のお駒が辞めた。父親が上方で商売するので、引っ越さなければいけないという理由だった。そんなある日、応為に注文が来た。代筆ではなくて、「応為先生にお願いしたい」という依頼だ。武者絵。喜んで引き受けた。これで応為の落款が押せる!これが後に関羽割臂図と呼ばれる作品となる。関羽の力強さを表現するのに、腕を裂くと血が出る、その赤で勝負したのだ。誰よりも喜んでくれるはずの父の北斎が中気で倒れ、看病を続けながらの創作となった。
幕府が春画を厳しく取り締まるようになる。北斎親子の生活も厳しくなり、借金を抱えるようになってしまう。信州の小布施にいる元弟子の高井鴻山が手紙をくれて「面倒をみたい」と言っているという。北斎と応為は七日を掛けて小布施に到着した。
鴻山が言うには、この地域に疫病が流行って困っている、ついては魔除けの絵を岩松院という寺に描いてほしいとのこと。北斎は鳳凰を描こうと思い付き、ついてはこの寺の20畳ほどある天井に描こうと応為が提案、「睨みをきかせて貰い、疫病を退散させよう」というわけだ。
90歳近い北斎は体力的に弱っており、応為が主に筆を執った。すると、鴻山は「合作にしませんか?北斎先生と応為先生の二つの落款を押して」と進言した。だが、応為はそれを断る。「あなたはもっと世に出るべき」と鴻山が言うと、応為はこう返した。「負けたくないと、自分の名前に拘ったときもあった。だが、わかった。世間が認めないのではなく、北斎が認めないのだと。北斎の筆使い、あの仕事に向かう迫力、とても敵わない。改めて感じました。ですから、落款は北斎のみでお願いします」。
鴻山は「北斎先生は美人画はお栄に敵わないとおっしゃっています。この紅はとても深みがある。角度によって見え方が違う。素晴らしい。応為という名をもっと世に出したいのです」。だが、応為は「どうだ、すごいだろうと威張るのは野暮というものです。どこかで誰かが、これは応為の絵と気づいてくれれば、それでいいのです」。
北斎と応為は江戸へ戻る。北斎は最後の仕事となる「富士越龍図」に取り掛かっていた。北斎は応為を呼び、辞世の句を詠んだ。ひと魂でゆく気散じや夏の原。そして、5日後に息を引き取った。応為は龍図を仕上げ、納入した。そこに北斎の死を知った版元が訪ねて来た。「美人画をお願いします…北斎先生の絶筆ということでお願いしたい」。応為は「どういうことか」と尋ねると、「描いて頂けると助かります」。応為は怒った。「ふざけないでください。父の悔やみかと思ったら、自分の商売の心配じゃないですか。もう、二度と来ないでください!」。
ある日、「うちにも絵を描く娘がいるんだよ」と遊郭の女将が応為に言って、手踊りの絵を見せた。菊橋花魁の手だという。「葛飾応為が是非、会いたい」と禿を通じて頼むと、「姐さんは会いたくないそうです」。それでも粘っていると、襖が開き、真っ赤な長襦袢の花魁が現れた。「お駒!」、そう叫ぶと「人違いです」。「この手踊り図にそっくり。どうしてこんなところに?」「人違いです」。
応為は女将に訊くと、菊橋花魁は上方から来た娘で、お駒という名前だったという。絵師のところにいたこともあったらしいと教えてくれた。応為は諦めきれずに数日後に再び会いに行く。戸は開けないで話をした。「お栄だよ。これだけは伝えたい。親父殿が死んだ」「先生が?」「龍の絵を描いているときに、先に自分が天に昇ってしまったんだ。手踊り図を見て、すぐ判った。こんなところにいるなんて思いもしなかった」。すると、菊橋花魁は「ここも悪くないです。もうすぐ身請けされるのです。日本橋の呉服屋の若旦那に」「そうかい。今度は明るいところで会おうね。約束だよ」。
だが、応為が弟子に訊くと「菊橋花魁が身請けなんて聞いたこともない」。もう一度確かめに、応為が遊郭を訪ねると、女将は「菊橋は死んだよ。客から貰った悪い病で三月前に死んだよ。顔色悪かったろう」。だから、戸を開けてもらえなかったのか。禿に墓に案内してもらう。「こんな小さなところに眠っているのか。知らなかった。思いもしなかった」。そして、禿によって身請けの話は嘘だということも判る。「先生に心配かけたくないと」。
応為は「あんたのことを絵に描くよ!光があるから、陰がある。好きな男だっていたろう。子どもだって欲しかったろう」。そして描いた絵が、吉原格子先之図。隠し落款と言って、提灯の絵のところに「お・え・い」と書かれている。
応為は小布施の鴻山を訪ねる。「鳳凰図をもう一度、見たい」「この絵を見に沢山の方が来ます。助けを求めてくる人もいる。勇気を貰ったと言ってくれる人もいる」。すると、応為は「私もそうかもしれない。絵を描くことで一歩前へ進めている。絵を描くことで救われることもある」。応為は鴻山に“北斎が使っていた筆”を渡す。鴻山が「こんな大事なものは受け取れない」と言うと、「では、預かってください。私は行くところがあるので」。そのまま、応為は消息を絶ってしまったという…。
ひと魂でゆく気散じや夏の原。応為のその後のことは謎に包まれているそうだ。葛飾北斎という稀代の名人絵師の娘として、自分もそれに劣らぬ恵まれた才能を持っていながら、その名前が大きく世に出ることはなかった。だが、葛飾応為という存在の大きさを今、こうして林家あんこさんの創作によって触れることが出来て、とても幸せな気分になれた。ありがとうございます。