「百年目」リレー 春風亭一之輔~春風亭一朝、そして新作落語せめ達磨

上野鈴本演芸場三月上席八日目昼の部に行きました。今席は昼夜ともに落語協会百年を記念し、二人の真打が日替わりで「百年目」をリレーする特別興行。一昨日の白酒・雲助両師匠の師弟リレーに続いて、きょうも昼席で春風亭一之輔師匠から春風亭一朝師匠へ繋ぐ「百年目」リレーを楽しんだ。

「転失気」三遊亭志う歌/江戸曲独楽 三増紋之助/「つる」古今亭文菊/「楽屋外伝」鈴々舎馬風/漫才 ロケット団/「権助芝居」橘家圓太郎/「代脈」春風亭与いち/「新版三十石」五街道雲助/紙切り 林家二楽/「新聞記事」林家正蔵/中入り/口上 林家正蔵/浮世節 立花家橘之助/「百年目」(上)春風亭一之輔/「百年目」(下)春風亭一朝

一之輔師匠の(上)。中間管理職の大番頭である治兵衛は人間味溢れる人物だ。幇間の一八の言葉を借りれば「帳場では閻魔様みたいに怖い顔をしている。いつも遊んでいるときの粋な方とはとても思えない」。番頭という“立場”というものを弁えて、切り替えをできるところが、実に優秀なのだと思う。

芸者衆が待っている屋形船に乗っても、「土手から誰か知っている人に見られたら困る」と警戒し、折角の花見なのに窓をピタリと閉めさせて抜かりがない。だけれども、酒が進み、気分が良くなると、その用心深さが緩んだ。「土手にあがりましょうよ」と芸者に誘われ、一八にこうすれば誰だか分からないと扇子を顔に括りつけられ、船を降りた。そして、鬼ごっこに興じる番頭の無邪気さは普段から難しい顔をしていなければいけない役目の反動なのだろう。

「一八!どこへ行った!…捕まえたぞ!」。それが生憎、玄白さんと花見に出掛けていた旦那だった不運。番頭は我に返り、「長らくご無沙汰しております。ご壮健で何よりです」と訳の分からない言葉を口走ってしまう混乱だ。旦那は優しく「怪我をしないように気を付けてくださいよ」とニコニコしながら去って行くが、番頭は気もそぞろだ。「だから船の中にいると言ったんだ…土手に上がるのも嫌だと言ったのに…」。今さら後悔しても仕方がない。「具合が悪い」と言って、店に戻ることにした。一之輔師匠はここまで。

一朝師匠の(下)。番頭が店に戻り、「風邪をひいたようだ。二階で休みます」と断って、布団をかぶって悶々とするところの心情を丹念に描くのが良い。えらいことになっちゃった。あんなところでバッタリ会うとは。あんなところを見られるなんて。どういう風に叱られるか。「お前という奴は!世話になっておきながら!」と怒鳴られるか。「色々と働いてもらいましたが、もう用はありません。出て行っておくれ」とそっと暇を出されるか。夜もよく眠れず、悪い夢を見ては起きるということを繰り返す。

翌朝。旦那が定吉に「番頭さんを呼んでおくれ」と頼むと、ぼんやりしていた番頭は「いよいよ、おいでなすった」と観念し、定吉に「今行くと、そう言っておけ!」と声を荒げてしまう。それをそのまま定吉が旦那に伝えると、旦那は定吉を叱る。「可愛がると増長して。米の飯がてっぺんにのぼったとはお前のことだ!」。この台詞が番頭に言っているように聞こえ、震えあがってしまう。番頭が旦那の部屋に入ると、旦那は「あのような小僧を大勢使って、番頭さんもさぞかし骨が折れるだろう」と労うところから、旦那が番頭を信頼していることが伝わってくる。

そして、「旦那」という名前の由来。南縁草は栴檀の肥やしとなり、栴檀は南縁草に露を下ろす。世の中、自分独りでは事は運ばない。持ちつ持たれつということ。そして、「近頃、店の中の栴檀は勢いがあるが、南縁草が萎れているように思う」と言って、「どうか南縁草を枯らさずに、露を下ろして、面倒を見てください。お願いします」と旦那は番頭に頭を下げるのは流石である。「行き届きませんで」と番頭が恐縮すると、旦那は「いや、寧ろ行き届きすぎるのです。重箱の隅を楊枝でつついているように。もっと、ゆとりがほしい。無駄がない方が良いと思うかもしれないが、無駄を省くと良くなるか?というと、これが違う。無駄が無駄でないことがある」と諭す。実に了見の出来た旦那だ。

「昨日は大層、面白そうだったね」と言う旦那に、「あれはお客様のお伴でして」と番頭が言うと、「お客のお伴か、自分の遊びか、それは見て判ります。昨日はお客のお伴だったのでしょう」と、あえて番頭を責めない寛大さがこの旦那にはある。そして、「お付き合いは構いません。その代わり、ケチな遊びはいけません。負けないで遊んでください。向こうが200円使うようなら、こちらは500円。向こうが500円使うようなら、こちらは1000円という風に。これで潰す身代ならハナから要りません」。こういう旦那に尽くしたいと思う。

そして、「昨夜は眠れなかった」、これまで番頭さん任せで一度も見たことのない帳面を検めさせてもらったと明かす。「ビックリした。これっぱかりの穴もない。嬉し涙が出ました。お前さんは自分で稼いだ金で遊んでいる。良い家来を持った」。“沈香も焚かず屁もひらず”という表現を採っていたが、ものすごい金を使って、ものすごい儲けをする商いをするわけではないが、コツコツと生真面目に店を切り盛りしている番頭を讃えたのがとても印象的だった。

こういう旦那のような上司に恵まれていたら、僕の人生もちょっとは変わっていたのかもしれない。現代の会社組織における上司と部下の関係に通じるものを感じた。

夜は中野に移動して、「新作落語 せめ達磨」に行きました。レギュラーメンバーのうち、古今亭志ん五師匠、古今亭駒治師匠、弁財亭和泉師匠の3人が新作ネタ卸しをした。開口一番は落語芸術協会の前座の春風亭昇ちくさんだった。

春風亭昇ちく「おおらか」

もっと“おおらか”に暮らしたいという妻の希望で、田舎暮らしを始めた夫婦だが…。「大自然に囲まれたい」「何もないことが逆に素晴らしい」と声高に叫んでいた妻だったが、実際に田舎で暮らすと不満が続出。「コンビニもないなんて耐えられない」「虫がいっぱいいて、殺虫剤で殺したくなる」「ミラーボールの廻るカラオケでハニートーストを食べたい」等々。そこに「月刊おおらか暮らし」の編集部が取材にやって来て、妻は「何もないこと=全てがある、だから退屈しない」「交通が不便だが、かえって大地を踏みしめる豊かさがある」「虫は大自然に生きる同じ生き物同士」と強がりを言う…。皮肉のユーモアセンスを感じた。

古今亭駒治「親子鉄」

娘が運転士になったので、父親は車掌の資格を取って、同じオノダ鉄道の乗務員に。業務連絡用の無線が乗客に聞こえてしまい、「夕飯の相談」や「母親の誕生日のケーキ購入」などプライベートな情報が漏れてしまって…。その列車に母親まで乗り込んで来て、車内は混乱するという騒動記。鉄道落語の駒治師匠らしい作品に。

古今亭志ん五「つっこめ!」

新しい課長のスローガンは「ボケたら、ツッコめ!」。部下たちはそんな課長を面倒くさいと思っていたが、課長の言いつけを守っているうちに、部下の方が面白くボケたり、ツッコんだりできるようになり…。ある意味パワハラをユーモアで包んだ噺で、寄席の15分高座で重宝しそう。

弁財亭和泉「オヤカク」

僕はバブル世代なのだが、その後の就活は氷河期~ゆとり世代~Z世代へと変遷している。現在のZ世代の就活を和泉師匠らしい目線で描いた素敵な作品に仕上がっている。

ある企業に内定をもらったマナの母親が人事課長に呼び出された理由。それは「我が社の内定を蹴らないでほしい」という嘆願だった…。マナはSNSで3万人のフォロワー数を誇るインフルエンサー、サッカーでプロ並みの活躍をするも、突如海外留学に目覚めて語学堪能、ボランティア活動も精力的という100点満点の学生。売り手市場の就職戦線において、喉から手が出るほどの人材なのだ。

今、就活の世界で内定を辞退する理由の第1位が「親の反対」。そこで、各社は“オヤカク”を取る=親が子どもの就職を約束する書類に確認のサインをする、これが常識となっているらしい。そのオヤカクをめぐって、マナとその母親vs人事課長の駆け引きが繰り広げられる…。就活における心理戦をユーモアたっぷりに描いた和泉師匠の手腕に感服した。