三遊亭兼好 人形町噺し問屋「風の神送り」「明烏」

「三遊亭兼好 人形町噺し問屋」に行きました。「風の神送り」と「明烏」の二席。開口一番は三遊亭けろよんさんで「強情灸」、ゲストは寒空はだか先生だった。

「風の神送り」、珍しい噺を聴けて嬉しかった。町内で風邪が流行るので、その厄を払う昔から伝わる風習である「風の神送り」をやろうと話がまとまる。風の神に見立てた人形を作って、それを戸板の上に乗せ、川に流すというもの。奉加帳を作って町内を廻り、資金を集める町内有志のわいわいがやがやが愉しい。

太鼓に乗って、♬送れ、送れ、風の神送れ、どんどと送れ~と皆が掛け声を出して、人形を運ぶところも兼好師匠の喉の良さで心地よく響くのがいい。風邪は身体が弱っているからかかる、即ち「弱みにつけこむもの」という言い伝えをマクラに仕込んで、川で網打ちをして魚を獲っている男の網に人形が引っ掛かり、「夜網(よあみ)につけこんだ」というサゲ。いかにも落語らしくて好きだなあ。

「明烏」。父親に言われたことを何の躊躇いもなく喋ってしまう時次郎、源兵衛と太助が「堅いというより、馬鹿なのかもしれない」と言うのもあながち間違っていない。彼らに面と向かって「町内の札付き」と言っちゃうし、御巫女頭に稲荷寿司を手土産に渡しちゃうし、大門のことを「あの鳥居が黒いのは黒く塗ったから」という太助の説明に納得しちゃうし。

傑作だったのは、時次郎が泣きっぱなしでお座敷が白け切ったために、源兵衛が気を遣って「若旦那の独演会をやりましょう」と提案し、時次郎が話し始めた吉原の悲劇。上州におさよという娘がいて、父は早くに亡くなり、母は病で床に伏せているので、自ら身を売って人参を買ったが、その甲斐もなく、母は死んでしまった。そして、おさよも客から病を引き受けて亡くなり、投げ込み寺に葬られ、無縁仏となった…。名も無い女の哀しみがうず高くこの里には積み上げられている。それなのに、あなたたちはよく酒なんか飲んでいられますね!時次郎、空気を読めないにも程がある、やっぱり馬鹿なのだね。

浦里花魁が相手をした翌朝の変貌がまた可笑しい。「朝日が射して、鳥の声が聞こえると、以前は本を読もうと思ったが、今は朝日が眩しくて、鳥の声が五月蠅くて、ずっと夜だったらいいのにと思う」。一晩にして、時次郎は目覚めてしまった。馬鹿が目覚めるほど怖いものはない。この後、時次郎は吉原に通い続けることになるに違いない。