笑王丸とのの一(と吉笑)、そして桂二葉独演会「仔猫」

「立川流前座勉強会 笑王丸とのの一(と吉笑)」に行きました。去年までは談笑門下の前座である笑えもんさんと笑王丸さんの勉強会を兄弟子である吉笑さんがバックアップするという形で開かれていた勉強会。今年から笑えもんさんが二ツ目に昇進したため、そこに志ら乃師匠の一番弟子ののの一さんが入った。

「狸賽」立川のの一/「替玉」立川笑王丸/「歩馬灯」立川吉笑/中入り/「牛ほめ」立川笑王丸/「初天神」立川のの一

のの一さんは入門して丸2年、今年で3年目に入るそうだが、大変に口調が良い。落研出身なのだろうか、落語口調が実に気持ち良く、板についている。噺そのものには独自の入れ事はないが(それは前座だから当たり前なのだが)、しっかりと「落語を聴いた」という満足感が得られるのはすごい。

「狸賽」のサゲにつながる、「五は加賀様の梅鉢」という仕込みをちゃんとして、絵に描いたような落語世界が見えた。また「初天神」はネタ卸しだそうだが、飴、団子、凧まで駆け足ではあったが、父親よりもずっと上をいく金坊で楽しませてくれた。

笑王丸さんの「替玉」は新作ネタ卸し。八五郎が隠居を訪ねると、そこには“隠居の替玉”がいて、後から隠居本人が帰ってきて、“隠居が二人いる”状態に…。隠居が言うには、替玉は代役ではなく、同一人物だとのこと。新御茶ノ水博士が発明した簪の電気ショックで、口入屋で紹介された男を自分の替玉にしたという…。「人格が一緒だから、代役ではなく、同一人物」という理屈だ。

だから、見た目は違うが、見聞きしたことは共有できている。ただし、電気ショックで替玉にした一カ月前からで、それ以前のことはこの男は記憶を失っている状態だという。そのお陰で、いくら忙しくても不便がないと喜んでいるが…。時折、替玉の口から「助けて!」という声が聞こえてくるような気がしてならない八五郎。そこへ、もう一人の八五郎がやって来て、さっきまでの八五郎は“八五郎の替玉”だった…。ミステリアスなSF落語、もっともっと練り上げて、面白くなる可能性を秘めていると吉笑さんはコメントしていた。

夜は桂二葉独演会に行きました。「牛ほめ」「がまの油」「仔猫」の三席。開口一番は柳家ひろ馬さんで「堀の内」だった。

二葉さんの上方言葉が綺麗で気持ちが良い。「牛ほめ」で、父親が阿呆な息子に教える「普請の褒め言葉」も、掛け軸の蜀山人の狂歌などが入って、江戸落語のものよりも品格があるのだが、それを流暢に言い立てる。また、「がまの油」の香具師の口上も実に綺麗で、それゆえに酔っ払った後のベロベロの状態とのギャップがとても愉しいのだ。

「仔猫」はさすが、桂米朝の孫弟子と思わせる素晴らしい高座だった。見た目は不細工だが、気持ちが優しく、気が利いて、男の奉公人の3人分の働きをする女中のおなべは大変に評判が良かったが…。

昼は実によく働くが、夜になると怪しい行動をしているところを何人もの奉公人が見ていて、旦那も番頭も「もしや縄付きでは?暖簾に傷がつくようなことがあってはいけない」と心配し、御寮人さんの芝居見物に同伴させて、おなべの部屋にある鍵のかかった葛籠を開けると…。

何枚もの着物と帯の下から血みどろの猫の毛皮が出てきた!こんな化け物を店に置いておくことはできないと、旦那と番頭は相談し、やんわりと追い出そうと、芝居から帰ってきたおなべに、嘘の口実を作って暇を出そうとするが。

事情を察したおなべが「見たか」と言ってからの、鳴り物が入っての芝居掛かりで「一通り聞いてください」に続くクドキが聴かせた。父は山の猟師、親の因果が子に報い、七つのときに飼い猫の足の傷の血を舐めてあげて以来、猫の生き血の味を覚えてしまった…仔猫を食らうことがやめられず、世間からは鬼娘扱いされ、家を追い出されてしまった…。そして、辿り着いたのがこの奉公先というわけだ。

背筋がゾッとする怪談噺だが、「猫をかぶっていたのか」という落語らしいサゲでストンと落とす技量、鮮やか。二葉さんの色々な噺を聴いていきたい、益々虜になってしまった。