立川談春独演会「文七元結」、そして桂文雀「搗屋無間」

立川談春独演会に行きました。芸歴40周年記念の独演会20回シリーズの第4回。僕は第2回に続いての参加だ。「松竹梅」「よかちょろ」「文七元結」の三席。

「文七元結」。吾妻橋で文七が長兵衛から50両貰った翌朝、主人の近江屋善兵衛が文七を連れて長兵衛宅に向かう途中の吾妻橋で言う台詞が沁みる。「生きることは楽しいことと思っていると、不安になったり、絶望したりするんだ。生きることは辛いことと思っていると、どんな小さなことでも幸せに思える」。“生きる”ということへのメッセージとして、この噺を捉え直した談春師匠の視点に舌を巻いた。

佐野槌の女将が長兵衛に言う。お前さんは名人なんだ。皆の憧れになる人なんだ。お前さんを叱ったり、褒めたり、教えてくれる師匠はもういない。これからは名前を残す仕事をしなきゃいけない。今までは教えられてきたことをやれば良かった。ここからが修業だよ。それが博奕に逃げてどうするの?上手で終わっちゃいけない。仕事を頑張らないでどうするの?博奕はおやめ。

この娘(お久)は器量も良いが、気立てがいい。心が綺麗だ。店に出れば売れるよ。客を取れる。だけど、2年待ってあげる。再来年の大晦日までに50両を返しておくれ。もう言い訳はできないよ。博奕の親分が50両を貸す値打ちのある良い腕をしているんだ。きっと返せるだろう。それで返しても、この娘の気持ちは救われないけれどね。

50両を稼いでお久を取り戻すという表面的なことではなく、長兵衛が左官職人として自覚を持って仕事をすること、そのことこそが女房や娘含めた本当の家族の幸せにつながることを佐野槌の女将がきりりと諭しているところが素敵だ。

そして、吾妻橋。身投げを止めようとする長兵衛に文七が言う。もう生きなくていいです。生きるのが嫌になりました。何で私だけがこんな目に遭わなくていけないのですか。必死で生きているつもりです。そんなに高望みをしているわけじゃない。人並に生きていければ良いと思っていました。なのに、何で私が?もうやめます。神様なんていないです。もういいです。死にます。自分で決めちゃいけないことは判っています。逃げるのもいけないと思う。幸せになりたいと思っているわけじゃない。でも、もういいです。無理です。

文七の言葉を聞いて、長兵衛は言う。お前の顔が娘の顔に見えてしょうがない。そうだよな、何も悪いことなんかしてないよな。俺の愚痴も聞けや。博奕で借金だらけになった。娘のお久が吉原の佐野槌に身を売って、50両拵えてくれた。2年かけて一生懸命に働けばいい。そして、娘を連れ戻せばいいと思っていた。だが、違うと判った。娘は「私のことはどうでもいいの」と言った。お前と一緒だ。あいつは死んだんだ、十七だけど。50両返して償っても、娘は救われないんだ。

そして、長兵衛は文七に言う。お前に死ぬなとか、頑張れとか言えないや。この50両をくれてやる。これでもお前も娘もチャラにはならない。みんな、俺のやったことだ。大丈夫だ。俺は働く。この50両はお前にやらなきゃいけない、そう決めたんだ。俺はこの50両を持っていちゃいけないんだ。お前と娘とどっちが辛い?それでも、死にたければ死ねばいい。でもな、神様を信じた方がいいぞ。

長兵衛は娘のお久に対し、とんでもないことをしてしまった。どんな気持ちで佐野槌に行って、自分を買ってくれと言ったのだろう。それを思うと、お店の金を掏られて文七が死を覚悟したことが重なって見えたのだろう。そして、自分にできることは、目の前の文七に50両を渡し、その上で左官職人として死ぬ気で働いて、お久に許しを請うことなのだと考えたのだろう。

生きるということは辛いこと。人間はそういう覚悟を持って生きていかなくちゃいけないと教えられたような気がした。

夜は上野鈴本演芸場二月下席四日目夜の部に行きました。今席は桂文雀師匠が主任で、「文雀 落語珍品堂」と銘打ったネタ出し興行である。①鬼の面②清正公酒屋③休演④搗屋無間⑤鉄拐⑥派手彦⑦帯久⑧胴乱幸助⑨朝顔宿。きょうは「搗屋無間」だった。

「子ほめ」春風亭らいち/「初天神」柳家小もん/ジャグリング ストレート松浦/「饅頭こわい」桂扇生/「弟子の強飯」春風亭百栄/紙切り 林家楽一/「締め込み」柳家さん喬/「金明竹」入船亭扇橋/中入り/民謡 立花家あまね/「素人義太夫」三遊亭歌奴/ものまね 江戸家猫八/「搗屋無間」桂文雀

文雀師匠の「搗屋無間」。玄米を白米に精米する仕事が搗米屋、すなわち搗屋。玄米一升を精米すると、白米8合に減る。これを「搗き減り」と言って、およそ2割減るのだそうだ。これがサゲにつながってくる。

人形町の越後屋という搗米屋で13年働いている奉公人、徳兵衛が寝込んだ。幇間の寿楽が見舞うと、これが恋煩い。10日前に両国の絵草紙屋で見つけた錦絵に描かれた松葉屋の丸山花魁と一度会って話がしたいという。寿楽は丸山花魁をよく知っているので、会わせてあげると約束する。

13年間働いて月々故郷に仕送りした給金の残りを親方に預けてあって、それが10両あるので、それを使うことに。ただし、米搗き職人では会ってくれないので、木更津のお大尽という設定にして、これがばれないように寿楽が徳兵衛に色々と仕込むが…。

木更津のどちら?と訊かれたら、「木更津のことは忘れるために遊びに来た」と答えるように。掌にできたタコは鼓の稽古をしてできたということにする。花魁の機嫌を取るために、大事にしている小崋先生の絵を褒める…等々。徳兵衛が純粋ゆえに化けの皮が剝がれそうになるが、何とか丸山花魁と一夜を過ごす。

「主は今度いつ来てくんなます」と訊かれた徳兵衛は正直に「おらは嘘をついていた。お大尽ではなく、米搗き職人だ」と全てを打ち明けてしまう。「でも、会えて嬉しかった」という台詞に花魁は涙を流し、感激する。そして、今後は徳兵衛には特別待遇で遊興代の支払いは丸山花魁が持つということに!

徳兵衛は喜んで通うが、「丸山花魁には間夫ができた」という噂が広がり、丸山花魁の稼ぎも減ってしまい、徳兵衛を遊ばせることができなくなってしまった。

花魁に会いたくて仕方ない徳兵衛、隣家から♬梅ヶ枝の手水鉢、叩いて金が出るならば~と唄う声が聞こえてきて、浄瑠璃で梅ヶ枝が無間の鐘の代わりに手水鉢を叩いて金を出す件があったことを思い出し、手水鉢を杵で叩くと…。その拍子に親方がへそくりしていた20両の入った壺が落ちてきて、割れて小判が出てきた!これを見つけた親方女房が「これは徳兵衛にあげよう。ただし、4両は私が貰う」。2割の搗き減りだ、でサゲ。

前半は搗き米屋の職人が花魁に恋煩い…で、「幾代餅」に類似しているが、後半は人情噺というより滑稽噺に近い。なるほど、これは寄席でも滅多に掛からない理由がよく判る。でも、珍品としてこうして後世に残していくことは大事なことだ。