月例三三独演 柳家三三「阿武松」

月例三三独演に行きました。柳家三三師匠が「芝浜」と「阿武松」の二席。開口一番は桃月庵白浪さんで「口入屋」だった。

「芝浜」。3年後の大晦日。「人間、働かなきゃいけないな。貧乏なんか懲り懲りだ」と亭主が言ったのを聞いて、女房は「もう大丈夫だ」と思ったという。50両の落とし主は現われず、とっくに財布とともにお下げ渡しになっていたが、「元の飲んだくれに戻ったら、どうしよう」と思い、女房はずっと言えないでいた。心を鬼にして、夢だと嘘をつき続けていた辛さはいかばかりか。

女房が全てを吐露してくれて、「よく夢にしてくれた」と亭主は言う。「稼いでくるのは俺だが、そのお膳立てをしてくれたのは女房だ」。そして、「幸せにしてやりたいなんて、思い上がりだ。今はこう思う。二人で幸せになろうな」。なんて素敵な感謝の言葉だろう。

「阿武松」、ネタ卸し。“無芸大食”と大飯食らいの長吉を破門にした武隈とは対照的に、錣山の了見の広さが良い。「毎月五斗俵を二俵」提供するという板橋の橘屋善兵衛に対し、「それは断る。力士はおまんまを食うのが仕事だ」として、「心置きなくお腹いっぱい食べて、稽古に励んで貰い、強い力士を育てるのが師匠の勤めだ」。

武隈は“考え違い”をしているとしながらも、長吉に対して「決して(武隈を)恨むんじゃないぞ。この悔しさは稽古にぶつけろ」と指導する錣山は天晴れである。

本来なら弟子入り志願者の身体を見て入門を許可するか、しないかを決めるのだが、「10日間興行の相撲を12日観る」ほど相撲好きな橘屋善兵衛には全幅の信頼を置き、長吉の身体を検めずに入門を認めるところも江戸っ子気質だ。長吉には錣山が前相撲で名乗っていた小緑という四股名をつけることからも、期待の度合いがわかる。

その期待通りにとんとん拍子に出世した小緑は、入幕して小柳と改名し、“おまんまの仇”の武隈と対戦し、見事に勝利を飾る。そのときに、武隈が「強くなったのう」と喜び、小柳もその言葉を聞いてボロボロ涙をこぼした…。とても気持ちの良い終わり方だった。