歌舞伎「籠釣瓶花街酔醒」、そして林家つる子「ねずみ」

猿若祭二月大歌舞伎昼の部に行きました。「新版歌祭文 野崎村」「釣女」「籠釣瓶花街酔醒」の三演目。

「籠釣瓶花街酔醒」。佐野次郎左衛門(中村勘九郎)が可哀想で仕方ない。嘘でもいいから、夢を見せ続けてほしかった。花魁は男を騙すのが商売、騙されていると半分判っていても、八ツ橋(中村七之助)は自分に惚れているのだという思い込みを破らないでほしかった。それが吉原という夢を買う遊び場なのだから。

八ツ橋には廓勤めをする前から深い仲だった繁山栄之丞(片岡仁左衛門)という浪人がいる。いわゆる間夫だ。お互いに起請文を取り交わしているのだから、八ツ橋も本気である。それはそれとして、花魁として全盛を誇っている。売り物、買い物。金のために間夫の存在を消して、割り切ってお客の相手をしているわけだ。だが、田舎者の次郎左衛門は純朴ゆえに、八ツ橋が自分に本気で惚れていると思い込んだ。身請けの話までした。

これを打っ棄っておけば良かったのだが、釣鐘権八(尾上松緑)が余計なことをした。金を貸さない立花屋への腹いせとして、次郎左衛門の存在と身請け話が持ち上がっていることを栄之丞に知らせてしまった。栄之丞が八ツ橋に問い質す。身請けなど承諾しないとうろたえる八ツ橋。栄之丞はきちんと座敷で次郎左衛門に愛想尽かしをしろと命じる…。男の嫉妬だ。

これまで恩を受けた客に突然、愛想尽かしをするような不義理はできないと躊躇う八ツ橋だったが、意を決する。三幕目第三場の兵庫屋八ツ橋部屋縁切りの場だ。八ツ橋は次郎左衛門に「顔を合わすのも嫌になった」「今後は遊びにも来てほしくない」とつれない態度で愛想尽かしをした。豹変した八ツ橋に次郎左衛門ばかりでなく同席していた他の花魁や幇間、芸者たちも驚きを隠せない。

寝耳に水の次郎左衛門が、座敷の様子を廊下から窺う栄之丞に気づき、察した。そのことを八ツ橋に尋ねると、包み隠さず「栄之丞は間夫だ」ときっぱりと断言し、座敷を後にする。面目丸潰れの次郎左衛門の傷心いかばかりか。

そして四か月後に次郎左衛門が再び兵庫屋に姿を現し、名刀の籠釣瓶によって八ツ橋を斬り殺した…。殺人を犯した次郎左衛門を擁護してあげたくなる気持ちになるのは僕だけだろうか。

夜は「落語模様 つる子ひとりぼっち」に行きました。今回が最終回だそうだ。四ツ谷にある小さな喫茶店homeriで、つる子さんが二ツ目になったばかりからスタートした少人数のお客様を迎えての独演会。というか、勉強会という意味合いが強かったそうだ。ここで色々な落語を試しに掛けて、噺を練っていったと感慨深く話していた。来月の真打昇進を機に、この会を卒業というわけだ。ちなみに、同じ二ツ目の三遊亭伊織さん、入船亭遊京さんの会は継続する。

「スライダー課長」は、中央大学落語研究会に在籍中、岐阜で毎年開催されている大学生の落語選手権「策伝大賞」で知り合った大阪大学の同じく落語研究会の方が創作した新作落語。つる子さんが前座のときに貰って、二ツ目時代にしばしば掛けて磨いてきた一席で、僕も何度か聴いたことがある。

野球を全く知らない課長が、小学生の息子が少年野球のピッチャーになったので、色々と教えてほしいと部下の田中君に頼む噺だ。変化球って、ボールが何に変化するの?とか、ホームスチールってどんな金属で出来ているの?とか、「まん・るいさく」ってどういう人なの?とか…。頓珍漢な課長の質問に、田中君は嫌がらずに親切に教えてあげた。

2週間もすると、課長はアンダースローでスライダーが投げられるくらいの上達ぶり。息子とも仲良くキャッチボールができるようになったと喜んだ。そして、そんな田中君はシアトルに支店長待遇で赴任することが決まる。年上に優しく分かりやすく教える能力が認められて…。ギャグだけでなく、きっちりとストーリー展開が組み立てられ、キャッチボールの仕草も様になっている。秀作である。

もう一席は古典落語「ねずみ」、僕は初めて聴いた。冒頭のシーンが良い。卯之吉が病床の母を見舞って、「元気になったら一緒にお寿司を食べにいこう」と話していると、女中頭のお紺が「卯之吉!さぼっているんじゃないよ!」と嫌味を言う。だが、それは客引きをしている道端でうたた寝をして見た夢だった…。噺の伏線となるファンタジックな演出だ。

甚五郎が“鼠屋”の主人から訊いた「虎屋の主だったのに、腰が抜けて、店を追い出されて物置を宿屋にして十歳の卯之吉と暮らしている」理由。3年前に女房に先立たれ、後添えに女中頭のお紺を迎えたが、実は番頭とお紺が深い仲になっていて、虎屋を乗っ取られたという…。卯之吉の「この物置は鼠の住み家だったから、鼠屋だ!父子二人で頑張ろうよ!」という台詞に励まされたというのが泣かせる。

「実はきょうが女房の命日なんです。寿司は女房の好物でしたので、卯之吉は食べたかったのでしょう」。甚五郎は番頭とお紺が「恩を仇で返すようなことをして、許せない」と言って、福鼠を彫り上げた美談が亡くなった女房の存在によって、より輝いて見えた。

虎屋が対抗して飯田丹下に彫らせた虎、甚五郎と二代目政五郎が「虎の目が気にくわない。目に恨みを含んでいる」と言うのは、鼠屋の父子のキラキラした純粋さとは対照的で、人間というのはこうでなけりゃあいけないなあと思う。