都民寄席 神田織音「唐人お吉」、そして林家正雀「左の腕」

「都民寄席 講談の会」に行きました。

「馬場の大盃」一龍斎貞鏡/「唐人お吉」神田織音/「扇の的」神田松鯉/中入り/解説 矢野誠一/「夜もすがら検校」宝井琴調

織音先生の「唐人お吉」。お吉の波瀾万丈の人生に思いを馳せる。船大工の娘に生れるが、早くに父に死なれ、7歳で船手奉行側室のおせんに引き取られ、幸せに暮らしていたが、14歳のときに安政の大地震で津波の被害に遭う。15歳で三味線の師匠おきんの勧めもあり、新内で“明烏のお吉”と渾名されるほどの芸と器量があったために左褄を取って芸者に。米国総領事ハリスが下田に上陸すると、下田奉行の依頼でハリスの寝間の伽を取るように命じられるが、これを強く拒んだ…。

彼女の人生に大きな影響を与えたのは幼馴染の鶴松だ。津波被害で坂下町の実家に戻っていたお吉のために、大工だった鶴松は急ごしらえで元の新田町に住み家を建ててあげる。この恩を忘れなかったお吉は芸者になったときに、「御目文字したい」旨の手紙を鶴松に書いて、再会を果たすが、その時に「あのときの御礼」として20両を渡すが、鶴松は「そんなつもりで建てたんじゃない…好きな人のためにやったんだ」と受け取りを拒む。このことによって、相思相愛であることが判り、二人は夫婦約束をしたというのが素敵なラブストーリーになっている。

だが、ハリスの寝間の伽の件で、お吉は「芸は売っても身は売らない」と強硬な態度をとったため、奉行は彼女を牢の中に入れる。そして、奉行が鶴松を痛め吟味するという卑劣な手段を取ることによって、鶴松はついに屈服、お吉がハリスの許に行くことを認める手紙を無理やり書かされた…。そして、お吉は胸が張り裂ける思いになりながらも、ハリスの妾になるのだった。そのとき、18歳。世間からは「羅紗面お吉」「唐人お吉」と陰口を叩かれ、日米修好通商条約が締結してハリスが帰国するまで、酒に溺れる屈辱的な日々を送ることになる。なんて可哀想なんだ。

時代は明治になり、年増の新内流しになったお吉は鶴松と再会する。実に14年ぶりのことだった。あの手紙は本心でなかったことを鶴松は謝罪すると、お吉は「それはよく分かっていた」と返し、“もう一遍やり直そう”と夫婦になった。だが、その生活も長続きしなかった。ある日、鶴松の前からお吉は姿を消し、明治23年に川に身投げした姿で発見される。50歳手前だった。幕末から明治にかけて、時代の大きなうねりの中で、懸命に生きながらも、哀しい末路を辿ったお吉を思い、泣けてきた。

琴調先生の「夜もすがら検校」。平家物語語りで日本一とされた玄城検校を見捨て、女とともに300両を持ち逃げした友六の悪事。それとは対照的に玄城を助けて京都まで帰る段取りをすべて世話した若造の一刻の素晴らしさが輝く。

友六の悪巧みによって駕籠ごと雪の中に放り出されてしまった玄城が死を覚悟して語った平家物語が、通りすがりの若造に聞こえたのはまさに天のお告げだろうか。凍えていた玄城を家に招き入れ、暖を取らせて、雑炊を食べさせてあげる。若造も借金まみれのために夜逃げしようと思っていたのだが、背中に背負った先祖代々が眠る仏壇を惜しげもなく炉にくべるというのはなかなか出来ないことだ。

事情を聞いた若造は、大垣に出て、その日本一の平家物語を語って路銀を拵えようと提案し、玄城は妻が住む京都に戻ることができた。そのとき、一緒に行こうと若造を誘ったのだが、自分が作ってしまった借金は自分の力で返済したいとこれを断ったのも、若造の一刻ゆえだろう。

5年後、若造は京都の玄城の屋敷を訪ねる。再会を喜ぶ玄城は「あのときの謝礼」として金を渡そうとするが、若造はこれを拒む。何か恩返しができないか?と問うと、若造はあのときの平家物語を聴きたいと願う。玄城は喜んで語るが…途中で琵琶を柱に打ち付け、木っ端微塵にしてしまった。そして、それを炉にくべて、暖をとった。若造の志には自分の志で応えようと考えたのだと説明する。あのときの若造の仏壇が、今の玄城の琵琶ということだろうか。これには痛く感じ入って、若造は改めて「謝礼」を受け取ることにした。一刻には一刻、なんと素晴らしいことだろう。

エンディングが象徴的だ。近江国で若造がみすぼらしい姿になった友六とすれ違う。琵琶湖の湖面は浄玻璃の鏡のようだという表現がぴったりだと思った。

夜は上野鈴本演芸場二月中席二日目夜の部に行きました。林家正雀師匠が主任の「正雀噺の世界」というネタ出し興行。きょうは松本清張作「左の腕」だった。

「たらちね」入船亭辰むめ/「伽羅の下駄」林家彦三/太神楽 鏡味仙志郎・仙成/「好きとこわい」三遊亭歌奴/「真田小僧」柳家小里ん/奇術 ダーク広和/「ぼやき居酒屋」柳家はん治/「五目講釈」春風亭柳枝/中入り/漫才 ニックス/「幇間腹」春風亭一朝/粋曲 柳家小春/「左の腕」(松本清張作)&風流吹き寄せ踊り 林家正雀

正雀師匠の「左の腕」。飴売りをしていたが貧乏だった卯助は、銀次の紹介で深川の料理屋・松葉屋で働くことになる。一人娘のおあきは住み込み奉公、卯助は女将の親切を断り、通いで働く。そこには他人には言えない事情があった…。

三か月が経ったある日、目明しの稲荷の朝吉が松葉屋にやって来た。松葉屋は木場の旦那衆のために、「無尽」という名目で実は博奕の場を提供しているのだった。それを知っている朝吉は十手を笠に着て、見逃すかわりに見張りと称して金を都合してもらっている男だ。

すぐにおあきに目がいき、「いい娘だな」と言い、卯助には元の商売が飴屋だったことや生まれが越後であることなどを聞き出す。そして、「この店の湯に入らないこと」の理由と、なぜ左の二の腕に布を巻いているのかを問う。卯助は「自分の家の相川町にある梅乃湯に入るのが好きだから」「子どもの時分に負った火傷の跡があるから」と答えるが、朝吉は「その腕をいつかきっと見せてもらうからな」と脅す。

銀次には「おあきに惚れているんじゃないか」と問い、「俺は三十八になるが、おあきに惚れちまった。どっちが先に口説けるか、勝負しようぜ」とけしかける。

7日後。八つ過ぎ、卯助が桑江町の亀之湯に入っているところを、待ち伏せしていた朝吉が「話が違うじゃないか!網を張って待っていた」と言って、「きょうというきょうは火傷の跡を見せてもらう」。百目蝋燭を近づけると、左の腕には火傷の跡ではなく、罪人を表わす二本の入れ墨が入っていた。「何で牢に入った?」「若い時分に間違いを犯して…勘弁してください。娘にも内緒にしているんです」。すると、朝吉は「そこで相談だ。おあきを俺の女房にくれないか?わかったな」。

10日後。卯助が帰宅後に手酌でチビチビやっていると、銀次が駆け込んできた。松葉屋に押し込みが7~8人、刀をぶらさげて入ってきた。店の者は全員、縛られて、納戸に閉じ込められたという。卯助は心張りを持つと、「俺に任せろ!」と松葉屋に駆けつける。「俺が相手だ!」。押し込みの連中をやっつける。

その中に上州の熊と名乗る男が、卯助に向かって「兄ィじゃないか!」と叫ぶ。卯助がこの店で働いていることを言うと、「まさか、兄ィが働いているとは思わなかった。すまねえ」…「この人はムカデの卯助と呼ばれる、昔は大親分だった方だ」。その場に木場の旦那衆と一緒にいた稲荷の朝吉は怖気づいている。

卯助が言う。「左の腕がすっかりわかっちまった。もう、これからは隠さない。これまでは隠していて世間を狭くしていた。これからは大手を振って歩いて行く」。「熊、俺は元の飴屋に戻るよ。子どもの喜ぶ顔を見ていると疲れが取れるんだ」。どんな後ろめたい過去を持っていても、正々堂々と生きて行こうと誓う卯助の姿に感銘を受けた。