鈴本二月中席三日目 林家正雀「水神」
上野鈴本演芸場二月中席三日目夜の部に行きました。林家正雀師匠が主任のネタ出し興行「正雀噺の世界」、きょうは菊田一夫作「水神」だ。
「転失気」三遊亭二之吉/「後生鰻」林家けい木/太神楽 鏡味仙志郎・仙成/「子ほめ」三遊亭歌奴/「人形買い」入船亭扇遊/奇術 ダーク広和/「歯ンデレラ」林家きく麿/「時そば」春風亭柳枝/中入り/漫才 ニックス/「看板のピン」春風亭一朝/粋曲 柳家小春/「水神」(菊田一夫作)&風流吹き寄せ踊り 林家正雀
正雀師匠の「水神」。主人公の杢兵衛はとても良い人だ。女房が他に男を作って逃げたこともよく判らずに、赤ん坊を抱いて縁日に出掛ける。「おっかさんは縁日が好きだったからな。泣くんじゃない」。近所の源さんが「知らぬは亭主ばかりなりだ」と言って、親切に教えてあげて、杢兵衛は初めて知るほどだ。
縁日の出店で柿や干し魚を売っている真っ黒な着物を着た女性が声を掛ける。「赤ちゃん、よく泣くわね。乳が欲しくて泣いているんでしょう。おかみさんが逃げたと聞きました。お気の毒…私が乳をあげましょう」。可愛い赤ん坊を抱いて、杢兵衛に訊く。「今晩はどうするんですか?また、乳を欲しがるでしょう?可哀想。私の家においでなさい」。親切な女性は杢兵衛と赤ん坊を水神の森にある一軒家に連れて行く。
女はまた赤ん坊に乳をあげ、寝かしつける。「お腹がすいたでしょう?お酒も用意しました」と言って、酒と肴を杢兵衛にもてなす。杢兵衛が遠慮しようとすると、「私は独り者。何の気遣いもない」と言って、お酌をする。杢兵衛が美味しそうに飲むと、「私はお酒を飲んだことはないんだけど、あなたを見ていたら、飲みたくなっちゃった」と言って、女は一口飲む。
すっかりご馳走になり、杢兵衛が「お世話になりました」と言って、名前を訊くと、「こうと申します」「おこうさん、ですね。私は杢兵衛と言って、屋根屋の職人をしています」。そして、帰ろうとすると、「泊まっていらっしゃいよ」「いいんですか?」「お気遣いなく」。布団は一組しかないから、その夜、二人は男女の仲になった。
朝起きると、おこうは赤ん坊を抱いて商売に出ていた。そして、杢兵衛のために朝飯を用意してあって、弁当まで拵えてあった。「先のカカアはひどかったが、こんなに良くしてくれるなんて…」。杢兵衛は親方のところを久しぶりに訪ねた。「おはようございます。杢です。仕事を休んですみませんでした。きょうから働きたいと思いまして」「子どもはどうした?」「面倒を見てくれる人ができまして」。
元々腕の良い屋根職人だ。板葺の屋根を修繕する、トントン屋根屋。いい女の女房ができて、子どもも面倒見てくれて、働くことに張り合いが出る。よく働くから評判も良くなる。仕事も増え、金も貯まる。そして、4年が経った。
女房のおこうが珍しく起きてこない。ゆっくり休ませてやろうと思い、布団をかけ直してやると、おこうの首から下が真っ黒な烏の毛。化け物だ!騙したな!と思ったが、「いや待て。考えてみたら、よく尽くしてくれた。ずっと一緒にいたい。見なかったことにしよう」。
そのとき、「お前さん、見ましたね!」とおこうが叫んだ。見られたなら仕方ない。私は烏です。水神様のお遣い姫の烏でした。ところが、霞ヶ浦で遊び呆けて、肝心のお遣いを忘れてしまったことがあった。神様は怒って、私を野烏にしてしまった。そして、「5年間、人間の女として生きろ。それで真っ当に暮らせたら、元のお遣い姫の烏に戻してやる」と言われました。
どうしよう。そうだ、恩返しをしよう。あなたが小梅の長屋で暮らしていたときに、窓から煮干しを屋根に放っていた。それを私は頂いていた。その恩返しをしようと思ったのです。そして、あなたの女房になることが出来ました。
「だけど、もう人間ではいられない。まだ4年。神様との約束の5年に達していない。野烏になります」と言うおこうに対して、杢兵衛は「俺はお前に惚れているんだ。家にいておくれよ」と頼む。「私だって、お前さんのことが好きです。でも神様の約束があります。空に戻ります」。それでも杢兵衛は懇願すると、おこうは「あなたが烏になってくれますか?」「なるよ」「では、この羽織を着てください。羽になって空に舞い上がることができます」。
そこで杢兵衛は躊躇った。「倅を烏にするわけには…」。すると、おこうは「そうでしたね。この子をどうか立派な大人にしてください。私は空に参ります」。一陣の風が吹いたかと思うと、跡には女もいなければ、家もなくなっていた。そこにはただ水神の森の灯籠があるだけだった。「夢か?」とも思ったが、そこには成長した息子が寝ていた。「チャン、眠いよ」。
小梅の長屋に戻ると、水神の森の家と同じ造りになっている。近所の人は杢兵衛のことを「大した人だ。夢中になって働いて、あの子も大きくなった」と噂した。杢兵衛も「おこうのお陰だ。烏が力をくれたんだ。ありがたい」と感謝する。「もう一度、おこうに会いたい」という気持ちが募る。煮干しを屋根に撒いた。烏がやって来て、啄む。「おこうに戻ってきてほしいと伝えてくれ」。
息子は12歳で呉服屋に奉公に出た。よく働くと評判で、19歳のときにその店の一人娘と縁組し、養子に入った。父である杢兵衛も喜んで、土産を持って訪ねるが、息子に「養子に入ったのだから、遠慮してほしい。もう来ないでくれ」とつれなくされてしまった。「自分一人で大きくなったようなツラして…惨めな親だ」。
すると、空から「杢さん、良かったね。苦労した甲斐があったね」という声が聞こえてきた。「おこうだ!」。杢兵衛は「人間に未練はない。烏になる」と考え、おこうから貰った羽織を着て屋根に上がった。すると、空を飛べるではないか。「烏になれた!お前のところに行くぜ!おこう!」。杢兵衛の純朴な思いに胸が締め付けられた。