春風亭一之輔独演会「花見の仇討」、そして神田伊織「並木路子」
鈴本演芸場余一会「春風亭一之輔独演会」に行きました。「長屋の花見」「蛙茶番」「花見の仇討」の三席。ゲストはパントマイムのシルヴプレ先生、開口一番は春風亭貫いちさんで「やかん」だった。
まず、シルヴプレ先生が大変に面白かった。ご夫婦によるパントマイム、息が合っていなければ、なかなか出来る技じゃない。特に最後に演じた「港のクリーニング、ようこそヨコサカ」は最高だった!一之輔師匠も「寄席に出ればいいのに」とおっしゃっていたが、同感。
一之輔師匠の「蛙茶番」。舞台番の役回りにされて機嫌を損ねて芝居に来ない半ちゃんを上手に持ち上げる定吉が達者だ。岡惚れしているミー坊が「役者なんて素人が白粉塗って、ギックリバッタリするのはみっともない。そこを人の嫌がる舞台番に逃げるところが半ちゃんの粋なところ」と言って、今か今かと待っているという…。そんな見え透いた嘘に乗っかる半ちゃんも可愛い。
ここは一つ、粋なところを見せてやろうと縮緬の褌を締めて観客をアッと言わせようという趣向。考え付いたのは良いけれど、その自慢の褌を湯屋で慌てて締めるのを忘れて、さあ大変なことに。特に鳶頭が連れていた女の子に「どうだい!」と裾を捲り上げて披露したところ、大爆笑!コンプライアンスの時代にどうか…と後で師匠はおっしゃっていたが、そこは落語、イマジネーションの世界ですから、これを規制すると落語は面白くなくなっちゃうよね。
「花見の仇討」。巡礼兄弟を金ちゃんと六ちゃんで演じるわけだけど、六ちゃんの拙さが際立って面白かった。煙草の火を借りろと言われ、軽い感じで「火貸して」に「友達じゃない!」と突っ込まれると、本気にしちゃって泣き出すところからして可愛い。
芝居台詞も稽古のときは“小学校の卒業式の六年生の皆さんへ”みたいで棒読みだし、本番でも金ちゃんはしっかり出来るのに、六ちゃんはしどろもどろで誤魔化している様が愉しい。挙句に「親の仇!」が、アジのたたき、アジの開き、そして本番では「アジのなめろう!」になっているのも笑える。
上野の擂鉢山のてっぺんの切り株にいる浪人役の熊さんがなかなか見つけられずに、キョロキョロして、花見客に「仇はどこにいますか?」と聞いちゃうし、仕方なく熊さんが手を振ると、やっと気が付き、オーイと声に出して手を振り返すところも面白い。そして、浪人に対し、悪そうな名前を叫べと宿題を出していたら、「汝はワルガタコワノスケよな!」とするのも、いかにも半ちゃんらしくて愉しかった。
夜は「今日日新新~新作おとぎ六人衆」に行きました。きょうは落語の三遊亭ごはんつぶさんと講談の神田伊織さんの二人会。ごはんつぶさんが「だもの」と「プロビデンスの目」、伊織さんが「ブレーメンの音楽隊」と「並木路子」だった。
ごはんつぶさんの「だもの」、面白かった。相田まつをの書「転んだっていいじゃないか。人間だもの」を怪盗ファーストが忍び込み、盗んで、ダミーの「なんやかんやで、人間だもの」を替りに置いて行く。すると、次に怪盗セカンドが現れ、それを盗んで、同様にダミーを置いて行く。そして、怪盗サードが現れ…、という風に続々と怪盗が登場し同じことを繰り返していく…。
怪盗の行列ができ、お互いに連絡先を交換したりする輩もいて出会い系サイトのよう、打ち上げと称して飲みに行く集団も。「人間だもの」が「人間やけん」、「インゲンだもの」、「ペンギンだもの」…ダミーにバリエーションがあるのも愉しかった。
伊織さんの「並木路子」は聴き応えがあった。戦前から戦中に松竹少女歌劇団、いわゆるSKDで活躍した並木路子さんの評伝を読んでいるようで、引き込まれた。昭和天皇が崩御した昭和最後の日に、路子が渋谷で経営していたピアノバー「ブルースポット」に集まった常連客が誰となく言い出して童謡を合唱して散会する冒頭シーンが印象的だ。
路子は昭和12年に浅草国際劇場で初舞台、グングンと頭角を現して主役を張るまでになるも、時代は第二次世界大戦へと向かう。演目も軍国調となり、仕事も軍隊への慰問が中心になっていく世相が浮かび上がってくる。
東京大空襲に遭い、母のはまさんが隅田川で水死体で見つかったとき、母の衣服から松竹の給料袋が出てきたエピソードは泣かせる。父も兄も戦争で失って、悲しみに暮れている路子が、「明るく、明るく」と監督に言われながら撮った戦後の日本映画第一号「そよかぜ」は評判が悪く、2週間で公開が打ち切られた。
だが、その映画の主題歌「リンゴの唄」は国民的大ヒットとなって、戦後復興の象徴になり、並木路子の名前は日本国中に知れ渡った…。激動の昭和を生きた女性の力強さを感じ取ることのできる、素晴らしい講談だった。