けんこう一番!、そして三遊亭兼好「紺屋高尾」

「けんこう一番!~三遊亭兼好独演会」に行きました。「時そば」「粗忽の使者」「木乃伊取り」の三席。ゲストは矢島絵里子さん(音楽家・フルート奏者)と中村大史さん(ギタリスト)、前座は三遊亭けろよんさんで「元犬」だった。

「木乃伊取り」。番頭も鳶頭も「自分に任せてください!」と胸を叩いていたのに、若旦那が居続けをする角海老から戻らず、木乃伊取りが木乃伊になってしまい、大旦那は「もう勘当だ!」と怒り心頭に達するが…。

飯炊きの清蔵が「一家の一大事」と名乗りを挙げ、大旦那は「お前は飯を炊いていればいい」と拒絶するも、清蔵の奉公人としての熱意に負けて、「寧ろ、野暮な人間が迎えに行く方がいいかもしれない」と任せるところ、清蔵やるじゃん!と思う。

「首に縄をつけても若旦那を連れて帰る」と鼻息を荒くして角海老を訪ね、おっかさんから預かったへそくりの入った巾着を振りかざして、「暇を出すなら赤の他人だ。腕の一本、足の一本折っても文句は言えまい」と清蔵は若旦那説得に成功したのだが…。

吉原の遊びというのは魔力があるということか。帰る支度をするまでの一杯、二杯、三杯の酒と進むうちに、酔いが回って機嫌が良くなり、♬どんどろ坂に陽が落ちた、♬蛙が鳴いたけど帰りません、三味線を弾かせて歌いたくなるのは若旦那も清蔵も同じ男ということだろうか。

さらに、かしくという相方がついて、「お前の女房だよ」と若旦那におだてられ、「大好き!」と甘い言葉をかけられたら、さすがの清蔵も骨抜きになってしまう。「ガッチリしていて、後ろから丸太で殴っても頑丈そう」「手がゴツゴツしていて、毛が生えていてモクゾウガニみたい。私の手をその手でギュッと握っておくれ」と言われたら、もう清蔵は心を奪われてしまう。

「駄目だあ。恥ずかしい。アッ、柔らかい!握れない!」。せっかく若旦那たちの帰り支度ができたのに、清蔵の方が木乃伊になってしまう姿が吉原遊びの沼の深さを軽妙洒脱に表現していて面白かった。

配信で代官山落語夜咄~三遊亭兼好「紺屋高尾」を観ました。

久蔵が3年寝食を忘れて一生懸命働き、貯めた9両に対し、親方は「もう少し頑張って10両にしろ。暖簾分けさせてやる」と言うが…。久蔵は3年前の約束を一日たりとも忘れていなかった。「三浦屋の高尾太夫に会いに行きます!」。

これに対し、親方が「たった一晩で使うのか。馬鹿だね。世の中、こういう馬鹿が一人くらいいないといけない」と褒め、竹之内蘭石先生も「それだけ夢中になれるものがあるのは幸せだ」と讃えるのが良いと思った。

そして、念願叶って久蔵は高尾に会えた。「今度はいつ来てくんなます?」という問いに対して、久蔵はついに我慢しきれなくなって本当のことを告白する。ここが素晴らしかった。

3年経ったら、また来ます。嘘をついていました。あっしは流山のお大尽でも何でもない。紺屋の職人です。3年前に花魁道中を見て、この世の中にこんな綺麗な人がいるのかと驚いた。こんな素敵な人がいるのかと茫然とした。そして患ってしまいました。飯が食えなくて寝込んじまって、仕事ができない。3年働いて10両貯めたら会いに行けると聞いて、一生懸命に働きました。それでこうやって来れました。10両、20両、ポンポンと使える身分じゃないんです。3年経たないと来れないんです。

見てやってください、この手。真っ青でしょ。紺屋の職人だという何よりの証拠です。洗っても落ちない。判っています。花魁は3年後にいるわけがない。どこかの誰かに身請けされるんでしょう。でも、嘘でも構わない。3年経ったら、またおいでと言ってください。それを糧に働けます。この3年は楽しかった。花魁に会える。そう思って、一生懸命働いた。この3年ぐらい、嬉しい3年はなかった。

久蔵のこの誠意に高尾太夫は惚れたのだと得心のいく告白だった。