新派公演「東京物語」、そして三遊亭わん丈「応挙の幽霊」

新春新派公演「東京物語」を観ました。

尾道から上京した老夫婦、周吉ととみに一番優しかったのが、太平洋戦争で戦死した次男晶二の未亡人、紀子だったというのが何とも言えない哀愁を感じる。言わずと知れた小津安二郎監督の名作映画「東京物語」の舞台化だ。映画では周吉を笠智衆、とみを東山千栄子、そして紀子を原節子が演じ、とても心に沁みる名作であるが、山田洋次監督が脚本・演出を担当した舞台もとても良かった。

葛飾金町で開業医をしている長男幸一(丹羽貞仁)も、近所で美容院を営む長女志げ(波乃久里子)も日々の生活に追われ、表面的には両親の上京を歓待するのだけれど、本当に心をこめて接するのが義理の妹の紀子(瀬戸摩純)だというのが皮肉である。

戦後間もない1950年代、長男が親の面倒を見るというのが当然と考えられていた時代、その後核家族化の時代へと移っていくのだが、周吉(田口守)ととみ(水谷八重子)の二人は心情的にとても寂しい思いになったのは仕方のないことだろう。

芝居のラストで、周吉はとみの形見である時計を紀子に渡す。とても印象的なシーンだ。息子は戦死してしまって、いつまでも嫁扱いしちゃいけない。寧ろ、気兼ねせずに自分の幸せのために再婚してもらいたいと思っている。なのに、紀子は会社に頼んで休暇を取り、義理の両親の東京見物の案内を嫌な顔ひとつせずに引き受ける。幸一の同業者の寄り合いのために老夫婦が“宿無し”になったときには、とみを受け入れて手料理を振舞ってあげた。それを素敵な冥途の思い出としてとみは天国に旅立ったのだ。

プログラムに山田監督は今回の舞台化について、こう書いている。

親は、いつか子どもに裏切られていく。どんなに可愛がっていても、はた目からは仲良くしているように見えても、結局は離れ離れになっていく。孫ができる年になってそのことに気づいても、もう遅い。諦めるしかない。ただただ諦めるしかない――小津監督の名作「東京物語」が静かに静かに語るこの内容の舞台化は劇団新派こそ最もふさわしいことを、芝居好きの人なら誰も疑わないと思います。以上、抜粋。

なぜ昭和が懐かしいのか、そこに大事な忘れ物をしてきたという思いがあるからです。

これも山田監督が水谷八重子さんと波乃久里子さんと座談したときの言葉だ。ここに「東京物語」の魅力があるのだと合点した。

夜は三遊亭わん丈独演会に行きました。「近江八景」「応挙の幽霊」「明烏」の三席。前座は桂枝平さんで「西行」だった。

「応挙の幽霊」、ネタ卸し。5円で仕入れた幽霊画が90円で売れ、これで亡くなった女房の七回忌の法要ができると喜ぶ道具屋が良い。

「儲かったのは、この掛け軸のお陰」と、床の間に掛けて眺めながら、お経を唱えて祝杯をあげる道具屋。その目の前に幽霊が掛け軸から抜け出して御礼を言いたいと言う。この幽霊画は本当に円山応挙の筆によるものだった…。

これまでの人はこの幽霊画を買ってくれても、家族から気持ち悪いと言われて、蔵の中に仕舞われるのが通例だったが、今回は風に通してくれた上に、お酒とお経で供養までしてくれたのが嬉しかったと幽霊が言うのが面白い。道具屋と幽霊は意気投合して、お互いに酒が“いける口”なので、やったりとったり、楽しい時間を過ごす…。

すっかり酩酊した幽霊は掛け軸の中に戻ったが、顔は真っ赤で、肘を枕に寝てしまっている。これでは明朝に購入者である旦那のところに届けることができないと困惑する道具屋が目に見えるようで、可笑しかった。