元日に想う

謹賀新年です。去年もその日その日に観たり聴いたり、または読んだりした“演芸のこと、またはその周辺のこと”を思うがままに毎日書き綴ってきました。小学生が先生に書かされている感想文みたいなものです。誰かに書けと命じられているわけでもないけれど、一日の終わりに日記がわりにここに文章を書くと、とても頭がスッキリして、精神衛生にも良いみたいなので、今年も続けようと思います。

僕は2020年3月31日付けで定年退職しました。今年で5年目に入ります。自分のやりたいものは何か、自分らしいこととは何か、これまでもずっと模索し続けて歩んできました。それは在職中もそうであったし、退職後もそのことを考えて生きています。

でも、本当に自分のやりたいことを実現するのは難しい。そもそも、自分のやりたいことを本当に自分自身がわかっているのか、というのがあります。色々な方たちが素敵に活動されて、自己実現をされて、そういう姿を見て、素晴らしいなあと思います。そういう方たちは、自分の目標をしっかりと持って、それに向けて日々努力なさっているのだと思います。僕はそういう方たちを見習わなければならないと思う。

小学生の頃から、「あなたは将来、何になりたいですか」と訊かれるのが、苦手でした。毎日を一生懸命に生きることで精一杯ということがあったかもしれません。でも、今輝いて生きている人たちは子どもの頃から、“ある目標”を持って努力していた人が多いように思います。なぜ、僕は目標を持たなかったのだろうか。

僕は高度経済成長期に育ちました。一生懸命勉強して、良い学校に入って、良い企業に入れば幸せになれる。そういうぼんやりとしたことを考えていた、それこそぼんやりしていた子どもだったように思います。父親は貧乏で大学に入ることが叶わず、母親は「女は大学に行く必要などない」という明治生まれの父親の方針で育てられ、両親ともに最終学歴が高卒だったことから、自分の子どもには教育で不自由をさせたくないと育ててくれました。

それは大変にありがたいことだったし、今でも本当に感謝しています。僕がいけなかったのは、その環境に甘えて、“野心”を持たなかったことです。野心というと大袈裟かもしれませんが、「自分はこうするんだ、こうなるんだ」という将来展望を大学卒業までしっかりと持っていなかったということです。「良い学校、良い企業」の“良い”というのは何か。偏差値教育の弊害という言葉で片づけるのは簡単ですが、自分の将来に真剣に向き合わない僕自身も愚かでした。周囲の同級生たちと安易に歩みを揃え、志望校や志望学部を決めてしまった。そして、大学卒業後の就職先までも何となく“採用してくれるところ”にぼんやりと決めてしまった。

就職した職場では「自分のやりたいこと」を企画提案して、それが優秀なものならば採用されて、自己実現ができる“恵まれた職場環境”だと上司から言われました。そこで初めて僕は「自分のやりたいこと」を見つけ、躍起になって提案し続けました。しかしながら、僕はその後、巨大組織が求めているものとの乖離に悩み続けることになります。決して“恵まれた職場環境”などではありませんでした。“個人の趣味”と蹴られてしまう企画を巨大組織が認めるように書き換える苦痛を乗り越え、ようやく自己実現に近いことが出来るようになったとき、すでに入社25年を過ぎていました。

そして、僕はその時点でも管理職ではなく専門職を選んだために大きく出世コースを外れました。自分の企画が成功しても組織から評価を得ることは少なく、それどころか僕は「自分のやりたいこと」ばかり考えている“異端児”“問題児”というレッテルを貼られ、精神を病んでしまいます。皮肉なものです。長年鬱に悩まされていましたが、適応障害という医師の診断を受け、これ以上この組織で働き続けることは良くないと考え、退職を決意したのでした。

退職後も僕は常に「自分のやりたいことは何か」「自分らしさとは何か」を考え、活動を続けてきました。上手くいくこともありましたが、上手くいかないことの方が多かった。だけれども、「退職という判断は間違っていなかった」と今でも確信しています。

2024年も「自分のやりたいこと」「自分らしいこと」を模索して、前へ進んでいきたいと思います。この「演芸のまわり、うろちょろ。」は、その足跡として書き進んでいきたいと思います。