一龍斎貞鏡真打昇進披露興行、そして歌舞伎「天守物語」

お江戸日本橋亭の「講談土曜特選会 七代目一龍斎貞鏡真打昇進披露興行」に行きました。講談協会主催の披露目としては本日が千秋楽だ。

「奴の小万 生い立ち」神田あおい/「高野長英 水沢村涙の別れ」田辺鶴遊/「東京オリンピック入場行進」田辺鶴英/「曲馬団の女」神田すみれ/中入り/口上/「名人小団次 紅緒の草履」一龍斎貞花/「馬場の大盃」一龍斎貞鏡

口上の司会は鶴遊先生。鶴英先生は「(貞鏡の師匠であり父親の)貞山先生は講談協会のプリンスで、あまり口を利いたことがなかった」。2ツだけ覚えているのは、前座時代に大ネタを読んでしまい、「前座が読むべきネタではない」と叱られたこと。そして、自分の娘が田辺銀冶として講談師になったときに、「伝承の会」で娘の高座が「一番良かった」と褒めてくれたことだそうだ。兎に角、貞鏡ちゃんには大スターになってもらい、日本講談協会の伯山先生のように盛り上げてほしいと期待していた。

すみれ先生は「美の壺」というNHKの番組で講談を取り上げたときに、貞鏡ちゃんも私も出るので、気を遣ってくれて、「すみれ先生は何色の着物をお召しになりますか」と、色が被らないように問い合わせをしてくれた。「貞鏡ちゃんが好きなものを着てくれればいいから」と答えたら、後日に貞山先生から丁重な御礼を言われた思い出があると。私は2人の子育てをしながら講談を続けたが、貞鏡ちゃんは倍の4人の子育てをして頑張っている、大変だと思うが頑張ってほしいとエールを送った。

貞山先生逝去後、貞鏡を預かった師匠の貞花先生は、「お二人とも、貞山先生の思い出ばかり…貞山を偲ぶ会ではありません(笑)。私よりも9ツも若いのに、一昨年に亡くなってしまい、さぞ心残りだったと思います」。そして、私の使命は貞鏡に10年後、つまり十三回忌に、立派に「九代目貞山」を襲名させることと力強く言った後、「でも、私は今、八十四歳。そこまで生きていられるか」。貞鏡はお寺に嫁いだ、(弟子の)貞弥は実家がお寺、そして私は仏壇屋の倅、と冗談を飛ばしているのが微笑ましかった。元気で長生きしてください!

貞鏡先生の「馬場の大盃」。酒豪で名高い藤堂大学頭の酌の相手として、内藤紀伊守の屋敷の大部屋から選ばれた中間の三郎兵衛が一升五合入る盃を三杯続けて飲み干すという、その飲みっぷりが愉しい。「窮屈袋を脱いで、とぐろを巻く」、すなわち袴を脱ぎ捨て、胡坐をかく豪快さに、藤堂大学頭が「面白き奴」とすっかり気に入るところ、三郎兵衛の人間的な魅力が伝わってくる。

そして、眉間の傷の物語り。実はこの男、元は馬場美濃守の三男で、馬場三郎兵衛信綱という人物。大坂城落城の際に敵の侍の槍によって傷を負ったという。実はその敵の侍こそ、藤堂高虎と名乗って16歳で初陣に出た、若き日の大学頭だった…。まさに昨日の敵は今日の友!

藤堂は益々、この三郎兵衛が気に入り、さすがの紀伊守も大部屋の中間とは言えず、「400石取りの馬廻り役」と偽ると、藤堂は「400石では少ない。500石に加増せよ」。そして、実際に三郎兵衛は500石取りに出世したという…。酒は大いに飲むべし。大酒飲みの貞鏡先生らしい、豪快かつ目出度い高座だった。

夜は十二月大歌舞伎第3部に行きました。「猩々」と「天守物語」の二演目。僕は今年5月に平成中村座姫路城公演で、中村七之助が富姫を演じる「天守物語」を観劇したが、それに続く七之助主演の舞台である。

偶然だが、昨晩にフジテレビで放送された「密着!中村屋ファミリー」を観た。そこでは、平成中村座で「天守物語」の演出を担当した坂東玉三郎が半世紀近く磨いてきた富姫役を七之助に伝授している様子のドキュメントが流れていた。「おいそれとはできない」と中村屋兄弟が口を揃える演目だが、そこに七之助が食らいつき、玉三郎が実演してみせて、1日で11時間を超える指導をしている姿に感銘を受けた。

調べてみると、「天守物語」の戯曲は大正8年に泉鏡花が発表した。だが、鏡花が生前に上演されることはなく、初演は昭和26年の新橋演舞場での新派公演。その後、昭和30年に富姫役が六代目中村歌右衛門で歌舞伎として上演、その後歌右衛門が昭和47年までに3度歌舞伎座で掛け、その間に1度だけ四代目坂田藤十郎(当時は扇雀)が演じているだけだ。そして昭和52年に玉三郎が富姫役として初演、平成26年まで12度上演されているが、玉三郎以外に富姫を演じる役者はいなかった。それが、今年に七之助が玉三郎から薫陶を受ける形で富姫を引き継いだというわけだ。

幻想、幽玄、耽美。この芝居のイメージを端的に表わす言葉を探すと語彙力のない僕はこんな言葉しか出てこない。異界の者たちが住むと言われる天守の最上階の世界は怪しげではあるが、何とも言えない美しい魅力がある。

亀姫(玉三郎)が富姫に土産だと言って白い布に包まれた首桶を渡す場面。その首が血で汚れているので、舌長姥(勘九郎)が自慢の長い舌でその汚れを舐める。そして、天守の守り神である獅子頭の前にその首を供えると、獅子は大きな口を開けてこれを呑み込む。背筋がゾクッとする、このおぞましさが芝居を引き立てる。

後半は富姫と姫川図書之助(虎之介)が徐々に惹かれ合っていく、異界の住人と俗世間の住人の不思議な恋の展開に息を飲む。図書之助が天守に逃げ込み、「濡れ衣のために命を奪われるなら、富姫の手に掛かりたい」と言うと、富姫は一緒に生きようと優しく語りかけ、共に獅子頭の中に身を隠す…。小田原修理(坂東亀蔵)ら討手たちが獅子の目を刀で傷つけると、富姫と図書之助は目が見えなくなってしまう。亀姫から貰った生首を投げつけると、修理らは主君の首だと勘違いして逃げていく。天守の怪異とでもいうのであろうか。

最後は獅子頭を彫った名工・近江之丞桃六が姿を見せて、獅子の目にノミをあてたことで、富姫と図書之助は光を取り戻す…。天守の下の俗世間では戦が続き、醜い争いを繰り広げている愚かさを嘲笑うかのようだ。

「世は戦でも、胡蝶が舞う、撫子も桔梗も咲くぞ…馬鹿めが」。桃六の吐き捨てるようなこの言葉に、泉鏡花がこの戯曲にこめたメッセージが顕われているのだと思った。