超歌舞伎「今昔饗宴千本桜」、そしてわん丈ストリート「毛氈芝居」

十二月大歌舞伎第1部に行きました。「旅噂岡崎猫」と超歌舞伎「今昔饗宴千本桜」の二演目。「今昔饗宴千本桜」はPowered by NTT、中村獅童・初音ミク宙乗り相勤め申し候だ。

幕張メッセのイベント「ニコニコ超会議」で2016年4月に歌舞伎の魅力を若い層に接してもらおうと生まれたのが超歌舞伎で、そのときに「今昔饗宴千本桜」が上演された。古典歌舞伎と最新技術のデジタル演出の融合が大きな反響を呼び、「第22回AMD Award‘16」大賞の総務大臣賞を受賞した。

その後も17年「花街詞合鏡」、18年「積思花顔競」、19年「今昔饗宴千本桜」、21年「御伽草子戀姿絵」、22年「永遠花誉功」と上演を続け、22年は新橋演舞場、京都南座、名古屋御園座、福岡博多座で公演もされ、今回初めて歌舞伎座での上演となった。

これらの実績は、中村獅童の人並外れた情熱によってなし得たと言っても過言ではないだろう。筋書のインタビューでこう言っている。「江戸時代から流行り物を取り入れてきたのが歌舞伎。現代のものとして楽しんでほしいと始まった超歌舞伎が、念願叶って遂に歌舞伎座での上演となりました。古典歌舞伎の要素をたくさん盛り込んでいます。最後に客席がペンライトで溢れかえるのは、これまでの歌舞伎座にはなかったことでしょうね」。

そうなのだ。古典歌舞伎「義経千本桜」と最新デジタル映像技術を融合させて、バーチャル・シンガーの初音ミク演じる美玖姫と獅童演じる白狐の尊後に佐藤四郎兵衛忠信が共演するのは最大の売りではあるが、それ以上に獅童が力を入れたのは客席との一体感だった。

ペンライト(300円)はボタン一つで七色(役者によってイメージカラーがある)に変化し、もう一つのボタンを押すと「萬屋!」「初音屋!」という音声まで出る。芝居を観ながら、自由に観客が参加してほしいという思いだ。上演前には、獅童自らが舞台上でペンライトの使い方の説明や、どんどん掛け声をかけてほしいとコール&レスポンスの練習までした。

派手な立ち廻りや、獅童と初音ミクの宙乗り、桜吹雪など派手な演出満載で舞台は盛り上がったが、それ以上に獅童の熱血を見たのはカーテンコールだった。自らスタンディングオベーションを促し、「ありがとう!愛しています!」という獅童のメッセージに観客が「イエーイ!」と応える。それが何度も続き、獅童が「伝統と革新だ!こんな歌舞伎座、見たことないぜ!皆もよく目に焼き付けてくれ!」と叫んだ。

絵本「あらしのよるに」の歌舞伎化、オフシアター歌舞伎「女殺油地獄」の上演、そしてこの超歌舞伎…、中村獅童は歌舞伎界の革命児を自負している。

夜は水天宮前に移動して、「わん丈ストリート~三遊亭わん丈独演会」に行きました。「県民性」「毛氈芝居」「芝浜」の三席。開口一番は金原亭駒介さんで「道具や」だった。

「毛氈芝居」、ネタ卸しが大変に良かった。珍しいネタということもあるかもしれないが、それを丁寧に演じていた。いわゆる芝居噺で、高座の中で鳴り物が入り、江戸から来た中村座の役者が「蔦紅葉宇都谷峠」を演じるのだが、盲人の文弥と伊丹屋十兵衛の掛け合いが秀逸だった。これはよほど歌舞伎を普段から勉強しているに違いない。

注文を一つ付けるとしたら、マクラか。殿様が世間を知らないという噺だから、その仕込みのための小咄を3つほど演ったが、お馴染み「目黒の秋刀魚」のマクラと同じなので、小咄は1つで十分のように思った。

「芝浜」。3年後の大晦日の描写が良かった。更生した魚熊の口から出る「俺は当たり前のことをしているだけ」「若い奴にも言うんだ。遊びたいなら働けと」「魚屋ほど良い商売はない。美味いと言って客が喜ぶ。働くというのはいいもんだ」。これらを聞いて、女房は「もう革財布の50両の真実を伝えてもいいかな」と思うのだ。

夢じゃないの。私が夢にしたの。あれ、本当だったのよ。お願いだから、お終いまで聞いて。あのときは嬉しかった。助かったと思った。でも、世間の口は五月蠅い。お上に伝わる。だから、大家さんに相談したの。そうしたら、夢にしちゃえと。一年後に落とし主は現われず、お下げ渡しになった。でも、元の酔っ払いに戻るのが嫌で言えなかった。でも、もう戻らないと思った。こんな私を怒鳴ってください。ぶたれるのは嫌だけど、怒鳴ってください。私を許してください。

魚熊はそんな女房を怒鳴るどころか、感謝する。「ぶったら、罰が当たるぜ。お前のお陰で今の俺がいるんだ」。女房というのはありがたい。どっちが上とか、下とかはないと思う。夫婦がお互いの駄目なところを補ったり、直したり、持ちつ持たれつ。それが良い形じゃないかなあと「芝浜」を聴いて思った。