文楽十二月公演「源平布引滝」

文楽十二月公演「源平布引滝」を観ました。国立劇場が10月いっぱいで閉場し、今回は北千住にあるシアター1010での上演である。

一番の眼目は小まんの忠義心だろう。源氏方から白旗を託されたが、父親の九郎助一行に追いつこうとする途中で平家方に囲まれてしまう。白旗を渡すように迫られるが、持ち前の怪力で奮闘の後、降参すると見せかけて琵琶湖に飛び込んだ。

竹生島遊覧の段では、船を見つけて助けを求め、櫂を投げられて救ってもらい、涙を流して感謝したが、この船が平宗盛の御座船だった…。船に乗っていた飛騨左衛門が動揺している小まんを問い詰めるところへ、追っ手が漕ぎ寄せてきた。進退窮まった小まんだが、白旗は右手にしっかりと握り締めて離さない。すると、同じく船に乗っていた斎藤実盛がその腕を斬り払った。白旗を握り締めた小まんの腕は湖水に流れていった。

九郎助住家の段。九郎助と孫の太郎吉が草津川で魚を獲っていたところ、人の腕が網に掛かったという。その腕が握る白絹を九郎助が取ろうとするが、全く歯が立たない。だが、太郎吉が触れると、腕は白絹を手離した。何と!白絹は源氏の白旗で、腕は行方知らずになっている小まんの腕だった!何という執念よ。

そこへ斎藤実盛と瀬尾十郎が、九郎助が匿っている木曽義賢の奥方・葵御前が孕んでいるお腹の中の子どもが男か、女かを詮議しにやって来た。奥の間で葵御前が出産したとして、九郎助女房が錦の包みに包んで赤子を運んできた。すると、中身は赤子ではなく、人の腕!実盛はなぜか、それを疑わずに唐土の故事を引き合いに出し、腕が生まれてもおかしくないと言って、一時的に詮議が止まる。これも小まんの執念の御利益だ。

そこへ、漁師たちに発見された小まんの死骸が運び込まれてくる。実盛が試しに腕を接ぎ合わせると、霊魂が身体に戻ったのか、小まんが息を吹き返す!奇跡である。小まんは息子の太郎吉を呼び、葵御前と白旗の行方を案じると、再び息絶えた。一同が悲しみにくれていると、葵御前は産気付き、実盛が掲げた白旗の威徳もあって、無事に男の子が生まれた。駒王丸と名付けられた若君は、後の木曾義仲だ。これも小まんの忠義心の賜物と言えまいか。

それにしても斎藤実盛である。平家方と思っていたが、元は源氏方で、葵御前には旧恩ある身だったのだ。だから、葵御前から腕が生まれてもおかしくないと擁護し、瀬尾を言いくるめた。湖上で小まんの腕を斬った張本人だから、もしかすると死骸に接げると奇跡が起きるかもしれないと考えた。無事に葵御前が男子を出産すると、小まんの忠義に報いるため、その手を埋めて塚を築き、太郎吉には手塚太郎光盛と名乗らせ、若君の家来になるように執り成した。

そして、立ち去る際に太郎吉にとって自分は親の仇だから、太郎吉が成人する頃に歳月が経っても見違えぬよう、自らの白髪を墨で染め、今と変わらぬ相貌で相見えようと誓い、未来での対決を約束する。何とカッコいいのだろう。

そして、瀬尾十郎の存在も面白い。小まんが息絶えたとき、九郎助は小まんは実の子ではなく捨て子で、堅田の浦で拾ったとき、添えられていた合口には金刺という銘、書付には「平家何某が娘」とあったと言う。瀬尾が若君を奪おうと踏み込み、小まんの亡骸を蹴り飛ばした。すると、怒った太郎吉が母の形見の合口で瀬尾を刺す。虫の息となった瀬尾は、小まんの実の親であることを打ち明け、小まんを捨てざるを得なかった過去を語る。娘とともに手離した合口が、孫の手により自らの身を貫き返ってくる因果。

孫に手柄を立てさせるために、瀬尾は自ら首を打ち落とす。こうして、平家の名の知れた将を討ち取った功により、太郎吉は晴れて若君の家来と認められる。平家方、源氏方に分かれてしまっても、血を分けた孫への愛情に変わりがない。軍記物ではあるけれど、そこに流れる人情が描かれているからこそ、今日まで演じ続けられている浄瑠璃なのだと得心した。