日本浪曲協会十二月定席五日目、そして三遊亭兼好「文七元結」
木馬亭の日本浪曲協会十二月定席五日目に行きました。きょうはトリの東家三楽先生とモタレ(トリの前の出番)の港家小柳丸先生が図抜けて良かった。それに桃中軒雲右衛門生誕150年に相応しい演目を東家孝太郎先生が読んでくれて、これも良かった。
「亀甲組加太山」港家柳一・佐藤一貴/「和久半太夫」富士実子・伊丹けい子/「桃中軒雲右衛門 桃源の風雲児」東家孝太郎・沢村まみ/「元禄瓦版」鳳舞衣子・伊丹秀敏/中入り/「権助提灯」澤恵子・佐藤貴美江/「東京オリンピック入場行進」田辺鶴英/「侍子守唄」港家小柳丸・佐藤貴美江/「良弁杉」東家三楽・伊丹秀敏
孝太郎先生の「桃中軒雲右衛門」。三河家梅車の女房で相三味線だったお浜と駆け落ちした二代目繁吉。お浜も繁吉の才能に惚れ、この人は新しい浪花節を創る人だと見込んで、一緒に苦労しながら旅を続ける。桃中軒雲右衛門と改名して、京都から九州、西日本を渡り歩きながら腕を上げ、評判を取って、いざ東京へ凱旋。一世一代の芸をみせましょうと「南部坂雪の別れ」を朗々とした声で唸る様子が伝わってきた。天下を手にした祭文語り、これぞ世に問う浪花節!
小柳丸先生の「侍子守唄」。紀州和歌山の浪人、新八郎は藤太というヤクザ者に唆され、本郷にある伊勢屋夫婦の強盗殺人に加担してしまう。奪った200両のほかに、一人の幼い女の子が新八郎の懐に入っていた。藤太とは半分の100両を持って別れたが、新八郎は堅気の人物。残り100両をこの女の子の養育費として受け取り、お花と名付けて我が子同様に扱って育てよう、成長した暁には親の仇として討たれようと考えたのが武士らしい。
江戸を離れて遠州金谷宿で乳を恵んでくれた熊五郎夫婦が一軒の家を供与してくれ、新八郎は手習の師匠として寺子屋を開き、お花は針仕事で生計を立てる。16年後。藤太が新八郎の居場所を突き止め、無心にやって来る。金がないなら、十八歳になったお花を宿場女郎に売り飛ばせ、さもないと本郷伊勢屋殺しとして奉行所に密告すると強請る。新八郎は「明日の朝まで待ってくれ。20両都合する」と約束するが…。
そのとき、奥座敷でこの話を聞いていたお花が刀を持って現れ、藤太を刺し殺す。お花は新八郎が本当の父親ではなく、しかも実の両親を殺した人間だと判っていたのだ。「どうか、この首を刎ねてくれ」と言う新八郎に対し、お花はニッコリ笑い、「あなたが悪いわけじゃない。事の起こりはこの藤太。あなたは16年間育ててくれた大恩人。産みの親より育ての親」と言う。藤太殺しを自首するのは、私だ、いや私だ、と言い争っていると…正面の唐紙が開いて、「奉行自らが取り調べる」。このお奉行こそ、22年前に家出した新八郎の弟、新六郎!さあ、どうなる?で終わった。義理の父と娘の固い絆が心に沁みた。
三楽先生の「良弁杉」。畑仕事をしていたお沢が背負っていた我が子を鷲がさらって飛んでいってしまった。「戻ってくれ!」と半狂乱になって、血の叫びをあげるお沢だが、我が子は行方知らずになってしまった。夫の丹左衛門や隣家のお嶋が慰めるも、お沢の狂気は収まらなかった。
その30年後。山城国の茶店で、東大寺の大仏を参拝してきた客人が噂をしている。昔、子どもが鷲にさらわれたが、その様子を見た義淵僧正が呪文を唱えると、鷲はその子を離し、飛び去っていった。子どもは落ちてきて、受け止められ、かすり傷ひとつなかったという。その子は観音像の守り袋を持っていたそうだ。その子どもが、大仏を建立した今の良弁僧正だ、と。
この話を葦簀の陰で聞いていた婆さんが、生き延びていたお沢。その表情は正気に戻り、嬉しさに満ち溢れていた。そして、お沢は東大寺へ向かう。みすぼらしい姿のお沢を見た正門前の門番は「立ち去れ」と言うが、「良弁僧正を拝みに来た」と言うと、「あそこの千年杉の前を駕籠が通るから、こっそり覗いて拝め」と教えてくれた。「腹を痛めた子であってくれ」と願いながら覗くと、面影がある。「我が子じゃ!目に狂いはないはずだ」と言って、泣き崩れる。
その様子を見た良弁僧正がお沢から事情を聞く。「証拠の品でも?」「染め衣の袋の中に観音様があるはずです」「確かにこれは母の形見。あなたが良弁の母上様か!」「あなたも立派に成人なさった」。母子の感動の再会に胸がキュンとなった。
夜は内幸町に移動して「兼好集~三遊亭兼好独演会」に行きました。「高砂や」「紙入れ」「文七元結」の三席。開口一番は弟子のけろよんさんで「弥次郎」、ゲストは春風亭朝之助さんで「唖の釣り」だった。
「文七元結」。佐野槌の女将が長兵衛を説教するところ。長兵衛の身なりに、「私の知っている達磨横丁の親方はもっと粋な人だった」。八つ口の開いた女物の着物を「女形(おやま)がハバカリから出てきたみたいだね。流行りなのかい?」と嫌味から切り出すのが良い。
そして、博奕について。「仕事をうっちゃっておくくらい、面白いのかい?女房を殴ったり、蹴ったりしなきゃいけないくらい、夢中になるものなのかい?娘がこんなところに自分から身を売るようになるくらい、やらなきゃいけないものなのかい?」。長兵衛は穴があったら入りたいだろう。
50両を貸してあげることについても、厳しい言葉だ。「お金は借りましょう。娘は店に出さないでください。それでお前はどうするんだい?今後一切、博奕はやめて、足を洗って、一生懸命に働きます、だから娘は店に出さないでください、こんな当たり前のことが言えないのかい?」。
50両を渡すと、娘のお久に礼を言えと言われ、「こいつはあっしのガキですから」と長兵衛が返すと、鋭い突っ込みが入る。「世話になっているのはお前の方なんだ。お前の方がガキなんだよ!」。これで長兵衛は「もう博奕はやらない」と心底思ったろう。
吾妻橋、身投げするという文七を長兵衛が止めるところ。「お前の旦那はガリガリ亡者か?旦那に話をして、給金から少しずつ返していけばいいじゃないか」と説得するが、文七は「自分が情けないから飛び込むんです」と聞かない。
すると、長兵衛はあっさりと観念する。「どうしても死ぬのか?あべこべに金があれば死なないんだな?…わかった。持っていけ!50両ある。博奕で借金を拵えて、娘が自分から吉原に身を売った金だ。来年の大晦日までに返せば、娘は店に出なくていい。だけど、これで都合100両だ。さすがに返せない。娘は店に出ることもあるだろう。だけど、お前がドカンボコンと死んだら、かえって娘に怒られる」。長兵衛が実に江戸っ子らしい。
最終盤、近江屋の旦那と文七が長兵衛の住む長屋を訪ね、「50両は掏られたんではなく、置き忘れた」と言って50両を返済に来た後、近江屋が身請けしたお久を連れてくるところに、佐野槌の女将が登場したのが良かった。こう言う。「長兵衛さん、無茶するねえ。もし、50両が出てこなかったら、どうしたの?まあ、人助けになったからいいけど、お前さんらしいと言えば、お前さんらしいね」。一本気で、心優しい長兵衛を描いていると思った。