俺のコガネモチ

「俺のコガネモチ」に行きました。柳家三三師匠が「藁人形」、桃月庵白酒師匠が「黄金餅」、三遊亭白鳥師匠が「黄金餅池袋編2023」。開口一番は三遊亭東村山さんで「平林」だった。

主催のらくご@座さんのプログラムに、「藁人形」が「黄金餅」の前段であるという定説は特にありません、それもありかも…という落語的ファンタジーでのご案内です、そんなゆるさを含みつつの「黄金餅」ワールドをご堪能ください、と書いてあったのが素敵だと思った。

三三師匠の「藁人形」を聴いたのは2015年以来。糠屋の遠州屋の一人娘だったお熊が駆け落ちの末に千住の女郎屋の若松屋に身を落としてからの話。自分の父親に瓜二つだという乞食坊主の西念に対し、駒形の絵草紙屋を旦那が買い取ってくれるので一緒に“親孝行の真似事”をしたいという狂言…。それで西念から20両を騙し取るというお熊の何ともあくどい手口を知ったときの西念さんの心中いかばかりか。

そして、久しぶりに訪ねてきた甥の甚吉が、七輪に載った鍋の中を見ると、藁人形を油で煮ているという…。良心を逆に手玉に取られ、「呪い殺してやる!」という、西念さんの悔しい気持ちがよく顕われている。「釘じゃ効かないんだ。糠屋の娘だから」というサゲは落語的で洒落ているが、それ以上に怨念がこめられているように僕には感じた。

白酒師匠の「黄金餅」を聴いたのは2018年以来。「金に気が残る」というのは、こういうことを言うのか。あんころ餅の餡だけ食べて、餅に一分金、二分金を包んで口に放り込む西念さんの金への執着がすごい。

でも、それ以上にすごいのは金山寺屋で味噌を商う金兵衛の金への欲望だ。死んでしまった西念さんを火葬した後に、骨と一緒に焼け残るであろう一分金、二分金を独り占めしようと、麻布の木蓮寺で貧乏弔いを済ませた後は、他の長屋の連中を帰してしまう。

他の誰にも一銭も渡してなるものか、という強欲。西念さんの死骸を火葬場に預けて、夜明けに焼き上がるのを待って再び現れた金兵衛。西念さんの骨など見向きもせず、味錐包丁で腹に残っている金を一つ残らず夢中で拾いあげる金兵衛の様子を描くこの噺は、人間の欲望、金への執着を描いた最高傑作だなあと思った。