落語一之輔春秋三夜 第二夜

「春風亭一之輔独演会 落語一之輔春秋三夜 2023秋」第二夜に行きました。「饅頭こわい」「水屋の富」「中村仲蔵」の三席。開口一番は春風亭㐂いちさんで「蔵前駕籠」だった。

「饅頭こわい」。恐いものが“意識高い系”で愉しい。戦争?差別?究極は人間かな。百足(むかで)は100本も足があるなんて無駄、SDGSの世の中に。カブトムシのメスは角が無くて可哀想、ジェンダーフリーの世の中に。象の目が身体の割りに小さい、ルッキズム反対!

饅頭もバリエーション豊富で面白かった。阿闍梨餅、十万石饅頭、ひよこ、もみじ饅頭、萩の月、かるかん饅頭、岸田くん饅頭…。

「水屋の富」、ネタ卸しとは思えない素晴らしい出来だった。疑心暗鬼というか、被害妄想というか、富くじで千両当たった水屋の清兵衛さんが神経衰弱していく様子を実に丁寧に描いていた。

お立替料の2割を引かれて貰った800両を股引の中に入れたが、さてどこに仕舞うか。押し入れの桑折、天袋、水瓶…皆、泥棒に見破られそうで、縁の下の柱に括り付けることに。ちゃんと盗まれずにあるか、確認するために、竹竿で突いて、コツンコツンという音で安堵する行為を何度も繰り返すことが、最終的に仇となるのだが…。

夢の中では泥棒に凄まれたり、大家さんが小豆相場に手を出して失敗して長屋を売り払うために店立てを食らう長屋の衆に代わりに買ってくれとせがまれたり、吾妻橋で800両すられたので身投げをしようとする文七に出会ったり、ウンウンとうなされて安眠できない清兵衛さん。夢から覚めると、竹竿でコツンコツン。ホッとする。

商売に出掛けても、大家さんが「お稼ぎを」と挨拶する言葉に過剰に反応したり、下駄屋の器量良しのおかみさんに会うと「あんな顔して盗賊の女統領かも。油断できない」と思ったり。糊屋のばあさん、見慣れない犬、三人集まってひそひそ話、すべてが疑わしく思い、家に戻って竹竿でコツンコツン。ホッとする。

寝ても覚めても気が気じゃない清兵衛さんに同情してしまう。だけど、水を運んで売るという辛い商売を辞めたいという思いで富くじを買ったんじゃなかったっけ。こんなことなら当たらない方が良かったのかしら。町内のゴロツキにまんまと800両盗まれて、「ああ、これでぐっすり眠れる」と言うのは皮肉だよなあ。金を持ちつけない人間の悲哀がよく出ているなあと思った。

「中村仲蔵」。仲蔵の女房お岸が良い脇役になっている。五段目、山崎街道の斧定九郎という役にガッカリしている仲蔵に対し、「上に何か考えがあるのかもしれないよ。私はお前さんの定九郎を見てみたいよ」と励ます言葉があったから頑張れたのだと思う。

妙見様への願掛けの帰り、雨に降られて飛び込んだ蕎麦屋で出会った旗本の三村新次郎。その身なりを見て、仲蔵は「いい形だ」とひらめき、「これも妙見様の引き合わせだ」と感謝する。山賊なのに全身白塗り。これまで見たこともないような斧定九郎の役作りをする仲蔵を見て、周りの役者は「気が違ったんではないか」と思う。天才というのは得てしてそういうものだと思う。

花道から出てきた“見たことのない斧定九郎”の凄さに圧倒され、観客は声が出ない。唸る。それが「潮騒のように舞台に押し寄せる」という表現がとても良いと思った。仲蔵は「しくじった。やり損った」と途中で思ったが、「これで舞台の踏み納め」と、投げずに最後までやり通すところが、天才役者なのだろう。

決心をしてお岸と別れ、上方へ旅立とうとする仲蔵が耳にした道端の爺さんの言葉。「五段目、山崎街道を見なきゃ、江戸っ子じゃない。いい定九郎だった」。この言葉で仲蔵はどれほど救われたことか。この後の師匠の伝九郎が「大変な評判だ。よくやった!後の役者の手本になる」と言った褒め言葉も嬉しかったろうが、道端の爺さん=民衆の声が仲蔵を力づけたことは間違いない。そして、その喜びをまず最初に女房のお岸に伝えたいと思ったことが美しいと思った。

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