柳枝のごぜんさま、そして一龍斎貞鏡真打昇進披露興行
「柳枝のごぜんさま~春風亭柳枝勉強会」に行きました。「強情灸」「河豚鍋」「宿屋の富」の三席。
「強情灸」。峰の灸に行った男の体験談。「まさか、やりやしないと思って言ったら本当にやりやがった」、32個いっぺんに据えるという…、背中に爆弾が落ちたよう、カチカチ山の狸という表現がぴったりだ。その話を聞いた負けん気の強い男は腕にもぐさを握り飯の大きさにして腕に乗っけて、線香でなくて炭火で着火するとは!「腕に穴が開いちゃうよ」に対し、「浅間山だよー!熱くも何ともない」。石川五右衛門や八百屋お七も顔負けの強情を笑う。
「河豚鍋」。ふぐは大阪で「てっぽう」というのは、“たまに当たる”から、と。幇間ではなく「大橋さん」が旦那を訪ねる型、温泉巡りの旅の土産に「東京バナナ」というのが可笑しい。鍋の中を覗き、豆腐、しらたき、白菜…、この白いのは何ですか?河豚は食いたし命は惜しし。乞食で試すというのも、コンプライアンスの世の中ではNGなのかしら?安心して食べた後の、締めの雑炊が美味しそう。鍋で身体を温める季節になったね。
「宿屋の富」。大ぼら吹きの男が愉しい。850人の奉公人がいて、蔵の千両箱の数を勘定するのに18年かかった、泥棒が15、6人で入って一晩で千両箱をたったの80しか運べないとは情けない、漬物に沢庵石は使わずに千両箱を使う…。
富の当日の湯島天神風景。「二番富が当たる」男の妄想も楽しい。縮緬で長い財布を作って、そこに二分金で500両を全部入れて、女郎買いに行く。馴染みの女郎にドン!と叩きつけて見せて、そのまま身請け。酒、鰻、天婦羅、刺身の膳を用意して、食べる→寝る→湯に行く→食べるの繰り返し。当たらなかったら、うどん食って寝ちゃう!
で、子の千参百六拾五番が当たったところ。「近いね…当たらないもんだね…ん?どこが違うの?」と言いながら、何度も指差し確認して、「アタ!タ!タ!タ!」。気も狂わんばかりの喜びようが面白い。年末ジャンボ宝くじ、買うかな。
夜はお江戸日本橋亭の一龍斎貞鏡真打昇進披露興行に行きました。
「お坊稲川 夫婦相撲」一龍斎貞弥/「天保水滸伝 笹川繁蔵の生い立ち」田辺南北/「柳沢昇進録 お歌合せ」桃川鶴女/「人情匙加減」宝井琴調/中入り/口上/「寛永三馬術 出世の階段」一龍斎貞花/「柳生二蓋笠」一龍斎貞鏡
口上で、琴調先生は「この披露目を(父親である)八代目(貞山)に見て頂きたかった」。八代目が亡くなったとき、貞鏡さんの落胆は相当なもので、横から声も掛けられなかった、でも自力で踏ん張り、立ち上がった、これがすごいと讃えた。そして用意してあった緑の大きな達磨を袖から持ってこさせて、「大願(九代目貞山襲名)まで、さらに踏ん張ってほしい。その大願成就の願いをこめましょう!」と言って、観客の前で貞鏡先生が片目を入れたのが印象的だった。
八代目貞山の遺志を引き継ぐ形で、貞鏡先生の師匠になった貞花先生。「八代目より私の方が7歳年上なんですが、73歳で亡くなってしまった。(貞鏡先生の)祖父、七代目貞山は貞鏡の名跡で真打に昇進し、後に貞山を襲名したが、59歳で亡くなった。その祖父の形見の羽織を持っていたので、彼女に渡した」と言った後で、真打になるタイミングで「(九代目を)襲名するか?」と言ったら、貞鏡は「まだまだ勉強不足です」と遠慮したというエピソードを披露。(父親の)三回忌で真打昇進をしたのだから、次は十三回忌で九代目襲名でいかがでしょうか?と客席に問いかけ、万雷の拍手が起こったのには感動した。
貞鏡先生の「柳生二蓋笠」。15年前、国立演芸場のかぶら矢会で父の貞山が「怪異談 牡丹灯記」を読んだのを聴いて、「講談師になろう!」と決意したと振り返り、きょうは初めて父に稽古を付けてもらった読み物をやります、と。
父の柳生但馬守宗矩に勘当された三男の又十郎が、出羽の天狗の許で7年間修行し、江戸へ戻り、父にその実力を認められるという物語。伯父の大久保彦左衛門の作戦も宗矩は見破っていて、“山男”が自分の息子の又十郎だと判っていたというところに、親子の関係性の素晴らしさを見ることができる。
この素敵な“親子の物語”を自分の真打昇進披露興行の初日の高座に持ってきたところに、貞鏡先生の並々ならぬ決意のほどが窺い知れる。実に素晴らしい高座であった。