柳家三三独演会、そして代官山落語夜咄 立川吉笑

柳家三三独演会~冬~に行きました。「二番煎じ」と「幾代餅」の二席。開口一番は柳亭市童さんで「紙屑屋」だった。

「二番煎じ」。町内の人々の賑やかな感じがよく出ている。火の用心~の掛け声、黒川先生の謡の調子はお約束だが、浪花屋さんが浪曲で唸るが可笑しかった。金久さんが若い時分に親父をしくじって、吉原で火の廻りをしていただけあって、「火の用心、さっさりあしょう~」と玄人はだしの掛け声、これをきっちり聴かせてくれた。煙管の雨が降るようだあ。

番小屋に戻って、煎じ薬という名の酒盛り、猪鍋を囲む楽しさ。月番さんが「この人達なら愉しい、と思って組み分けしたんです」と種明かしをするのに、合点!見廻りの役人がやって来て、宗助さんが鍋の上に座ったところ、「気が遠くなる」というのも可笑しい。役人が猪肉を食し、「味は良いが、汁気がほしい」に対し、宗助さんが「(褌を)絞りましょうか?」も面白い。

「幾代餅」。清蔵が絵草紙屋で錦絵の幾代太夫を見て恋煩いをしてしまうというのが、本当に純情なんだなあと思う。で、1年後に念願叶って幾代太夫に会えたとき、「今度、いつ来てくんなますか」と問われ、すぐに搗き米屋の職人であることを白状して、「1年経ったら、会ってください。それが叶わないと、働くこともできない、生きてもいけない」と思いの丈を述べる清蔵。これに対し、幾代太夫が「野田の醤油問屋の若旦那でないことは判っていました。おまはんの目は他の殿方と違って、綺麗だった」と言う台詞にドキッとした。

翌朝。自分は来年3月に年季が明けるので、おまはんの女房にしてくんなますか?と清蔵に訊く幾代太夫。「こんな風に真を打ち明けてくれた人はいなかった。その心意気に惚れんした」。証拠の印に50両貰った清蔵は、夢でも見ているような気持ちだったろう。同衾する前と後に分けて、二人が惹かれ合う様子を描いたのがとても良いと思った。

帰宅して、「晴れたら空に豆まいて 代官山落語夜咄 立川吉笑」の配信を観ました。「見たことも聞いたこともない虫」「手動販売機」と吉笑ファンには懐かしい二席を演じた後の広瀬和生さんとのトークが大変興味深かった。立川談笑師匠の二ツ目時代、そして真打トライアル、真打昇進披露のことなどを広瀬さんが実によく記憶していて、有意義な時間だった。

今月8日の真打トライアルで真打昇進が内定した吉笑さんは、2010年11月に談笑師匠に入門、僅か1年5カ月の前座修行で2012年4月に二ツ目に昇進した。僕はその年の10月に国立演芸場で開催された立川吉笑二ツ目昇進記念独演会から、吉笑さんの高座を観始めた。このときの高座は「狸の恩返しすぎ」「ふすま屋」「舌打たず」、ゲストが談笑師匠で「片棒・改」だった。思い返すに感慨深い。

「見たことも聞いたこともない虫」。これは前座のときに初めて創った新作落語だそうだ。僕は2020年のコロナ禍で吉笑さんがはてなブログで配信した高座を観ている。吉笑さんの持ち味であるロジックで攻め続ける落語、前座のときに創ったとは思えない素晴らしい一席だし、だからこそ談笑師匠は異例のスピードで二ツ目に昇進させたのだということが納得できる。概念だけを、これでもか、これでもか、と押し続けることで落語として成立させてしまう、吉笑さんの“芸の力”の一端を見た。

「手動販売機」。これも僕が吉笑さんにはまった時期に頻繁に掛けていた印象があって、これは発想のユニークさが光る一席だ。節電のため、あえてアナログにして、コカ・コーラの自動販売機の中に人間を入れて、お金の受け取り、商品の提供を手動で行うという…。「小銭を受け取るために手をお椀の形にする」とか、「商品が出てきたことに気付いてもらうために、口でガッシャン!と言う」とか、先輩社員に「機械の気持ちになれ!」と言われることが不条理ではなく、納得のいく言葉になっている面白さがすごい。挙句に、爽健美茶と太陽のマテ茶の2本同時押しが、新入社員を試す試験だったとは!

真打になっても、さすが吉笑師匠!と唸る創作落語を沢山高座に掛けてくれるだろう。益々楽しみである。