講談協会定席 一龍斎貞弥「血染めの木履」
上野広小路亭の講談協会定席に行きました。
「しばられ地蔵」一龍斎貞鏡/「違袖の音吉」神田春陽/「山東京伝」宝井琴星/中入り/「生か死か」田辺凌鶴/「血染めの木履」一龍斎貞弥
貞鏡さん、大岡名裁き。奉行が口の利けない業平橋の因果地蔵尊を召し捕って、取り調べるという愚行を自ら演じることによって、庶民の笑い者になるのには理由があった…。集まった野次馬300人が科料として提出する晒の流通ルートの元を探れば、盗難に遭った晒55反の真犯人が見つかるであろうという知略、あっぱれ。
居眠りをして盗難に遭った山形屋手代の喜之助の身の潔白も晴れ、大岡様が仲介して店のお嬢様・おはまとの身分違いの婚礼も見事に成立するハッピーエンドなり。昔は木綿問屋が卸す晒すべてに、山形屋源左衛門なら「入り山形に源」という風に店の刻印が入っていたというのがカギとなるのは、現代の高級腕時計のシリアルナンバーと共通している知恵である。
凌鶴先生、大師匠南鶴作品。絶望して死を覚悟したゴム屋の社長・高橋金兵衛と、シベリアの辰こと山瀬辰造という青年の運命の巡り合わせに思いを馳せる。特攻隊として戦死した息子・孝太郎と戦友だったという偶然。そして金兵衛は真っ当に働くことを誓う辰造と親子の契りを交わす…。戦後の混乱期における美談に胸が締め付けられる。
貞弥先生、真壁平四郎の志の高さに敬意を表する。良かれと思ってしたことが、逆に伊達政宗の怒りを買ってしまった。平四郎は自分の眉間に傷をつけ、血に染まった下駄、木履(ぽくり)を心に仕舞って、いつか自分は名僧になって、この恨みを晴らしたいと考えたが…。
比叡山で7年修行し、京都の天龍寺へ。さらに唐土に渡って、僧侶として精進をして帰国。時の帝の病平癒の祈祷をする僧に選ばれ、平癒叶うと紫の衣を与えられ、雲居禅師の名を貰う。その修行の支えとして、あの血染めの木履が懐にあった。
だが、ここで禅師は考える。恨みを晴らそうというのは心得違いではないか。寧ろ、政宗のお陰で今日の出世があるのでないか。人の道を説く僧がそんなことにも気づかないとは愚かなことだ。
そして、政宗は松島の瑞巌寺修復の折り、この寺の住職に誰を迎えるか考えた。西に名高い雲居禅師にお願いしたい。平四郎こと雲居禅師がやって来たとき、古びた下駄、そう、あの血染めの木履が供えられた。禅師が言う。「この下駄と眉間の傷に覚えはありませんか?お懐かしゅうございます。草履取りだった平四郎でございます」。
初めて思い出す政宗。今や62万石の大大名はただただ、あの時の勘違いを詫びるしかない。だが、雲居禅師は罵るのではなく、感謝の言葉を贈る。「ここまで来られたのも、あなたのお陰です」。そして、かつての主従関係は逆転し、師弟の関係を結んで、政宗は雲居禅師を心の師と仰いだという。一念岩をも通すとは言うが、穏やかな禅師の心持ちはそれ以上に人間として素晴らしい。感嘆した。