講談協会定席、そして扇辰・喬太郎の会

上野広小路亭の講談協会定席に行きました。

「小万源五兵衛」田辺いちか/「夫婦餅由来」宝井琴鶴/「お菓子放浪記」神田香織/中入り/「安兵衛駆け付け」一龍斎貞橘/「錦帯橋物語」神田織音

いちかさん、素晴らしい高座。女歌舞伎の役者である琉球家小万が、薩摩から逃げて来た菱川源五兵衛を匿い、長崎奉行から守る心意気に惚れる。源五兵衛から渡された厨子からキリシタンのサンタ・マリア像が出てきたことから小万は源五兵衛逃亡に加担した容疑をかけられ、自害をするが…。

小万自害の報せを受けた源五兵衛が駆けつけ、切腹しようとするが、そこに生きた小万が現われる。仲に入った林要らの機転による、“小万自害”は奉行を騙す作戦だったのだ。心を一つにした小万と源五兵衛は夫婦になり、共に三味線弾きとして生き、薩摩浄瑠璃で活躍した。今の大薩摩の元祖とも言われるという。

琴鶴先生、感動的。横綱・梅ケ谷の贔屓になり、相撲道楽で散財して、玉川屋という餅屋を潰してしまった幸助。もう相撲とは縁を切ると約束して、女房のお玉は芸者勤めをすることになり、60両を貰って餅屋再興を誓うが…。

梅ケ谷と偶然出会った幸助は事情を話すことができず、弟子の梅ヶ浜の入幕祝いに50両を渡してしまう。もうこれで駄目だ、と観念した幸助夫婦の許に梅ケ谷が花形力士を大勢引き連れ、開店祝いに50両を持参。夫婦餅として売り出して大層繁盛したという。横綱は贔屓に対しての恩を忘れていなかった、というのが嬉しい一席だ。

織音先生の素敵な創作。暴れ川と異名をとった錦川に橋を架けるという岩国領の悲願達成の裏では、三代目領主・吉川広嘉と総棟梁を任された児玉九郎右衛門との間の深い信頼関係があったことが、よく伝わってきた。

広嘉の「わしの橋になってくれんか」、そして「明日に架ける橋を作るのだ」という台詞に児玉は激しく心を動かされたのではないか。10数年掛けて完成した錦帯橋が、たった8ヶ月で洪水により壊されてしまった。多くの者たちが児玉の咎だと思ったが、広嘉は違った。「再建はいつだ?」。

切腹を覚悟していた児玉に、「そなたでなく誰に勤まる?」と声を掛け、壊れたら築き、壊れたら築きを繰り返せばいい、これは明日へ、明日へと時を繋ぐ橋なのだと言い切る広嘉が素晴らしい。そして、次に架けた錦帯橋は200年を超える耐久性を誇り、その技術は現在まで連綿と続くという。あっぱれだ。

夜は国立演芸場に移動して、「扇辰・喬太郎の会」に行きました。国立演芸場が10月いっぱいで建て替えのために閉館するため、“初代”国立演芸場では最後の公演になる。

「道具屋」入船亭辰ぢろ/「強情灸」柳家喬太郎/「甲府い」入船亭扇辰/中入り/「風呂敷」入船亭扇辰/「やとわれ幽霊」柳家喬太郎

扇辰・喬太郎の会は当初、池袋演芸場やお江戸日本橋亭などで開催されていたが、平成18年10月から国立演芸場での開催になった。第49回から、きょうの第82回までおよそ17年にわたって国立演芸場にお世話になったわけだ。僕はその第49回のことをはっきり覚えている。仕事が終わらなくて遅刻して行ったのだが、会場に到着したときが終演時で、一緒に観るはずだった妻が出てきて、「(喬太郎師匠が)『肥辰一代記』を演ったよ」と教えてくれたことは鮮明な記憶に残っている。

この二人会の趣旨はネタ卸しをお互いにすることで、きょうは扇辰師匠が「風呂敷」、喬太郎師匠が「強情灸」をネタ卸しだった。だが、それよりもトリに上がった喬太郎師匠が国立演芸場の思い出を被らせるように掛けた「やとわれ幽霊」が非常に印象に残った。消え去っていくものへのノスタルジーとでも言えばいいのだろうか。

自分たちが通った小学校が廃校になり、取り壊しになると聞いて、50代になった同級生3人が別れを惜しんで、その小学校に忍びこむ。すると、100年の歴史と共に潜んでいた“学校の幽霊”が現われ、次々と彼らの思い出をより鮮明なモノにしていく…。

その学校の卒業生、勤務していた教師はもちろん、出入りの業者や生徒の親までも含めた、その学校への想いをその幽霊は背負って歩んできた。そういう忘れたくない思い出がいっぱい詰まっている建物が壊されるのは辛い。でも、幽霊は言っていた。「後ろばかりを振り返っても駄目だ。前を向いて歩かなくちゃ」。

初代国立演芸場さん、沢山の思い出をありがとうございました。そして、6年後?に誕生するであろう二代目国立演芸場さんとまた新しい思い出を作っていきたいと思います。