柳枝のごぜんさま、そして「一本刀土俵入」二幕五場

「柳枝のごぜんさま~春風亭柳枝独演会」に行きました。「野ざらし」と「三枚起請」の二席。

「野ざらし」は、本来のサゲ「あれは馬の骨だったのか」までのフルバージョン。八五郎が妄想を広げ、一人気違いを繰り広げるところ、最初は迷惑していた周囲の釣り客が「面白いから、見ていましょう」と見物するくらい、可笑しい。♬鐘がゴンと鳴りゃあ、上げ潮南さ~と陽気にサイサイ節を唄うのが、柳枝師匠はとても明るくて、徹底的に馬鹿馬鹿しくて、聴いているこちらも愉快になる。

骨に酒をかけて、滅茶苦茶な手向けの句を詠んで回向したのを聞いていた幇間が夜になって八五郎宅を訪ね、ヨイショを連発するのも愉しい。時間の関係もあるから寄席の高座15分では無理かもしれないが、「野ざらし」フルバージョンは他の噺家さんももっと演ってほしいと思った。

「三枚起請」。どうしてこの三人の男は喜瀬川にコロリと騙されちゃうのかなあ、と男の哀しい性みたいなものを感じる。棟梁が「これは広告かと思った」というのはまさにその通りで、花魁稼業は男を騙すのが商売かもしれないが、起請文を何枚も書いて配るというやり口はいくらなんでも頂けないと思う。

あと、僕が個人的に好きなのは、茶屋の女将と棟梁のやりとりを見て、唐物屋の若旦那の伊之さんが「俺、喜瀬川じゃなくて、あの女将さんがいいや」と言うところ。それから、前を歩いている雌犬一匹と雄犬三匹を見て、「あの犬も起請を貰ったのかなあ」と言うところ。こういう、昔からあるんだけど思わず笑ってしまうフレーズの可笑しさは、柳枝師匠の腕なのだろう。

夜は秀山祭九月大歌舞伎夜の部に行きました。二世中村吉右衛門三回忌追善である。「菅原伝授手習鑑 車引」「連獅子」「一本刀土俵入」の三演目。

「一本刀土俵入」は、主役の駒形茂兵衛を松本幸四郎が初役で挑む興行だったが、20日から体調不良により休演、中村勘九郎が代演した。しかしながら、勘九郎の茂兵衛も素晴らしかった。

取手宿我孫子屋よりお蔦の家軒の山桜までだが、序幕第一場の取手の宿が好きだ。喧嘩に巻き込まれた取的の茂兵衛に、その目の前の茶屋旅籠、我孫子屋で酌婦をしているお蔦が二階から声を掛ける出会いが素敵だ。当初はからかい半分に声を掛けたお蔦だったが、純朴な茂兵衛の人柄に惹かれて互いの素性と身の上を語り合う。

茂兵衛は立派な関取になろうと、上州を出て相撲部屋に入門したが、見込みがないとお払い箱になり、満足にモノを食べていないと明かす。頼りない茂兵衛だが、母親の墓前で横綱土俵入りを見せる夢を捨てていない。再び入門を許して貰おうと江戸を目指しているという。

お蔦は茂兵衛の身の上話を聞き、故郷の越中八尾で暮らす母親を思い出し、小原節を口ずさむ。そして、立ち去ろうとする茂兵衛に対し、手持ちの金子や櫛や簪までも渡し、立派な横綱になるよう励ます。茂兵衛はお蔦への恩返しのためにも、修行を積んで必ず横綱になり、土俵入りを見てもらうと誓う。二人の寂しさと優しさが相まって、人の心の温かさを思う。

10年後。大詰第二場のお蔦の家。お蔦は宿場外れの高台にある荒れ果てた一軒家に、娘のお君と暮らしている。そこへ、行方知らずとなっていた夫の辰三郎がイカサマ博奕をやらかして、追われて逃げ込んでくる。親子三人の再会を喜んでもいられないが、そこに現われて恩を返しに来たのが、茂兵衛だ。横綱の夢は破れ、渡世人に身を落としてはいるが、とても人情深いのは昔のままだ。

恩返しだと言って、10両の金をお蔦親子に渡し、辰三郎を追っている波一里儀十以下、数人の男たちを叩きのめして、お蔦たちに早く逃げるように言う。

駒形茂兵衛は力士としては成功しなかったが、こうやって身体を張ってお蔦に恩返しをしたことで、10年前の“横綱土俵入り”の約束を十分果たしたのではないか。少なくともお蔦には心に焼き付く“晴れ姿”だったように思う。