祇園祭礼信仰記「金閣寺」、そしてさん喬あわせ鏡 月の巻

秀山祭九月大歌舞伎昼の部に行きました。二世中村吉右衛門三回忌追善である。「祇園祭礼信仰記 金閣寺」「土蜘」「二條城の清正」の三演目。

「金閣寺」は1966年10月の「二代目吉右衛門襲名披露」で上演された。吉右衛門が此下東吉、初代松本白鸚が松永大膳、六世歌右衛門が雪姫だった。その後、吉右衛門は大膳も勤め、国崩しらしい圧倒的な大きさを示した、と小玉祥子さんが筋書きの「受け継がれる初代、二代目の思い」に書かれている。

今回は松永大膳を中村歌六、此下東吉を中村勘九郎、雪姫を中村米吉と中村児太郎がWキャストで務めている。(僕が観劇したきょうは、児太郎)

この芝居の見所の一つは「碁立」。大膳が東吉との碁の勝負に負けて機嫌を悪くしたところ、大膳は東吉の才知を試そうと碁笥を井戸の中に投げ込み、手を濡らさずに拾うように命じる。すると、東吉は筒樋を外して傍らの滝の水を井戸へ注ぎ、浮かび上がる碁笥を扇で取り上げる。

そして、碁笥を小田春永の首に見立てて、碁盤の上に置いて差し出す。その機智を大膳は大いに気に入った。最終的に大膳を欺くために、まずはその懐に飛び込む東吉、さすがである。

もう一つは「爪先鼠」だ。雪姫は大膳が持っていた刀から、この男が父の仇と知り詰め寄るが、逆に大膳によって雪姫は縄で桜の木に縛られてしまう。そのとき、祖父の雪舟が幼少時に修行を疎かにした戒めとして柱に縛られたが、流した涙で描いた鼠が縄を食い切ったという故事を思い出す。

降りしきる桜の花びらを集め、爪先を筆、流した涙を墨に見立てて鼠を描くと、鼠が現われて縄を食いちぎってくれる。この奇跡が後押しになって、東吉が雪姫の危機を救い、秘伝の倶利伽羅丸を持って雪姫は夫の狩野之介直信のいる船岡山へ向かい、大膳撃退の糸口となる図はファンタジーでもある。

夜は「さん喬あわせ鏡 月の巻」に行きました。昨夜に続き、二夜連続の独演会だ。「応挙の幽霊」「お若伊之助」「宮戸川(上)」「笠碁」の四席。

「応挙の幽霊」。5円で仕入れた幽霊画が、お得意の旦那に90円で売れ、喜んだ道具屋。「これで女房の七回忌もできる」と、その掛け軸を床の間に掛け、線香を炊いて、ささやかな酒盛りを独りでしていると…。

何とその幽霊画は円山応挙の筆によるものだった。で、絵から女性の幽霊が飛び出した。余りに綺麗なために女性や子供に評判が悪く、長いこと床の間から外され、箱の中に入れられ、暗い蔵の中に仕舞われていた。それが、こうやって今、酒肴、そして線香で功徳され、感謝の気持ちでいっぱいで絵から出てきたのだという。幽霊は道具屋に御礼をしたいと、お酌をする。

さらに幽霊が「私も一杯飲みたい」と言い出して、酔っ払って上機嫌になり、都々逸などを唄い始めてからが面白い。この幽霊、酒癖が悪くて、悪酔いをして、掛け軸の中で眠ってしまうのだ。美人の幽霊と言うと、おどろおどろしいイメージがあるが、この幽霊は凄く人間的な愛すべきキャラクターで、そこが愉しかった。

「お若伊之助」。さん喬師匠で聴くのは初めてだと思う。この噺、伊之助に化けた狸が毎晩、根岸のお若のところに忍んでやって来て、それを見つけた根岸の伯父が伊之助の後見役である鳶頭に報告し、根岸の伯父と両国の伊之助を何度も行き来する、その鳶頭の粗忽っぷりが愉しいと思っていた。だが、さん喬師匠の重点は寧ろ、その前、なぜにお若が一中節を習いたいと思うようになったのか、そして母親がなぜ伊之助を遠ざけようとしたのかに置かれていて、それがとても興味深かった。

江戸で一、二を争う生薬屋、栄屋。旦那が亡くなってまだ1年も経たないのに、女将さんは一人娘お若に婿を貰うことに一所懸命に。だが、お若は気乗りしない。そうこうしているうちに、本家の次男坊を婿にすることに決まった。お若は元気がない。

お若を元気づけようと、出入りしている鳶頭の勝五郎がちょっとかじったことのある一中節を聴かせたら、とても気に入ってもらえた。亡くなった父も江戸浄瑠璃と呼ばれる、その芸を習っていた。そして、お若が母親に一中節を習いたいと願い出る。そこで鳶頭に相談すると、渡りに船、弟同様の付き合いをしている伊之助という師匠がいるので紹介し、伊之助が教えに栄屋に出向くことに。

何度か稽古をすると、おさらい会をしましょうということになり、親戚や知り合いなどを呼んで、お若は上達した芸を披露した。三味線を弾く伊之助と歌うお若は一対のお雛様のようで、その美しさも相まって、桂川を一段披露すると、招待客は喝采した。

ここで要らぬ心配をしたのが、母親だ。お若と伊之助との間に何もやましいことはないのに、変に胸騒ぎがした。お若が伊之助のことを師匠と呼んでいたのが、いつしか「伊之さん」と呼ぶのも気になった。

そこで、女将さんは鳶頭を呼んで、「これを師匠に」と50両を渡した。今後、お若と会ってほしくない。栄屋の暖簾もくぐってほしくない。二人の間には何もないのに、手切れ金が渡された。女将の言い分はこうだ。

何もありゃあしない。あっちゃ、困る。もし芸人とどうこうという噂が立ったら、本家の次男坊の婿入りの話も破談になってしまう。何かあってからでは遅い。二度と来ないでください。

単なる母親の心配性。だが、鳶頭はそうは思わない。伊之助に言う。「よくも人の顔に泥を塗ってくれたな。俺の大恩人の娘さんに何で手を付けた?」。根も葉もないことに、伊之助も戸惑う。「指一本触っていません。手も握っていません。鳶頭は私の大恩人。裏切ることなど出来ない。芸人の本分は心得ている。お若さんのことは好きだが、それはハナから諦めている。芸人風情が叶わぬことです」。

きっとお若も伊之助のことが好きなのだろう。(だから、伊之助に化けた狸が出る)。お互いに好いた者同士、何かあってからでは遅いという母親の気持ちも判らないでもない。そういう悲恋の形の「お若伊之助」は初めて聴いた。伊之助には最初から何の非もなかったことを、とても辛く思った。