俺たちの圓朝を聴け!牡丹灯籠 第1回

「俺たちの圓朝を聴け!牡丹灯籠」第1回に行きました。立川談春師匠と柳家三三師匠が「牡丹灯籠」を3回に分けて、リレーで演じるという企画だ。と言っても、「お露新三郎」「お札はがし」「お峰殺し」「関口屋の強請り」の部分のみで、もう一本の柱である孝助の仇討の部分については触れられない。主に談春師匠が「お露新三郎」と「関口屋の強請り」を、三三師匠が「お札はがし」と「お峰殺し」を演じるそうだ。

「宮戸川」柳家三三/「牡丹灯籠 お露新三郎~三崎村まで~」立川談春/中入り/「牡丹灯籠 三崎村からお札はがし~お米談判まで~」柳家三三/「粗忽の使者」立川談春

談春師匠。お露と新三郎が柳島の寮で初対面したときの、お露の別れ際の言葉、「すぐに来てくれないと死んでしまいます」がとても印象に残った。

山本志丈は亀戸の梅見はきっかけに過ぎず、最初からお露と新三郎を引き合わせたいと考えていたわけだ。お米も飯島平左衛門の後妻のことで鬱々としていたお露の気を晴れやかにしたいという思いがあった。美女に美男。お互いに一目惚れしないわけがない。

お茶にお菓子から、酒を一口ということになり、挙句には「折角ですから、お泊りになっていけばよろしいんじゃないでしょうか」とお米は積極的だ。流石に山本もそこまでは…と思い、きょうはお暇して、また折りを見て逢いましょうというが、このときの新三郎が「泊まっていくのもよいかもしれません」と口に出すというのは、余程お露のことが気に入ったことをよく顕わしている。

厠を拝借した新三郎が用が済むのを待って、お露が柄杓の水で手を清めてあげるとき、お互いに手を握り締めているという図も、この先の二人が幸せになればいいのになあと思わせる。

山本志丈の狡いところは、飯島平左衛門の顔色を窺って、暫くの間、お露と新三郎が会う機会をわざと設けなかったことだ。お露も、新三郎も、どちらも一日も早く再び会いたいと思っていたことは十分過ぎるほど判っていたのに。それによって、お露は焦がれ死にをしてしまったばかりか、お米も看病疲れで後を追うように亡くなってしまった。

そして、新三郎の許にお露とお米の幽霊が夜毎、カランコロンと牡丹燈籠を持って現れる。新三郎は死んだと聞いていたお露と会えた喜びに浸り、二人は想いが重なって嬉しい仲になるのは当然だ。叔父の白翁堂勇斎がその現場を発見するまでは、毎夜毎夜、逢瀬を重ね、新三郎は幸せの絶頂だったろう。

白翁堂に「お前は死霊に憑りつかれている」と言われ、新三郎が三崎村に行って、新幡随院にお露とお米の墓があり、その間に牡丹燈籠が置いてあるのを見つけたときはさぞかし衝撃を受けたことだろう。

三三師匠。新幡随院の良石和尚が新三郎に言った、「憎い、うらめしい気持ちは、それを晴らしてやればいい。だが、愛しい、恋しいという気持ちは、それを成就してあげないといけない。厄介だ」という言葉がお露と新三郎の関係を象徴している。

新三郎はお露のことが好きだったが、それが死霊だったとなると、家に上げることもできない。自分の命も危なくなるからだ。良石和尚の教えの通り、家の出入りするところ全てにお札を貼り、海音如来のお守りを身に付け、始終お経を唱えて、お露とお米の幽霊が訪れるのを阻止した。

お露が恋しい気持ちはあるが、もはや死んでしまった者と関わりになるのは危険だ。心を鬼にして悪霊退散をするのは当然のことだ。お露が悪霊であることを信じたくない気持ちも判るけれども。

一方のお露は恋しい新三郎に会いたい気持ちでいっぱいだ。何せ、昨晩までは「明日もまた来てください」と言われていたのだから。急に心変わりをした新三郎のことが信じられない気持ちだろう。お米もそのお露の気持ちが痛いほど判る。何とか新三郎に会わせてあげたい。それには、お札を剥がさないと家に入ることができない。

そこで、新三郎の裏に住んでいて、新三郎の世話をしている伴蔵夫婦に頼むことにした。伴蔵に「あの天窓に貼ってあるお札を剥がしてください」と頼む。伴蔵は夜に梯子をかけて剥がすのは憚れるので、あすの昼間に剥がしますと約束をした…、というところで三三師匠は切って、続きは第2回でということなった。第2回以降は、この伴蔵夫婦がキーマンになって噺は展開していく。楽しみだ。