映画「絶唱浪曲ストーリー」

映画「絶唱浪曲ストーリー」を観ました。

僕は港家小柳師匠の生の高座に間に合っていない。小学生のときから馴染んでいた落語との付き合いに較べると、50歳近くになって出会った浪曲とはたった10年弱触れ合ったに過ぎず、木馬亭で頻繁に聴くようになったのはこの数年だから、2018年5月に亡くなった小柳師匠を聴くことは残念ながら叶わなかった。

映画の冒頭、弟子の港家小そめさん(2013年入門)が小柳師匠の浪曲の魅力を冷静に振り返っていたのが印象的だった。「初めて聴いたときから、何かワクワクしちゃったというか、また次の日も聴こうと思って通い始め、浪曲師になんかなるつもりはなかったのに、お近づきになりたいと思っていたら、いつの間にか弟子になっていて…」。

川上アチカ監督が小柳師匠の浪曲と出会ったのは、2014年2月だったとプログラムに書かれている。詩人で歌手の友川カズキさんに「小柳師匠を観た方がいいですよ」と勧められて、ちょうど木馬亭が改装中で日本浪曲協会の広間で行われていた定席に行った。「魔法にかけられたように物語の世界に没入」「とんでもないものを観た」と思ったそうだ。そして、翌々日も小柳師匠の出番があって「もう一度、あの魔法にかかりたい」と協会の広間に向かったという。

それがきっかけで、2015年制作の短編ドキュメンタリー「港家小柳IN―TUNE」に繋がり、そしてその延長線上にある初の長編ドキュメンタリー「絶唱浪曲ストーリー」に結実したというわけだ。

今回の映画の中で僕は3つ、心に響くシーンがあった。

一つは木馬亭で小柳師匠が「大石妻子別れ」を口演しているところ。曲師は沢村豊子師匠だ。「これ、蔵殿」のくだりを3回、4回と繰り返してしまって、豊子師匠が首を横に振って小さな声で次のセリフを囁くのだが、小柳師匠は気がつかなかった。なんとか舞台を終え、豊子師匠がそのことを指摘すると、小柳師匠は「今度はしっかり勉強します」と手をついて謝り、それを豊子師匠が優しく抱きしめた。

二つ目はやはり木馬亭の高座。同じく「大石妻子別れ」、曲師も同じ豊子師匠。「嬉し涙が身を・・・」で、小柳師匠は絶句してしまう。そして、客席に向かって「大変恐れ入りますが、きょうはこれにて失礼させていただきます」と言って、舞台を降り、楽屋に戻る。「全然、声が出ないの。これ以上、恥をかきたくないから」と小柳師匠。事の次第を聞いた講談師の一龍斎貞心先生が、「大石妻子別れ」の続きを客に語るという連係プレーに漢気を感じた。

三つ目は、愛知の自宅にいる小柳師匠を見舞いに行った弟子の小そめさんが、部屋にある沢山のカセットテープから一本を取り出し、ラジカセで再生したときだ。全盛期と思われる小柳師匠の威勢のいい節と啖呵、そして三味線の烈しい音が鳴りだす。すると、病床の小柳師匠の左手が動き出した。テープから流れる音に呼応して、布団の下の小柳師匠の身体が躍動していた。これを川上アチカ監督は「小柳師匠が小そめさんに見せてくれた最後の舞台ではないか。祝福された時間だった」とプログラムに書いている。

老いと向き合い、引退の二文字が脳裏をよぎり、そして死を迎える直前に燃えた炎。キャメラは浪曲師というよりも、人間・港家小柳の最期を克明に記録し、スクリーンを通じて、観客にそのパワーを伝えてくれたような気がした。

小柳師匠が亡くなった後、映画は曲師・玉川祐子師匠(今年101歳)が港家小そめの後ろ盾となって、2019年に名披露目を迎えるまでを微笑ましく描いていて、この映画の眼目は寧ろそちらの方向へと向かっていく。

だが、僕は小そめさんが惚れ、浪曲ファンが愛した小柳師匠の死の直前のドキュメントにこそ、この映画の素晴らしさが詰まっているような気がしてならない。川上アチカ監督が優しい目線で、しっかりと小柳師匠にキャメラを向けていたことに感謝したい。