歌舞伎「神明恵和合取組 め組の喧嘩」

歌舞伎座で七月大歌舞伎夜の部を観ました。「神霊矢口渡」「神明恵和合取組 め組の喧嘩」「鎌倉八幡宮静の法楽舞」の3演目。幕間時間も含めると、5時間の長丁場、十分に堪能した。

通称「め組の喧嘩」。火事と喧嘩は江戸の華、使い古されたフレーズだが、これを体現する粋で鯔背な江戸風俗がたっぷりと味わえる世話狂言とチラシの謳い文句にある。だが、この芝居の眼目は果たしてそれだけだろうか。江戸庶民の人気の対象だった鳶と力士の心意気、喧嘩っ早い江戸っ子気質が描かれていると書かれていると、表面的な部分にしかスポットが当たっていない印象を持ってしまう。僕はもっとその奥にある人間ドラマに魅力を感じた。

確かに、品川宿の遊郭でめ組の鳶と四ツ車大吉ら力士たちが些細なことから喧嘩になった。その後、八ツ山下で鳶頭の辰五郎が遺恨を晴らすために、四ツ車を暗闇で襲撃する件を経て、宮地芝居の芝居小屋で両者の喧嘩が再燃。芝神明町で火事場装束を身に纏った鳶が勢揃いし、力士と大立ち廻りを繰り広げる展開は芝居として盛り上がるし、ヴィジュアル的にも見所なのだと思う。

だが、僕が一番良いと思ったのは、三幕目だ。「焚出し喜三郎内の場」と「浜松町辰五郎内の場」。

鳶頭の辰五郎が喜三郎を訪ね、「身延山の五重塔の足場を掛けに行く」と作り話をして、「万が一のときには女房と子どもを頼む」と暇乞いをする。喜三郎はすぐにこれを見破り、これは四ツ車らの力士を相手に命懸けの喧嘩をするつもりに違いないと覚る。

そして喜三郎は、その場のいきがかりで騒動を起こせば、女房子どもばかりでなく、火消一同にも迷惑がかかる、よく思案しろと辰五郎に意見する。兄貴分である喜三郎の真情のこもった忠告を、辰五郎は本当にありがたいと思ったに違いない。だが、辰五郎の覚悟は変わっていなかった…。このあたりの心の揺れ動きに注目すると面白い。

そして、辰五郎が酒に酔って帰宅する。喜三郎に短気を起こすなと意見されたと女房のお仲に言って、息子の又八に枕を持って来させて横になる。そのときのお仲の言葉が喜三郎とは正反対で面白い。

なぜ仕返しをしないのか。このままで済ますつもりなのか。鳶頭として、男として、面子を立てようとしない辰五郎の意気地の無さを責め立てる。その上で、辰五郎に離縁してほしいと言う。惚れて一緒になったが、これほど甲斐性がないとは知らなかった。愛想を尽かしたと。

その際に辰五郎は酔い覚ましの水を飲むが、その水をお仲と又八にも飲ませた。実は辰五郎は死を覚悟した上で、四ツ車たちに仕返しをするつもりで、水を飲ませたのは“別れの水盃”の代わりだったのだ。辰五郎は苦悩の末に、覚悟を決めていたのだ。

お仲は自分の不心得を詫び、離縁と言ったのは辰五郎の発奮を促すためのものだったと謝罪する。息子の又八が離縁状を破り捨てたのも印象的だった。

辰五郎は半纏を身に纏い、白鞘の短刀を腰に差す。お仲が切り火を切って送り出す。又八が一緒に行くと我儘を言うのを見て、流石の辰五郎も涙を流す。そして、勢い良く神明町に駆け出していく。

江戸っ子の気っ風云々もあるだろうが、その奥底には義兄弟との心の交流、女房子どもとの情愛のやりとりが流れていることを忘れてはいけない。火事と喧嘩は江戸の華の蔭にあるドラマに感涙した。