柳家喬太郎みたか勉強会
柳家喬太郎みたか勉強会に行きました。昼は「カマ手本忠臣蔵」と「社食の恩返し」、夜は「偽甚五郎」と「わからない」。ゲストは弟弟子の柳家喬之助師匠と柳家やなぎさん、開口一番は見習い弟子のおい太さんが初高座を勤めた。
昼の部 「小町」柳家おい太/「のっぺらぼう」柳家やなぎ/「カマ手本忠臣蔵」柳家喬太郎/中入り/「提灯屋」柳家喬之助/「社食の恩返し」柳家喬太郎
夜の部 「道灌」柳家おい太/「フラグ短命」柳家やなぎ/「偽甚五郎」柳家喬太郎/中入り/「夏泥」柳家喬之助/「わからない」(三遊亭円丈作)柳家喬太郎
「カマ手本忠臣蔵」。カマで老け専のタクミは、最近ダテくんばかりを可愛がるコウズケに対し、「冷たいんじゃない?もっとかまってほしい」と迫るが…。鮒じゃ、鮒じゃ、鮒侍じゃ!と言うコウズケに対し、その淡水魚扱いが嬉しいので「もっと言って!」と逆に喜ぶのが可笑しい。それでも冷たい態度のコウズケに逆上し、タクミが斬り付けたという殿中松の廊下の真相(笑)。
四十七士は吉良側に全員斬り殺されるが、彼らは浅野内匠頭と心中したかった、「LOVE」=愛のために喜んで死んでいった、むしろそれが本懐だった…。四十七士は忠義のために死んだという偽装のため、吉良の家来たちが赤穂義士に扮し、吉良の首を刎ね、武士道を貫徹したという…。忠臣蔵のユニークすぎる喬太郎版新解釈、いつ聴いても面白い。
「社食の恩返し」。ワカサギの佃煮を作るのに、「兎に角茶色に煮ればいい」と、ウスターソースで煮込む!マリモの天婦羅は塩で食べてください、って食材じゃないから!そのほか、エゾシカのジビエ料理といい、ヒメマスのルイベといい、破天荒な若手社員二人の社食のおばちゃんへの“おもてなし”に爆笑。
「偽甚五郎」。自称甚助、実は甚五郎の「この鯉は死んでいる」の言葉の意味を考える。鯉は水の中で泳いで初めて鯉となる。畳の上でどれほど立派で勢いがあるように見える鯉の彫り物でも、そこに価値はなく、意味も持たない。
人に良く思われよう、偉く見せようとする気持ちがあると、心に眼(まなこ)は入らないという台詞が心に響いた。甚五郎を騙っていた勘五郎に対し諫めるのではなく、これだけの腕があるなら、立派な大工としてやっていけると励ます甚五郎の気持ちの優しさが清々しかった。名人論として素敵な高座だった。
「わからない」。死刑になる直前の、「ミズタ、お前は本当は何をやったんだ?」「わからない」という台詞の交錯に、人間の不条理、理不尽を思う。
昨夜の0時半から2時の間に何をしていたのか?という刑事の問いに対し、酔って記憶を失っていたミズタは「わからない」と答えるしかなかった。ミズタの無邪気、純粋、素直、そういった属性がかえって仇となり、“強盗殺人”の罪を前提にした捜査が、ミズタのまかり知らぬところでどんどんと進んでいく怖ろしさ。冤罪というのは、このように生まれていくのかもしれない。
「わからない」を繰り返すことが、容疑者に反省が見られないというマイナスの方向に働く。検察側の作成した供述調書に、言われた通りにミズタは素直にサインをしてしまう。挙句の果てには、最高裁で死刑判決が出ても、ミズタは何のことだか「わからない」。
いつ家に帰れるのだろう、日雇いの仕事の親方に怒られちゃう、家賃も溜まっている、早く仕事をしなくては、お嫁さんも欲しい…、刑の執行とは別のところで、ミズタが普段の日常の心配や願望を述べていることが、とてももの悲しい。7月上席の鈴本演芸場での口演から2週間経ったが、喬太郎師匠が演じる円丈作品はさらに僕の胸を締め付けた。