隅田川馬石「お富与三郎~発端」

TBSテレビの放送、落語研究会で隅田川馬石「お富与三郎~発端」を観ました。鈴本演芸場6月上席夜の部で七夜連続で馬石師匠が「お富与三郎」を通し口演したが、僕は第三夜からしか参加できなかったので、この発端を観ることができたのが、有難かった。

両国横山町三丁目、鼈甲問屋の伊豆屋の若旦那、与三郎。馬石師匠の大師匠である先代金原亭馬生師匠の速記に「カァー、いい男」とあって、実際に音源を聞いてみたら、「カァー、いい男」と言っていたと高座で馬石師匠が喋っていたのが可笑しかった。役者は化粧をして“いい男”だが、与三郎はすっぴんで“その三枚もいい男”だと言うのを表わすと「カァー」という強調の言葉になるのだろう。

与三郎は遊び仲間の旅籠屋の下田屋の息子、茂吉と一緒に上野に花見に行き、その足で吉原へ。茂吉は酒癖が悪く、口も悪いので、花魁に振られたが、与三郎は九重花魁と仲良く朝を迎えた。その腹立ちもあって、茂吉は早く帰ろうと、与三郎と九重花魁の部屋に迎いに行き、朝も早いからもう少し居ようという与三郎をひっぺはがすようにして、中万字屋を去る。

山谷堀から船で帰ろうと与三郎は提案し、澤瀉屋で一艘の船を誂え、仙太郎という船頭が漕いで大川へ出た。川が荒れているから、おとなしくしてくれという船頭の注意に、茂吉は吉原で振られて腹の虫の居所が悪かったのだろう、怒って殴ろうとして立ち上がり、バランスを崩して川へ落ちてしまった。救出のためにすぐに仙太郎が川に飛び込んだが、助けることができなかった。溺死だ。

面倒なことになるといけないので、このことは黙っていましょう。与三郎と仙太郎との間でそう取り決めした。茂吉は吾妻橋で下ろした、与三郎は別々に帰ったということにしようと。与三郎は口止め料として5両を仙太郎に渡した。これがその先、とんでもない災難となる。

与三郎は気が塞いだが、下田屋からの問い合わせには「知らぬ」で通し、密かに菩提を弔っていた。ところが、仙太郎の方は、“いい金蔓”が出来た、強請って小遣い銭を貰おうと考え、しばしば無心に伊豆屋を訪れ、その度に幾ばくかの金をせしめていた。この弱みにつけこむやり口に、与三郎は閉口し、番頭の善右衛門に相談。30両を渡して、「二度と無心に来ない」という約束を取り付けた。

季節は冬になった。与三郎は風邪気味なので、薬研堀の薬湯に行った。すると、ほっかむりをした男が与三郎に声を掛ける。仙太郎だ。おふくろが長の患い、女房も産後の肥立ちが悪く、奉公に出した息子も疱瘡になって追い返された、今度は博奕や酒の金じゃない、だから無心してほしいと訴える。額を訊くと、百両だという。これには与三郎も首を縦に振ることができない。渋っているうちに、仙太郎の声は大きくなり、「勝手にしようじゃないか!」と脅迫口調になる。3月5日の下田屋茂吉溺死の件を奉行に訴えると言う。

与三郎が困っていると、この様子を聞いていた浪人風の男が仲裁に立つ。伊豆屋の店子で、元川越藩士、今は手習いの師匠をしている関良助である。3月5日の件を丸く収めるために、仙太郎に百両の約束をする。そして、与三郎を家に帰す。

そして、百両というまとまった金は手元にはない、飯田町の萬屋という酒屋に800両ほど預けてあるので、そこへ一緒に行って渡そうと良助は仙太郎を説き伏せる。今すぐにでも欲しい仙太郎は、一晩待って明朝に出ようという良助の言う事を聞かず、夜中に出掛けることになった。雪が降りしきる。提灯の蝋燭が消えてしまった。換えの蝋燭はない。雪明りを頼りに飯田町へ向かう。

だが、これは良助のそもそもの作戦だった。「天に代わって成敗する!」。後ろから仙太郎を襲い、斬り殺してしまった。死骸は堀へ投げ込んだ。

この一部始終を伊豆屋に行って、主人の喜兵衛に報告する。「花は桜木、人は武士」と言って有難がる喜兵衛。これも浪人の身でありながら普段から世話になっている店子としての御恩返しだという良助。だが、与三郎の身が心配だ。ということで、与三郎は親類である木更津の藍屋吉右衛門のところに預けることとなった。

与三郎の木更津行き。これがこの後合縁奇縁となる横櫛のお富との出会いにつながるわけだ。運命が動き出す、その発端に聞き惚れた。