NODA・MAP「兎、波を走る」

NODA・MAP「兎、波を走る」を観ました。野田秀樹氏特有のユニークな脚本、演出だが、その根底に“北朝鮮拉致被害”の問題をしっかりと捉えたメッセージが流れていて、これが野田地図の素晴らしさなのだと再認識した。

プログラムの中で、野田氏がこう語っている。

誰でも自分が生きてきた時代の中でずっと、あれはどういうことなんだろうと引っかかっている問題がいくつかある。なかには、個人の身に起きた事件のように見えて、実はその時代の社会状況全体から考えないといけないものもある。今回はそんな話です。人間の理想だったはずのものが捻じ曲がって妄想となり、ひどい形で現実に返ってきてしまう。それは人間が持つ不条理以外の何物でもないと思う。日本人は8月6日と9日には原爆の話をするけど、それ以外は広島でサミットでもないと、思い出さないでしょ。何でもすぐに忘れちゃう。忘れる能力があるから、生きていけるというのも真実とは思う。でも、最近は「事件として忘れられる」という形でメディアを通して「物語」として消費されている気がするんです。(中略)

ただ、忘れられそうな事を、当事者を除けば、今こうして制作している私たちが、この世で一番考え、思い続けている、とは思う。そこまで踏み込まないと、フェイク全盛の御時世で本当の「物語」にはならない気がする。今回は母と娘の話で、母は決して絶望的な言葉を吐かない。でもその“強靭さ”は等比級数的に進歩しているAIが取り残す問題です。AIには忘れる機能まで備わってきていて、AIの記憶量から重要じゃないと判断すると、忘れ切り捨てる。それが現実に置き忘れられる「母」という存在だったりする。

主演の松たか子氏も野田作品の魅力について、こう語っている。

実際に起きた事件を使って、荒唐無稽な話に仕立て上げたりする歌舞伎は、虚実ないまぜの世界。そのフィクションとノンフィクションの世界を自在に飛び交う感じが、野田さんのお芝居と通じているなと私は思っていて。ただ、歌舞伎と違って野田さんは、事実をとことん取材して、それを丁寧に、大事にお芝居にしている。そこが才能であり、素晴らしい魅力ですよね。

同じく主演の高橋一生氏も、こう語っている。

野田さんは「忘れられることに楔を打ちたい」とおっしゃっていましたが、そういう作品に参加出来ることがありがたいです。演劇が面白いのは虚実ないまぜの世界から何か突き付けるものが現われること。それをどう受け止めるかは観る人の自由だとしても、作品として語り継がれるインパクトを残せたらと思います。

私たちが忘れてはならないこと。凄いスピードで過ぎていく日常の生活で、その大事なことをつい忘れてしまうことがある。それを忘れてしまわないように、楔を打つ。それが演劇なのだと野田秀樹氏は教えてくれた芝居だった。