歌舞伎「義経千本桜」三幕

歌舞伎座で六月大歌舞伎夜の部を観ました。「義経千本桜」木の実~小金吾討死~すし屋~川連法眼館。「すし屋」単独で上演されることも多いが、やはり「木の実」「小金吾討死」とセットで観ることで、より合点がいって面白い。

片岡仁左衛門演じるいがみの権太の悪人から善人への転換、これを歌舞伎の世界では“モドリ”というのだそうだが、これが何とも言えず素晴らしかった。

「木の実」では、小金吾の荷物をわざと取り違えて、ハナから無かった20両の金を盗んだと小金吾を盗人呼ばわりして騙し取る策略。はじめからその魂胆で親切ごかしに声を掛けてきた権太の手口は悪党そのものという感じだ。

また「すし屋」では、勘当された実家に父親がいない隙に訪れ、母のお米に「年貢として納めるはずの銀三貫目が盗まれた」という作り話をして、死ぬしかないと泣き脅しをして、まんまと銀をせしめる手口も母親の息子を思う気持ちを悪用したもので、悪人の顔そのものだ。

それが、実家で雇っている弥助が実は平維盛で、父の弥左衛門が匿っているという事実を知って、権太は改心する。何とか維盛らを助け出して、親孝行をしたいと考えるのだ。悪人から善人へ、“モドリ”である。

梶原景時が首実検をする場面で、銀と取り違えた鮓桶の中にあった小金吾の首から父の意図を察し、その首を維盛の首として差し出し、さらに自分の女房の小せんを若葉の内侍、息子の善太郎を六代君の身替りに仕立てた。“いがみの権太”のことだから、きっと金に転んだと思わせる策略でもあったと思う。なかなか出来ることじゃない。

この作戦をまともに受け取った父親の弥左衛門は怒り心頭、権太を刀で刺す。それは無理もなかろう。そして、その経緯を権太が苦しい息の下で語る。なんだ、そうだったのか。もう遅い。弥左衛門たちは嘆き、悲しむ。なぜ、もう少し早く改心してくれなかったのか。

権太が「木の実」の最後で可愛い我が子への愛情に絆され、女房の小せんと倅の善太郎と一緒に帰る場面に、彼の本性が顕われていた。悪人と言えども人の親。何かの弾みで悪の道に走ってしまったかもしれないが、本来は優しい心を持った男だったのだなあと思った。

中村歌六演じる鮓屋弥左衛門。維盛の亡き父である平重盛から大恩を受けたことがあるために、維盛を匿った。そして、弥助という名前で奉公人として働かせていた。だが、源頼朝に仕える梶原景時に露見し、維盛の首を差し出すように厳命されていた。

それが、「小金吾討死」の最後で、小金吾の死骸に躓き、そのときにこの死骸の首を刎ねて、“維盛の首”として差し出そうと思いついた。このことが「すし屋」に繋がっていく。弥左衛門は忠義心の厚い人物なんだなあと思った。

中村壱太郎演じるお里。弥左衛門の娘で、権太の妹だ。弥助実は維盛と祝言を交わす関係までになった。「すし屋」の序盤で弥助と早くも夫婦になった気分で、お互いを名前で呼び合う稽古や、夜具を用意して夜も遅くなったから寝ようと誘うところ、とても可愛らしい一面に、こちらも思わず笑みが浮かぶ。

それが、若葉の内侍と六代君の訪問で、弥助とは身分違いの恋であったことが判明すると、ものすごく落ち込んだろうが、それをお首にも出さずに、寧ろ詫びてしまう健気なところが好きだ。そして、梶原景時が維盛の首を受け取りに来ると知ると、維盛、内侍、六代君を父親の隠居所である上市村へ向かわせる。この甲斐甲斐しさに心が締め付けられた。