日本浪曲協会6月定席初日、そして遊雀印
日本浪曲協会6月定席初日に行きました。夏。翁そばで冷やしたぬきそば大盛り、と早めの昼食を済ませて、木馬亭へ。
「阿漕ヶ浦」玉川わ太・玉川みね子/「古田織部 破れ袋」天中軒景友・広沢美舟/「お染久松 悲恋の曲」港家小そめ・沢村博喜/「清水次郎長伝 石松代参」玉川太福・玉川みね子/中入り/「大山詣り」広沢菊春・広沢美舟/「渋沢栄一伝」神田京子/「田宮坊太郎 少年時代」富士琴美・水乃金魚/「佐倉義民伝 宗五郎妻子別れ」天中軒雲月・沢村博喜
雲月先生、たとえその身は朽ちるともその名は長くいつまでも。5万人の佐倉の村人の命を救わねば、という使命感に惚れる。江戸で救済願いの画策に奔走したが、ままならず故郷に帰ってきた宗五郎は最後の手段に出るしかないと決断する。磔覚悟の将軍家綱の行列への強行直訴。
妻のおさんに離縁状、4人の子どもに勘当状を渡して、最後の別れを惜しむ時間の尊さよ。子どもたちは何も知らない、ましてや何の罪もない。彼らをギュッと抱きしめたときの宗五郎の気持ちに思いを馳せる。泣いてくれるな、お前が泣けば、わしの心も泣けてくる…。
夜は池袋に移動して、「遊雀印~三遊亭遊雀独演会 掘りだし噺あれこれ~」に行きました。コロナ禍が明けて、ネタを増やしたいという遊雀師匠。お友達として仲良くしている噺だけに甘えていてはいけない、かつて教わったものの、ほとんど掛けずに終わってしまったネタをモノにしていきたいと意気込みを語る。「ほぼネタ卸しに近い」ネタ、およそ70席の中から少しずつ蔵出ししていきたいという、その姿勢が素晴らしい。そして、その第1回、蔵出し2席がとても良かった!
「だくだく」桂伸都/「和田平助」神田梅之丞/「堀の内」「三方一両損」三遊亭遊雀/中入り/「千両みかん」三遊亭遊雀
「堀の内」は前座時代に、亡くなった圓蔵師匠の平井のお宅に、「たい平ちゃん」と一緒に行って、教わった噺だそう。そのときに録音したカセットテープを聴きながら稽古したそうだが、“いかにも圓蔵師匠!”という録音で宝物のようだとおっしゃっていた。
きょうの遊雀師匠の高座は、あの圓蔵師匠を思わせる“スピード感”のある気持ち良いものだった。演じ終わった後、師匠が「こんな(そそっかしい)人、いる?一人気違いの『湯屋番』や『野ざらし』もそうだよね。でも、演る側も聴く側も『いるかも』と思ってしまう。それが落語の面白さだよね」とおっしゃっていたのが印象的だった。
「千両みかん」も落語協会時代に萬窓師匠に習ったネタだそうだ。まず可笑しいのが、若旦那が「恋焦がれている」と言うのを聞いて、「どこのお嬢さん?」と問うと、「女じゃない」。「…あ、男?こういう時代だからね」「違うよ。みかんだよ」「…え?それは男なの?女なの?」。そのやりとりを番頭と旦那が繰り返すのが、また面白い。
土用の最中に、みかんが売っているはずがないのに、粗忽ゆえ、軽はずみで「買ってきますよ」と答えてしまった番頭さんの罪深さ。旦那に「主殺しで磔だ!」と脅されたのを、物凄く真に受けて、八百屋巡りを始める番頭と、一番最初に行った八百屋(多分一番懇意にしている八百屋なのだろう)とのやりとりに笑ってしまった。その八百屋主人が若旦那の命に係わることだと知ると、いきなり態度を豹変させて、「知らないよお」と遠ざかるのが可笑しかった。この番頭さんとは関わりがないですよ、と急に第三者的立場を取るのだもの。
そして、この噺の肝、みかん問屋の万惣で腐っていないみかんが一個見つかったときの番頭とのやりとり。万惣主人が「よっぽどのことなのでしょう。差し上げます」と優しい態度を取ったとき、番頭は「いえ、こちらも店は小さいですが、商人です。お金は支払わせてください」と言う。すると、万惣主人は「では、千両頂きます」。それは番頭にとっては余りにも想定外の額だったので、「高い!」と反応する。このときの万惣の理屈が素晴らしい。
同じ商人だったら、判っていただけると思ったのですが。夏の暑い盛りにも、万が一、みかんを欲しいと言ってくるお客様がいるかもしれない。だから、こうやって蔵にみかんを何箱も保管している。みかん問屋の信用を保つための手間、いわば暖簾代です。
この日本一のみかん問屋の意地みたいな部分が僕は好きだ。モノの価値が判らなくなってしまい、みかん三房を持って行方をくらませてしまうサゲよりも、僕はこの商人としてのプライドを表わしているここの部分が一番好きなのだ。
さて、次の遊雀印は8月10日。「小間物屋政談」をネタ出ししている。今から楽しみだ。