柳家喬太郎・橘家文蔵二人会

新宿末廣亭で「柳家喬太郎・橘家文蔵二人会」を観ました。

「道具屋」柳亭左ん坊/「紙入れ」橘家文吾/「百川」柳家喬太郎/津軽三味線 駒田早代/「猫の災難」橘家文蔵/中入り/対談 喬太郎×文蔵/「時そば」橘家文蔵/漫才 風藤松原/「結石移動症」柳家喬太郎

文蔵師匠の「猫の災難」。酒呑みの意地汚さ、身勝手なところが前面に出ているのだけれど、どこか愛嬌があって、憎めない。特に文蔵師匠の一見強面なキャラクターが演じると、可愛いなあと思ってしまう。そこがこの落語のすごいところだろう。

あいつも店で毒見してきたんだ、一杯だけならいいだろう。あと半分くらいいいだろう、あらら、目一杯入っちゃった。あいつは一合上戸なんだ、その分を取っておけばいいや、あぁ、溢しちゃった。もったいない!そう言って、畳を叩いて、酒を吸う様子が滅茶苦茶可愛いのだ。

どう言い訳しようか?天井からウワバミが出てきて、吸っちゃった?そんな白鳥の落語みたいなことがあるわけないし(爆笑)。そうだ、これも猫のせいにしちゃおう!捻じり鉢巻きをして、出刃庖丁を振り上げて、「オイ!コラ!」と猫を追いかけている姿をするのも、また可愛い。

喬太郎師匠の「結石移動症」。鍼医堀田とケンちゃんの石のサゲで大いに受けるけど、それ以上に“職業に貴賤無し”というメッセージが強烈に刺さって、良い人情噺だなあと思う。

源氏名がさつきだった、みどりちゃんに対して、自分の息子の妻として迎えるケンちゃんの言葉がすごくいい。(ソープ嬢という職業は)世の中に必要とされている、だから上を向いて歩け、胸を張って歩め。出前の注文を受けて出入りしていたケンちゃんは「丸海老」で働く女の子全員に日頃からそう言ってきた。

だから、今はソープ嬢を辞めて会社員になったみどりちゃんは、結婚を前提に付き合っていたタケシ(ケンちゃんの息子)に対し、包み隠さず話しておくべきだった。それなのに、お義父さんになるであろうケンちゃんに会うときまで、婚約者であるタケシに何も言ってなかったのは、よくない。その気持ちもよく分かるが、ケンちゃんが言うように、一種の甘えがあったのかもしれない。

実際、みどりちゃんはソープ嬢だった時代に、ケンちゃんの言葉や出前の料理で励まされ、リストカットして死のうと思うほど辛いことも何度もあったが、「上を向け」「胸を張れ」という言葉に支えられて今日までこられた。ケンちゃんに対し、感謝の気持ちでいっぱいのはずだから。

このことはいわゆる風俗業に限った話ではないだろう。世の中、色々な仕事で色々な苦労をして人間という生き物は働いている。そこに上下や貴賤などない。その仕事に対して、どれだけの誇りを持って働いているかが大切なんだ。誇りを持てないなら、やめてしまえばいい。そして、誇りに思える仕事を探すがいい。喬太郎師匠のこの新作落語を久しぶりに聴いて、自分の仕事に誇りを持っているのか?自問自答する自分がいた。ありがとうございます。