五代目江戸家猫八襲名披露興行大千穐楽

国立演芸場で五代目江戸家猫八襲名披露興行大千穐楽を観ました。50日間におよぶ披露目が大団円を迎えた。大成功だったと思う。この蔭には、5人の番頭さんと呼ばれる若手芸人の完全バックアップ体制で支えたことが、まず一番に挙げられよう。そして、何より新しい猫八先生の人柄とアイデアが生きた興行だった。口上に本来並ばない色物の林家正楽師匠、立花家橘之助師匠が、「猫八先生たってのお願い」で上がったことは、その最たるものだと思う。

また、物販が興行をこんなにも盛り上げた例を僕は知らない。特にアクリルキーホルダー。5種の動物物まねをデザインしたものがあり、それがどの動物なのかは購入して袋を開けるまで判らない“ガチャポン”方式。演芸ファンは5種をコンプリートしようと、連日物販コーナーに列を作った。予想外の売れ行きで、2度の追加発注をしたにもかかわらず、国立演芸場後半では個数制限をしなければならない人気だった。本日の大千穐楽をもって、見事に完売した。

「狸札」柳家小じか/「牛ほめ」金原亭杏寿/「強情灸」古今亭文菊/「シンデレラ伝説」古今亭圓菊/紙切り 林家正楽/「楽屋外伝」鈴々舎馬風/中入り/襲名披露口上/「睨み合い」林家彦いち/「代書屋」柳家権太楼/ものまね 江戸家猫八

口上は下手から、文菊、彦いち、圓菊、猫八、正楽、権太楼、馬風の順。文菊師匠が、(猫八先生と私は)どことなく雰囲気が似ている、真面目で真っ直ぐで、穏やか、何よりも育ちの良さがあると言って笑わせた。品の良さというのは、なかなか出そうと思って出せるものじゃないとも。芸は文句なし、横綱相撲ですと讃えた。

彦いち師匠は、小猫時代から研究熱心で、鳥だけじゃなく様々な動物を鳴く、池袋演芸場ではアナコンダを鳴いたと。密輸で没収されたリクガメが今、野毛山動物園にいるという裏情報も知っていると、冗談交じりに動物に詳しい猫八先生を褒める。

圓菊師匠は、この人は猫でありながら“サラブレッド”、血筋が良い、私も二世ですが駄馬ですからと謙遜する。先々代の印税、先代の遺産、そしてアクリルキーホルダーの売り上げで潤っているから、この人に祝儀は要りません!猫に小判ですからと洒落た。

正楽師匠は司会の「寄席の宝、重鎮」という紹介に、私が重鎮です!と笑わせた。色物芸人仲間としてちょっとだけ先輩なだけと謙遜し、猫八という名前は寄席になくてはならない名前、この名前をもっともっと大きくして、世界中に知られるようになってほしいと期待した。

馬風師匠は、きょうが50日間の総仕上げ、連日よく頑張ったと讃える。きょうのお弁当は何か、今から開けるのが楽しみと言って、こうした気遣いは興行の後も続けるようにと笑わせた。そして、この大看板が末永いご贔屓をいただけますようように、隅から隅までズズズイーッと御願い奉ります!と言って、お約束の“馬風ドミノ”。権太楼師匠と正楽師匠の位置が入れ替わってしまうという茶番もご愛嬌だ。

権太楼師匠は大千穐楽を締める思い出を。2016年3月21日、国立名人会はトリが権太楼師匠で、ヒザが先代猫八師匠だった。だが、病気休演で、当時の小猫先生(現猫八)が代演した。その高座を終えて、小猫先生が病室のベッドの上の父親に「無事勤めてきました」と報告すると、「良かった」という言葉を遺して先代猫八師匠は息を引き取ったそうだ。お父さんの分まで頑張ってほしいと期待した。

三本締めの音頭は権太楼師匠。ヨォーという掛け声は「祝おう」という言葉の名残なのだと説明し、客席の皆さん全員でご唱和くださいと言って、三本を締めた。こういう三本締めは初めてだった。

猫八先生の高座。権太楼師匠の口上を受けて、父親は体調が悪化して、ほとんどの仕事をキャンセルしたが、あの国立名人会の仕事だけは何とかして出たいと唯一残しておいた高座だったと。代演を勤めて病室に戻ったら、父は「良かった」と安心したかのように天国に召された。だから、この国立演芸場は私にとっても大切な高座なのだと涙を潤ませながら仰っていた。だから、そういう思い出のある権太楼師匠に三本締めをお願いしたとも。

50日間を振り返り、幸せな日々でしたと。浦島太郎が竜宮城からいつまでも帰りたくない、そんな気分と一緒と言って、でもそうも言っていられない、これで一区切り、寧ろこれからがスタートだと気を引き締めて、江戸家伝統の初春のウグイスを鳴く。

小学校に上がる前、父親の鳴きまねに会場が揺れる様子を見て、すごい仕事だなあと興奮して帰宅した。その晩に一緒にお風呂に入ったとき、自分が小指を吹いても、スース―しているのを見て、父親が「貸してごらん」と言って、息子の小指を咥えて、ウグイスを一鳴きした。そのときに自分の指から音が出た喜びをずっと持ち続けて、いつか父親のように良い音が出ると信じて練習を続けたという。

父親は手取り足取り教える師匠ではなかった。父親の真似をするんじゃない、動物が師匠だから、その動物の鳴き声を聴いて学びなさいと教えられた。それが今日の猫八先生の芸を作っているのだなあと感慨深い。

舞台上手に飾られた猫八三代の招木を見ながら、江戸家代々への感謝を忘れていないのが素敵だ。初代は65歳で亡くなったが、そのとき祖父(後の三代目)は11歳だった。そのときに、初代の弟子が二代目を継いで繋ぎ、第2次世界大戦をまたいで、三代目が誕生した。血が繋がっていない二代目への感謝も忘れないのが猫八先生らしくて良いなあ。

今の芸を形成する上で、動物園の存在が支えになっていることを強調しているのも猫八先生の了見の素晴らしさだ。フクロテナガザルの鳴きまねをしてみせて、似せるのではなく、本物の声の魅力、本来の声が持っているエネルギーを再現することに心を砕いていると仰っていたのが印象に残る。それを猫八先生は“動物縁”と表現していた。

父親の付き人をしていたときに、リクエストに応えて、カバの鳴きまねを堂々とやってのけた父親の「夢を壊さない」というポリシーは、その後に披露したクラゲの鳴きまねに引き継がれている。本来は鳴かないクラゲの鳴きまねを、リクエストした女の子に対し、咄嗟の閃きで全力で表現し、その女の子に「そっくり!」と言われたというエピソードが素敵だ。

この50日間で生まれた鳴き真似を、この千穐楽に披露してくれた。誕生したのは池袋演芸場。小さん師匠がアナコンダをリクエストしたのを受けて、その求愛の声を表現したものだ。9メートルもある大きな蛇。1匹のメスに対し、10匹以上のオスが絡みつく。そして爪のようなもので刺激を与えて求愛するそうだ。そのときにメスが鳴く。「ミ!」。巳に掛けたギャグだ。大先輩のパスに何とか応えたいと作ったネタだそうで、そうやって芸は作られていくのだと。

小猫で12年高座に立ってきたが、今のネタがそのときからあったわけでなく、高座に掛けながら磨いてきたネタばかりだという。そういう意味で、ネタを作ってくれたのはお客様と言っても過言ではないとする猫八先生の了見も素晴らしい。

そして、50日間こうやって無事に披露目をやってこられたのは、5人の番頭さんのお陰だと感謝した。金原亭馬久、春風亭一花、柳家小はだ、柳家小もん、鏡味仙成。最後に舞台に彼らを呼び込みたいと言ったら、「主役は猫八先生。私たちは裏方に徹する」と辞退されたそうだ。なので、この5人の番頭さんに拍手を送ってくださいと言って、客席から万雷の拍手が起こったのには感動した。

最後に、落語協会のみならず、寄席演芸界に春が来るように祈願をこめて、もう一度、初春のウグイスを鳴いて、50日間におよぶ襲名披露興行はお開きとなった。猫八先生、これからのさらなる飛躍をお祈りしています!