文楽「夏祭浪花鑑」
5月文楽公演第3部に行きました。「夏祭浪花鑑」である。最後の段、長町裏の段が物凄く素晴らしかった。義平次と団七のバトルである。義平次は太夫が豊竹藤太夫、人形が吉田和生。団七は太夫が竹本織太夫、人形が桐竹勘十郎。床の掛け合いもすごかったが、三味線(鶴澤清友)のみのメリヤスになったときの、つまりは団七が義平次を殺害して、祭りの喧騒だけが奥に聞こえる、あの緊張感のある団七の動きに固唾を飲んだ。
三河屋義平次は強欲な男である。団七九郎兵衛の女房・お梶の父親、つまりは団七の舅になるわけだが、金に絡んだ様々な悪巧みに参画している。
内本町道具屋の段で、侍になりすまし、孫右衛門の経営する道具屋にやって来て、香炉の値切り交渉をするが、これは最後に判ることだが、清七(実は磯之丞)を騙すために、番頭の伝八と仲買の弥市とグルになって仕組んだ罠だったのである。買いたいと言っておいて、清七が50両を立て替えて、弥市に支払った途端に、「買いたいなどとは言っていない」とシラを切る。その上で、伝八と二人で「金を騙し取ったな」と暴力をふるう。悪質である。
その騒ぎの最中に、団七が飛び込んでくると、この侍が義平次だと団七には判るが、皆の手前、咎めることができない。最終的には、孫右衛門がこの香炉は贋物だと判って、ことなきを得るのだが、義平次は金のためなら何でもやる男だということを、団七に改めて認識させることとなる。
釣船三婦内の段において、それはさらに決定的なものとなる。義平次が「団七に頼まれた」と言って、磯之丞の恋人である琴浦を駕籠に乗せて連れ去ってしまう。三婦の女房、おつぎは何も知らないから、素直に信用して琴浦を引き渡してしまうのだ。そのことを聞いた団七は慌てて駕籠を追っていくことになる。義平次は琴浦に横恋慕している大鳥佐賀右衛門に渡して、褒美を貰おうという算段だったのだ。
義平次に追いついた団七。ここで長町裏の段になる。団七は「恩人(磯之丞)の預かり人を連れていかれては顔が立たない」と言うが、義平次は「その日暮らしだったお前を魚売りにする世話を焼いたのに、娘に手を出し、子どもまで作った。お前が牢に入っている間は誰が養っていたと思っている」と恩着せがましいことを言う。舅という立場に反抗できない団七を困らせる術を判っているから性質が悪い。
はじめは低姿勢でお願いをしていた団七だが、聞く耳を持たない義平次に対し、金で釣る作戦を取る。30両で手を打ってくれ。本当はそんな金などないが、この舅はこうでもしないと説得できないと踏んだのだろう。これに機嫌を良くした義平次は30両で戻してやると話がまとまり、駕籠は戻っていく。
だが、もとより無い金。真実を知り、騙されたと判った義平次は団七を散々に叩きのめす。雪駄で打ち付けられ、眉間からは血が流れる。男の生面を!と脇差に手がいくが我慢。かえって斬れ斬れと煽る義平次。止める団七と刀で競り合ううちに耳の根が斬れて血が出る。人殺し!親殺し!と騒ぐ義平次の声を鎮めるうち、もはや後戻りはできない!こうなれば殺してしまえ!と殺害し、池へ沈める。血を洗い流し、祭りの喧騒に紛れて、団七は逃げていく…。
最後まで憎たらしい強欲な舅、義平次を堪忍袋の緒が切れて、断腸の思いで殺害した団七の脳裏には愛する女房お梶と可愛い息子の市松のことがよぎったに違いない。