5月の萬橘、そして桂二葉独演会

「5月の萬橘~三遊亭萬橘独演会」に行きました。「あたま山」「蜘蛛駕籠」「万両婿」の三席。

「あたま山」は、ケチでさくらんぼの種を食べてしまったのではなく、面倒くさいから食べてしまったという設定がユニークで面白い。自分の頭に桜の木が生えてきてからの展開は、萬橘師匠らしいクスグリが随所に施されて愉しい。桜が満開となって花見客が沢山訪れて騒がしいから、「面倒くさい」と言って木を引っこ抜いてしまったら、今度はそこにスカイツリーが建ったり、ロシアとウクライナが戦争したり、挙句には北朝鮮のミサイルが飛んできたり…。

ATM(あ・た・ま)を銀行と間違えて、「お金が出てこない!」とクレームを言う客には笑った。もう生きているのが面倒くさいと、自分の頭の上にできた池に身投げするシュールな展開も、萬橘師匠ならでは味付けが加わって、面白い一席に仕上がっていた。

「蜘蛛駕籠」だが、「これが本当の蜘蛛駕籠」のサゲまでいかないのが、萬橘師匠のこの噺に対する捉え方を顕わしていて、なるほどと感心した。間抜けな駕籠屋二人組を終始、土手の上から客観視して面白がっている二人の男たちの存在が、この萬橘落語の眼目だろう。

客待ちしている目の前の茶店の主人を駕籠に乗っけてしまうところ、六郷の渡しで「あら、熊さん」を繰り返す酔っ払いの相手をしていて、辰公のおかみさんがお鉄ちゃんという色は黒いが気立てが良くて目の下に黒子があることまで覚えてしまうところ、踊る男に調子よく踊らされて、結局は一文も持っていないことが判ってガッカリするところ、全部第三者視点で面白がっている。そういう切り口で古典落語に新しい風を吹き込むところが、萬橘師匠の真骨頂だ。

「万両婿」は、相生屋小四郎が小間物マニアでこの小間物屋という商売をしているというのが、この噺の肝になっているのが、萬橘師匠らしい描き方で良いと思った。

大家の早合点と短慮で、小四郎の女房おときは、早々に小四郎の従兄弟の佐吉と再婚してしまった。死んだと思われていた小四郎が上方の商売から帰ってきたら、おときと佐吉は仲の良い夫婦になっていて、「お前は死んでしまったのだ」と言われたときの小四郎の悲しみを誰も笑うことができない。粗相では済まされないことだ。

大岡越前守に裁きで、小四郎が助けた若狭屋吉兵衛の女房およしと再婚することを勧められるわけだが、本当におときのことを愛していたら、たとえ若狭屋の財産が3万両であれ、およしの器量が抜群に良くて、しかも22歳という若さでも、納得がいかないだろう。そんな理由で小四郎が若狭屋主人に収まってハッピーエンド!としないところが萬橘落語の素晴らしさだ。

決め手は、およしが髪に挿していた簪。これが小間物マニアの小四郎の心を動かしたという演出が素敵ではないか。尚且つ、小四郎が若狭屋に婿に入った後も描いていて、それがすごいカカア天下というか、およしに尻に敷かれている小四郎という図で、「人生とは思い通りにはいかぬもの」として、萬橘師匠のセンスの良さが光る一席となった。

続いて、「桂二葉独演会」を観ました。「青菜」と「佐々木裁き」の二席だった。ゲストに寒空はだか先生を迎えて、それは大変に面白かったのだが、若手の独演会で二席はちょっと残念だった。

「青菜」は、植木屋のキャラクターが二葉さんにピッタリとはまって、面白かった。鯉の洗いを酢味噌ではなく、山葵醤油で食べることを旦那に勧められると、添えてあった山葵のみを丸ごと口にして、山葵効いたか目に涙どころじゃない、大変なことになってしまうのが愉しい。

その流れで、では口直しに青菜を、と旦那が手を叩いて取り寄せようとするのも、自然な感じがした。青菜を切らしている旨を奥方が隠し言葉で伝えたことを教えられると、「青菜おまへん」でいいやないか、とする植木屋が可笑しい。でも、家に帰って、真似をしようとして、鯉の洗いがないから、何と!おからの炊いたので済ませようとする発想も面白い。鰯も食べてしまってなかったのだ(笑)。

「佐々木裁き」は、本来佐々木信濃守は大坂町奉行だったので、上方を舞台にしているこの噺が本寸法だ。これも、四郎吉の利発で、ちょっと生意気だけど、無邪気なところもあって、可愛いキャラクターが二葉さんにピッタリだ。

逆に父親の高田屋綱五郎の方が、とぼけたキャラクターで、お白州に呼ばれていることで呆気にとられている様子が、四郎吉が堂々としてる分、対照的で面白い。

目から鼻に抜けるというのは、こういう子どものことを言うのだろうと思うが、それゆえに13歳でこれだけ賢いと、このまま放置して悪の道に走って、何をしでかすか分からない可能性もあると踏んで、佐々木信濃守は「15になったら、召し抱える」と申し付けたのだろう。実際、何年かして四郎吉は出世し、与力連中の「箍を締めた。親の商売が桶屋だけに」というサゲは、まんざら洒落だけではないような気がした。