国立 五代目江戸家猫八襲名披露興行、そして田辺いちかの会

国立演芸場で五代目江戸家猫八襲名披露興行二日目を観ました。いよいよ大詰めである。僕は鈴本、末廣亭、浅草、池袋と1日ずつ行ったが、まだ和装の高座を観ていなかった。猫八先生の発案で、2と8の付く日は、立ちではなく、座布団に座って、着物で芸を披露しようという試みをしているのだ。果たして、和装に合ったネタを猫八先生はちゃんと考えていて、それはそれは良かった。

「やかん」柳家小じか/「のめる」春風亭一花/「魚男」古今亭志ん五/「熊の皮」古今亭圓菊/紙切り 林家正楽/「楽屋外伝」鈴々舎馬風/中入り/襲名披露口上/「熱血!怪談部」林家彦いち/「無精床」柳家権太楼/ものまね 江戸家猫八

口上は下手から、志ん五、彦いち、圓菊、猫八、正楽、権太楼、馬風。司会の志ん五師匠が、猫八先生は動物園で寄席をやる、私もお仕事をもらって一緒に行ったことがあると言って、マレーバクや馬の檻の横で落語をやるのは初めての体験だった、趣味が動物園巡りもここまでくるとすごいと賞賛した。

彦いち師匠も、猫八先生は大学でデザインを学んでいたそうで、今回の襲名の記念グッズのアクリルキーホルダーの製作にそれが活かされていると。鳴かない爬虫類にも詳しくて、ビルマリクガメとインドホシガメの違いが判る人、池袋演芸場ではアナコンダの鳴き声を披露したエピソードも。お父さんである四代目と一緒に森へ行ったときに、「ズカズカ入って行ったら、森の動物たちがビックリしてしまう。『こんにちは、彦いちだよ』と言えば、森の方から『どうぞ』と言ってくれるよ」と言われ、実践したら、本当に「どうぞ」という声が聞こえて、感心していたら、森の奥から四代目が出てきた!と笑わせた。

圓菊師匠、お父さんが芸人という意味では同じサラブレッドだけど、私の場合は駄馬に近いと謙遜、「この人は持っているんだ、コレを!」と親指と人差し指で丸い輪を作った(笑)。お祖父さんの印税、お父さんの稼ぎ、そして自分のキーホルダーの儲けがあり、この人に御祝儀は必要ありません!と言って、「猫に小判」と落とし噺にした。

正楽師匠、司会に「寄席の重鎮」と紹介され、「重鎮です」。その上で、色物の仲間として、ちょっとだけ先輩なだけですと謙遜した。この大きな名前を平気で継いでいる、これは凄いことで、小猫時代から「猫八」だったんです、襲名が遅かったくらいですと褒めた。そして、これからも寄席の大看板として、さらなる飛躍をしていくことを保証した。

馬風師匠は、「気遣いができる人」と讃えた。初日、仲日、千秋楽に出る弁当の美味いこと、亀屋の鰻重は特に美味くて、女房の分まで貰っちゃって、ありがとうと。そして、ブタの鳴き真似で猫八先生に話しかけ、それに猫八先生が鳴き真似で返す。「これは仲日の弁当も期待しているよ」と言ったんですと笑わせた。そして、「この猫八を隅から隅までズズズイーッと御願い奉ります」と言って、お約束の“馬風ドミノ”も!

権太楼師匠は「四代目とほぼ同期」だそうで、仲良くしていたという。四代目と四代目の奥さん、それに小金馬さんと4人でゴルフに行ったときに、息子が病気で家に閉じこもっていると聞いて、「連れ出して、小猫にすればいい」と励ましたそうだ。また、四代目の一周忌のときに、五代目(当時の小猫)に「猫八になる気はある?」と訊いたら、「あります」という返事だったので、すぐに市馬会長に「理事会に掛けてくれないか」とお願いしたのも、権太楼師匠だそうだ。コロナがあって、3年間ずっと待っていた披露目がようやく出来て、感慨ひとしおという笑顔を見せた。三代目が芸術協会に行ってしまったが、こうやって大きな看板がまた落語協会に戻ってきたのは嬉しいことだと喜んでいた。

猫八先生の高座。鈴本からスタートして、和装の高座は9回目だ。それに相応しいネタを披露してくれた。古典落語の動物たち。まずはキツネとタヌキだが、いずれもイヌ科の動物と言って、リアルな鳴き声を聴かせてくれた。キツネはコンコン、タヌキはポンポコ、というのは、「根本(コンポン)的に間違いだったんですね」と笑わせる。

落語「つる」は大好きなネタだと前置きして、「だけど、生態学的には間違いがある。ツルは枝には止まらないんです」。だけど、唯一止まるのが、カンムリヅルで、アフリカに生息していると。特にウガンダでは国鳥になっていて、スワヒリ語でコロンゴと言うのだそう。一匹の鶴が湿地帯のマングローブの枝にポイと止まった、でも沼地なので滑って転んでしまう。だから「コロンゴ」と、学術的なことを織り交ぜながら、ちゃんと笑いに転化しているのがすごい。

雄のツルが一声、雌のツルが二声で、夫婦の鶴の鳴き交わし。これが素晴らしい。おめでたい上に、綺麗な鳴き声でこういうハレの場に相応しい鳴き真似だ。その上で、亀は鳴かないと思っているかもしれないが、気づかないだけ、と言って、「もしもし」。爆笑。これは祖父、三代目のネタだそうだ。

初代猫八は猫の鳴き声に季節を入れたという。五月の節句。菖蒲湯に掛けて、都々逸を作った。猫の喧嘩は五月に節句 勝負勝負は屋根の上~。これをお囃子さんに演奏してもらい、猫八先生が猫の鳴き真似を挿入するのが、絶品だった。

一番遠くまで届く鳴き声は何か。クジラ、それも歌うクジラと呼ばれるザトウクジラの鳴き声だそうだ。500キロ先まで届くという。その鳴き声を披露。「今の声は国立演芸場から大阪繫盛亭まで届いていますね」。洒落ている。

そして、寄席、演芸の世界に春が来ますようにと願って、初春のウグイスで締めた。天晴れな和装高座だった。

夜は人形町に移動して、「田辺いちかの会」に行きました。「出世浄瑠璃」「豆腐屋ジョニー」「曲馬団の女」の三席。

「出世浄瑠璃」は、尾上久蔵の達者な講談によって猪退治という嘘を方便にしてしまうところが見せ場だと思うが、それを本物の講談師であるいちかさんが読むところに妙味がある。

紅葉の綺麗な碓井峠で松平丹波守が聴かせてもらった、松平伊賀守の家来、中村大助と尾上久蔵の常磐津「関の扉」。他言無用との約束だったのに、丹波守がつい口を滑らせてしまう。何とか猪に襲われたところを助けてもらったという話に誤魔化したのはいいけれど…。

伊賀守が二人にその猪退治の様子を聞かせてくれと頼むのだから、もう仕方ない!とばかりに尾上久蔵が口八丁手八丁で即興の作り話をさながら講談のように聴かせる機転に感心する。二人はご機嫌の殿様に100石ずつ加増され、その後真実が判明しても美談として許されたというのが、何ともめでたい読み物で、好きだ。

「豆腐屋ジョニー」は三遊亭白鳥作品を見事にいちか流の講談に仕上げている。三平ストアの豆腐一家、木綿の親方の片腕のジョニーと、チーズファミリー、ドン・カマンベールの一人娘のマーガレットの禁断の恋。“冬のあったかメニュー”の食材に選ばれて、勢力を拡大したい豆腐一家とチーズファミリーの激しい闘争の中で、ジョニーとマーガレットの関係は一体どうなるのか?二つの勢力を両天秤にかける公家のマロニーの陰謀は?とてもファニーな講談として、いちかさんの持ちネタになったことが嬉しい。

「曲馬団の女」は、まさに嘘から出た誠の読み物だ。悪事を働こうとしたお蘭が、香典の山の横にあった戦地の壮吉から母親に宛てた手紙の束を見て、心変わりしたところが、ポイントだろう。いっそ、息子を亡くした母親の世話をして尽くしてあげようと思う、サーカスで猛獣使いをしていた時代に曲がってしまった根性がここで一気に改まる。

お蘭の素性を知って、強請りをする弟の壮次郎に対する一喝は、お蘭が自分に対して心を清めたように、この壮次郎にも母親を思って孝行し、真人間に戻ってほしいという願いがこもっていたように思う。

そして、戦死したはずの壮吉がまさかの帰還。母親は勿論喜びに溢れるが、このお蘭も嬉しかったのではあるまいか。だからこそ、この家を去る覚悟をして、自分がサーカス団上がりの前科者だということ、香典泥棒をしようとして戦争未亡人を装ったこと、だがこの母親の世話をしたくなったこと、洗いざらい、全てを打ち明けた。

その誠心誠意のお蘭の様子を見て、壮吉はお蘭を憎むどころか、感謝する。こんな心の清らかな人はいない。サーカス団とか、前科とか、香典泥棒とか、そんなことはすでに罪滅ぼししていると。だからこそ、「女房になってくれ」と言ったのだ。とても素敵な人情噺。何度聴いても、素敵だなあと思う。