池袋 五代目江戸家猫八襲名披露興行、そして立川談洲独演会

池袋演芸場で五代目江戸家猫八襲名披露興行三日目を観ました。上野鈴本演芸場からスタートした披露目も、新宿末廣亭、浅草演芸ホール、そして池袋演芸場と4ツ目の寄席に到達している。僕も各寄席1日ずつ行ったが、いつも満員御礼の盛況で嬉しい限りだ。好評のアクリルキーホルダーも追加発注した在庫がまた品薄になって、一人一個の限定販売だった。僕は残すはカバを当てれば5種類コンプリートできるのだが、またしてもウグイス!ウグイスが良く当たるのはおめでたいのかもしれないけど、悔しい!後は国立演芸場5月中席に賭けるぞ。

「千早ふる」柳亭左ん坊/「牛ほめ」金原亭杏寿/「猫と金魚」古今亭文菊/ウクレレ漫談 ウクレレえいじ/「馬のす」柳亭左龍/「長短」古今亭菊之丞/紙切り 林家八楽/「宮戸川」三遊亭金馬/「一眼国」林家正蔵/中入り/襲名披露口上/漫才 風藤松原/「長島の満月」林家彦いち/「家見舞」入船亭扇遊/奇術 ダーク広和/「五月幟」柳亭市馬/ものまね 江戸家猫八

口上は下手から菊之丞、彦いち、猫八、扇遊、正蔵、市馬。司会の菊之丞師匠は弟子の雛菊が二ツ目に昇進したときに、よこはま動物園ズーラシアの招待券を頂いたそう。その理由は、ズーラシアのレッサーパンダの名前がヒナギクだからだと。年間80回は日本全国の動物園に足を運んでいる研究熱心な猫八さんと紹介した。

彦いち師匠は、兎に角動物に詳しい、詳しすぎると。ビルマホシガメとインドホシガメの区別がつく。鳴かない爬虫類の知識まで豊富だと絶賛した。高座はいつも全力投球で、アサダ二世先生とは対極にある芸風とも。仲間として一緒に研鑽していきたい、この人を悪く言う人はいません、もしいたら、私がゲンコツしますと笑わせた。

扇遊師匠は、シン・ゴジラ、シン・ウルトラマン、シン・仮面ライダー、そしてシン・猫八ですねと言って、兎に角真面目で、酒もほとんど飲まない、煙草は吸わない、博奕もやらない、女も興味がない、まるで46歳のときの私のようだと冗談を飛ばす。そして、俳句を披露。江戸家鳴く ウグイスめでたく 舞い上がり。

正蔵師匠は同じ寄席芸人の家に生まれた者同士、シンパシーを感じると言って、父親の背中を見て憧れて弟子入りしたと振り返る。そして、志ん朝師匠の「親父の真似をしていては駄目だ。自分の芸を磨きなさい」という言葉を引き合いに出し、そういう意味では今の猫八さんが末廣亭でアルパカの鳴き声をやっているのを見たときは衝撃だったと。鳴かないものでも鳴かせる、爬虫類のアナコンダを昨日は鳴いたので、きょうもやって!と頼んだら、「ヌー」と断られてしまいましたと笑わせた。

市馬師匠は、披露目が50日間あるので、健康面を心配したが、このように元気で何よりと言って、この芸は代わりがきかないから、先代を天国から呼んでこなきゃいけないとニコニコしながら語った。色物という言い方は、世の中では「上から目線」で、「一段下に見下す」ようなところがあるが、寄席の世界は違う、色物がなければ成立しない、大事な宝物だと讃えた。この人の芸は日々進化している、いつかは20年後、30年後には今の正楽さんのようなフワフワした存在になって、益々寄席を彩って、引っ張っていく存在になるだろうと期待した。

猫八先生の高座。冒頭、ウグイスを鳴く前にこんないい話が聞けた。父は何か他にやりたいことがあれば、(江戸家の芸人を)継がなくていいと言ってくれた。ただ、他の仕事をしていても、ウグイスだけは鳴けるようにしておいてくれと頼まれた。それが、江戸家が繋がっているという証だからと。

本物のウグイスの鳴き声は聴いたことがある人も多いと思うが、その姿を見た人は少ないのではないかと。藪の中に生息していて、見た目も地味だから目立たない。ウグイス色というのがあるけど、実際のウグイスは「カフェオレに大匙一杯の青汁を入れたような色」と表現していたのが面白かった。

派手な鳴き声で言うと、高知県の八色鳥(ヤイロチョウ)と言って、その鳴き声を披露。私は高知県の観光特使になっているんですと自慢した後、でも観光特使は沢山いて、何と505人!と笑わせた。

トノサマガエルの鳴き声を披露したあと、これは初代、つまり曽祖父が名人芸としていた芸だと教えてくれた。当時の新聞記事に、「江戸家猫八が田圃で鳴くとカエルが振り返る(フリカエル)」とあった。で、当代の猫八先生も田圃で実際に鳴いてみたら、それまで鳴いていたカエルたちが一斉に鳴き止んだ。そうです、静まりカエルです!(爆笑)

オオサンショウウオの鳴き声。子供たちに披露したら、大喜びだった。では、寄席のお客様に何が足りないか、それは「信じる気持ち」です。そして、イリオモテヤマネコとツシマヤマネコの鳴き分けをやって、これは「信じる気持ちの練習」です!

猫八先生が開発した工夫として、鳴き声を別のイメージで喩えるというのがある。アルパカは人の話を聞いているようで聞いていない人に、「ねえ、聞いてるの?」と訊いたときの返事の声。フクロテナガザルの叫び声は、「両足のふくらはぎが同時に攣ったとき」のオジサンの声。

鳴きまねだけでなく、話術によって笑いも取りながら構成する芸は、30分間という主任の高座を十分に果たせるものである。この披露目が終ると、また落語と落語の間に挟まる彩りの高座になってしまうのが惜しい。たまには、猫八主任興行というのが1年に1回でもあったらいいかもしれない、そう思わせる至芸である。

夜は上野広小路に移動して、立川談洲独演会に行きました。「猫と金魚」「大工調べ」「火事息子」の三席だった。

「猫と金魚」の旦那と番頭の会話が噛み合わない様子が非常に愉しい。金魚をあげなさいと言われ、猫に食わせたり、唐揚げにしたり。降ろしなさいと言われ、金魚を三枚に卸したり。でもって、この猫が実に狂暴で、番頭はじめ奉公人数人で襲っても、皆が引っ掛かれてしまって、お手上げというのも可笑しい。

「大工調べ」は棟梁が啖呵を切ったあとが面白い。与太郎に毒付けと棟梁は言うが、逆に啖呵の矛盾点を指摘されてしまう。大家さんのおかみさんも六兵衛さんが死んで独りになって寂しいかったのに、再婚しちゃあいけないの?芋を洗ったり、薪を割ったり、親切にしてあげるのがはいいことじゃないの?大体、大家さんは悪くないよ。店賃を払うのは当たり前で、オイラが悪いんだ。たかが800くらい、後でいいだろう、って違うと思うよ。これを聞いていた大家が私を置いていかないでくれ。800はいいから。道具箱も返すと言い出すのも可笑しい。

「火事息子」で最も重要な人物が母親というのも新しい。勘当された息子の藤三郎に再会すると、大喜び。念願の火消しになれたんだね、いい男っぷりだ、彫り物も綺麗で、粋でイナセだと褒め讃える。

一方の父親は意地を張っているが、それを母親が仲介に入って、父親が「よくもまあ」と叱っている口調の裏の愛情を翻訳して、藤三郎に伝えているのがユニークだ。父親は一貫して臥煙になったことを嘆き、こんな息子に育てた覚えはないと表面的には小言なのだが、それは愛情の裏返しであって、親としての変わらぬ息子への思いが伝わってくる。「親バカで何が悪い」という言葉が何よりの証拠だ。

また、直接息子に言えないために、小僧の定吉を呼び出し、定吉に言い聞かせる形で「質屋の心得」を間接的に藤三郎に説くのも、なるほどと思った。お客様が質に入れる品の価値というのは、その物質的価値だけでなく、その人がどういう事情で手放すのか、その背景も読み取って値段を付けることが大切なんだと。そこには、藤三郎がいつの日か臥煙をやめて我が家に戻ってきてくれないだろうか、という願望が籠っているように聴こえた。

前の記事

小ゑん落語ハンダ付け

次の記事

志の輔 最後のサンプラザ