三遊亭兼好 大江戸笑百科~奉行の巻~

内幸町ホールで「三遊亭兼好 大江戸笑百科~奉行の巻~」を開催しました。この独演会シリーズはテーマを毎回設定し、時代小説家の飯島一次さんをゲストにお迎えして、兼好師匠と対談して、普段落語で慣れ親しんでいる江戸風俗をちょっぴりアカデミックに紐解いてみようという趣旨で企画している。これまで遊郭、長屋、芝居と3回お届けしてきたが、今回は奉行をテーマにした。

「出来心」三遊亭けろよん/「三方一両損」三遊亭兼好/中入り/対談 三遊亭兼好×飯島一次/「小間物屋政談」三遊亭兼好

きょうの対談も興味深かった。まず、奉行というと、大岡越前守や遠山の金さんを思い浮かべる人も多いと思うが、それは町奉行であって、それ以外にも奉行職というのは色々あった。今の財務大臣に当たる勘定奉行、お寺や神社などを管轄する寺社奉行、そのほか遠国(おんごく)奉行といって、幕府の直轄地の責任者として、大坂町奉行、京都町奉行、長崎奉行などがあった。書物奉行というのもあって、今の国会図書館の館長さんみたいな仕事もあったというのが面白い。

今回はその町奉行について主に話していただいた。江戸の町の行政、治安、裁判などを差配する役割で、今でいうところの東京都知事、警視総監、最高裁判所長官を兼ねていたようなもので、それは非常に激務だったそうだ。そのため、便宜的に北町奉行、南町奉行と2人置いて、裁判に関しては一カ月交代で務めたという。

ただ、町奉行という名の通り、町人に関することだけを取り締まる仕事で、江戸城内や大名屋敷、寺や神社のことには関知しない。とは言っても、江戸の人口が100万人と言われたが、その半分の50万人は町人だったので、その取り締まりということであれば、非常に重要な職務だ。

1人の奉行の下に25騎の与力、120人の同心がいた。騎という人数の勘定の仕方は旗本においてされるものだそうだが、与力は旗本格、すなわち5000石の給金が支払われる旗本と同等の待遇だった。だが、身分は御家人で、将軍にはお目見得できなかった。これは八丁堀の七不思議の一つになっているそうである。

同心というと、十手を持って、着流しで町を見廻るイメージがあるが、その職務に当たるのは1割に過ぎず、あとの9割は奉行所に詰めて、いわば事務職をしていた。それだけ膨大な事務仕事があったわけで、北町、南町合わせてもたった24人しか見廻りしていなかった。

だから、同心の下の岡っ引き、御用聞き、目明しといった手先がいて町の監視をして、何か情報があると逐一同心に伝えたそうだ。ただ、これらの手先は同心が私的に雇っている人間で、ポケットマネーで小遣いを渡し、働いてもらっていたという。だから、こうした手先は博奕打ちの親分のような遊び人、ならず者が二足の草鞋を履いて務めていたのだそうだ。一応、同心の下に小者と呼ばれる正式な職員もいたが、手先としては数の上では圧倒的に私的に雇った岡っ引きや御用聞きが多く活動していた。

こうした町の取り締まりを担当する人々の象徴が十手。これも同心、小者といった正式な職員はお上から支給されたが、岡っ引きや御用聞きは私的な手先なので支給されず、自分で用意した私製の十手を持っていたのだそうだ。同心には十手に房が付いているが、それより下の手先には房が付いていないというのも、格式の違いなのだとか、

私たちがイメージする「御用だ!」の同心、岡っ引き、御用聞きといった人達は多分に時代劇の影響があると思うが、そうしたカッコイイ姿が創作されたのは大正時代以降のことである。岡本綺堂が「半七捕物帖」を書き、野村胡堂が「銭形平次捕物控」を書いて、彼らが活躍して町を守るというエンターテイメントが庶民に親しまれたのだろう。岡本綺堂や野村胡堂が岡っ引きや御用聞きをヒーローとして描いたことは、身近な娯楽として人気を博すことに大きく貢献しているのだなあと思った。

町奉行の代表選手と言えば、やはり大岡越前守だろう。実際、南町奉行を20年近く務めており、江戸の庶民にも慣れ親しんだ名前だったし、後には大名にまでなる異例の出世を遂げた人だ。ただ、町人の問題の多くは奉行所には回されず、町役人、町名主、町年寄といった人達の間で処理され、強盗などの凶悪犯罪のみを奉行所は取り扱った。町人の問題は原則、町人の間で解決しろ、ということだ。明治期に「大岡政談」が講談などで語り継がれているが、ほとんどがフィクションである。ただ、「徳川天一坊」で知られる将軍吉宗の御落胤を騙る天一坊事件は天一坊という名前だったかは不明だが、実際にあった事件だそうだ。

あとは遠山の金さん。この人は北町奉行を3年ほど務めたあと、大目付となり、再び南町奉行を8年ほど務めている。大岡越前守同様、任期が長かった町奉行が後の物語の主人公になったのではないかと。実際、遠山金四郎は天保の改革で水野忠邦が芝居小屋を取り潰したときに、芝居が庶民の娯楽として大切だと判断し、猿若町に芝居小屋を復活させたという功績がある。庶民の味方、ヒーローだったのだろう。ただ、桜吹雪の入れ墨や、裏長屋に住む遊び人と同一人物というのは全くのフィクションである(笑)。

佐々木信濃守は「佐々木政談」で有名であるが、この人は大坂町奉行を5年務めたあと、江戸安政年間に町奉行を務めたが、記録によればほんの数日だけだったそうだ。「佐々木政談」は大坂町奉行を前提に創作された上方落語で、それが江戸に移植され、江戸を舞台に書き換えられている。

実際の史実を正確に調べると、それまで落語や講談で慣れ親しんでいたイメージが崩れ、夢が壊されると思う方もいるかもしれないが、それはそれ、史実は史実、フィクションはフィクションと割り切って楽しめば、逆に2倍、3倍楽しめるのではないだろうか。少なくとも僕はそう思った。