渋谷らくご しゃべっちゃいなよ、そして三遊亭ごはんつぶ単独落語ライブ

配信で「渋谷らくご しゃべっちゃいなよ」を観ました。4人の噺家さんが新作ネタ卸しをした後に、レジェンド枠としてゲスト出演した師匠が自分の持ちネタを1席披露するのが、このところのパターンになっているが、今回のレジェンド枠は弁財亭和泉師匠。2016年渋谷らくご創作大賞受賞作「プロフェッショナル」(当時は三遊亭粋歌)を演じてくれたが、この噺は本当に泣ける。いやあ、4人の新作ネタ卸しも勿論良かったのだが、この「プロフェッショナル」の素晴らしさに改めて拍手を送りたい気持ちになった。

瀧川鯉白「電車のはじっこの席」

ものすごく共感できるなあ、と思った。精神の安定を保つために、電車の始発から“はじっこの席”を確保して座り、終点に着いても降りず、またそのまま出発を待って、次の終点へという往復を繰り返すという…。満員電車の中で自分だけゆったりとした気分を味わう優越感。それが要領の良くない自分にとっての唯一の居場所というのに頷く。だが、自分の前に譲るべき人物が立ったら、どうしようと疑心暗鬼になる気分もわかる。

春風一刀「恋する惑星」

惰性で付き合っている男女、だけど「俺にはこの女しかいない」「私にはこの男しかいない」とどこかでお互いに思いあっている様子が垣間見える。そんな二人には「銀座のイタリアン」と言って、サイゼリヤでご飯を食べるのが心地よい時間かもしれない。彼女が伊藤忠のイケメンと合コンして、その後デートに誘われて、書道展を観て、蟹を食べたとしても、それはそれでいいのだ。彼女は何気なく、部屋にゼクシィを置いているというのも良いではないか。

柳家さん花「十貝」

設定がユニークだ。モーゼにお願いして、イスラエルの民雄と民子が、攻め込んでくるエジプト軍から逃げていくいう…。海を割り、道ができる。そして、約束の地へ導いてくれる。でも、死んでいく魚たちを見殺しにしてしまうことに、民雄は少しばかり懸念があった。だが、やがて民雄と民子は所帯を持ち、男の子を出産。食べ物が必要だと、魚を捕まえにいく…。人間なんてそんなもんだ。

立川談洲「三枚舌」

メタ構造の落語。牢屋の中には、八五郎、弥彦、吉兵衛の3人しかいない。吉兵衛は元噺家で、あとの二人を落語の世界に誘おうとするが…。八五郎は「こんな牢の中、箸が転がっても面白い」と言っていたが、吉兵衛が繰り出すくだらない小咄の数々に腹が立ってきた。しかし、饅頭を食べる、蕎麦を手繰る、煙草を吸う、といった仕草に八五郎が段々魅せられてきて…。だが、その八五郎は吉兵衛の演じる八五郎であって、と思っていたら、牢の中の3人も落語の中の住人で…。結局、落語は想像する芸能という結論に落ち着く。画期的?な新作かも。

弁財亭和泉「プロフェッショナル」

冒頭、和泉師匠が「意識が高いと、意識高い系は違う」とおっしゃっていた言葉がとても印象に残った。製パン会社に入社した若林君は大学時代から自分でビジネスをするほどで、当然マーケティング志望。だが、入社早々の研修はコッペパンに唐揚げ2個を挟むという工場での単純作業だった…。

だが、その工場で働くおばちゃんたちから、本当のプロフェッショナルとは何か?を間接的に教わることになる。自分の立場とか、名誉とか、周囲の目とか、そんなものばかりを気にしていることに何の意味があるのか。コミュニケーション力こそ、仕事をしていく上で一番大切なことではないか。エンディング近く、スガシカオの「プロフェッショナル」のテーマがBGMで流れたときの若林君の姿に思わず涙してしまった。名作である。

夜はスタジオフォーで三遊亭ごはんつぶ単独落語ライブを観ました。僕は最近になって、ごはんつぶさんが気になってきたのであるが、それは新作落語を演じるごはんつぶさんであった。そして、今回初めて彼の独演会に足を運んだのであるが、ああこの人は、古典もしっかりやりたい人、しかもしっかりやれる人なのだということを肌で感じることができた。

誰がどうというわけではないが、新作の面白い人は古典も面白い。逆も然りで、古典が面白い人は新作にも長けている。一之輔師匠然り、三三師匠然り、白酒師匠然り。喬太郎師匠はもはやそれを超越していて、野球で言うところの二刀流、大谷翔平選手のような活躍ぶりである。ごはんつぶさんも、そういう噺家としての資質をお持ちであることがよく分かった。

一席目は新作で「しっと医」。ある男が風邪をひいて、久し振りにかかりつけ医を訪れる。聴診器を当てるためにシャツをめくると、お腹のあたりに縫った跡がある。なんでも、この半年あまり関西に出張していて、そのときに盲腸炎となり、手術をしたのだという。

このとき、医師は「わたしというかかりつけ医がありながら、他の医者にオペをさせたんですね!浮気したんですね!」と激しく嫉妬する。「でも、先生は内科医だから…」と言うも、聞く耳を持たない医師。内科医は執刀しないで、嫉妬する。うまいこと言ったもんだ。子どものように駄々をこねる医師が大変に可笑しい一席だった。

二席目は「あくび指南」。八五郎が女の師匠目当てに、あくび指南所を訪ねるのは、一之輔師匠と同じ型だ。実際には最初に出てきたのは師匠のおかみさんで、ガッカリするわけだが、夏のあくびを伝授されると、これは素晴らしい!と目覚め、真似したくなる八五郎の心境の変化も可笑しい。不器用ながらも頑張る八五郎のあくびの稽古に愉しさがあるのが良かった。

中入りを挟んで三席目は「粗忽長屋」。浅草雷門で行き倒れと出会う兄貴分は思い込みの激しい粗忽だと思うが、お前は死んでいるよ!と言われる熊さんは粗忽というより、自分に自信がなくて、他人の意見に左右されてしまうお人好しのようだ。兄貴分に連れられて、雷門の行き倒れ現場に到着すると、世話役の人に「あなたは生きている。この人は死んでいる。違うでしょ?」と説得されると頷くが、兄貴分に「お前は死んでいるんだ。これがお前の亡骸だ」と言われると、それもそうかなあと思ってしまう。

両者に挟まって、自分に自信の持てない熊さんの困惑を、ごはんつぶさんはたっぷりと描いていた。己というものをしっかりと持てないと、世の中を上手に渡れない。他人の意見に耳を傾けるのは大事だが、最後に判断するのは、自分なのだから、しっかりと自覚を持って生きていかなきゃいけない。普段聴いている古典落語「粗忽長屋」よりも深いメッセージを感じたのは考えすぎだろうか。