シブヤデマタアイマショウ、そして三三・左龍の会

シアターコクーンで「シブヤデマタアイマショウ」を観ました。渋谷の東急百貨店が閉店した。そして、東急文化村もオーチャードホールを除いて、4月9日いっぱいで休館する。再びオープンするのは2027年ということだ。ということで、シアターコクーンのグランドフィナーレとして、芸術監督の松尾スズキ氏の作・演出による“大人の歌謡祭”「シブヤデ~」を楽しんだ。

チラシに松尾スズキ氏はこう寄せている。

20年以上前のことです。大人計画を初めて見に来た蜷川幸雄さんと楽屋前でお会いしたとき、蜷川さんは、「うんうん」というような表情をしていらっしゃいました。それは「コクーンをまかせた、松尾くん」という意味合いだったと思う。もちろんそれは、今後のコクーン、という意味ではなく、来年あたりのコクーン、ということで、わたしが初めて書き下ろした『キレイ』を観た蜷川さんは、がぜん立腹だったとか。

その頃わたしは、コクーンの演出席にいながら、コクーン的なるものと必死で抗っていたわけですから。当然のリアクションです。

しかし、気がつけば、20年以上新作や再演をコクーンでやり続け、さらに気がつけば、芸術監督までやっておる次第で、コクーン的なるものと抗い続けていたはずのものが、しれっとコクーン内部にいるという状況に、天国の蜷川さんは納得してくださったのかどうか…。

ともあれ、就任した途端、コロナ禍となり、それもあけぬまま、休館の憂き目。まだ、なんの痕跡も残せぬままであります。『シブヤデマタアイマショウ』、この言葉は、未練でしょうか。開き直りでしょうか。蜷川さんへの懺悔でしょうか。

せめて長いお別れの前の一夜の祭りだけは、バカみたいに明るく成し遂げたいと思っております。

松尾スズキ

ユーモア、ウィット、アイロニー、パロディ…。松尾スズキイズムという言葉があれば、そう呼びたい、“大人の歌謡祭”だった。コクーンを、渋谷を、そして演劇界、さらに言うと日本に今起こっている世の中のありとあらゆる現象を笑いに変換し、音楽に乗せて、極上のミュージカルに仕立てた手腕はお見事としか言いようがない。そして、フィナーレに相応しい感動もあった。素晴らしい2時間45分だった。

夜は内幸町に移動して、三三・左龍の会に行きました。柳家三三師匠が「浜野矩随」、柳亭左龍師匠が「小言念仏」をネタ卸しした。

「千早ふる」柳亭左ん坊/「宮戸川」柳家三三/「小言念仏」柳亭左龍/中入り/「猫と金魚」柳亭左龍/「浜野矩随」柳家三三

左龍師匠の「小言念仏」、さぞご苦労されたと思う。三三師匠の師匠である小三治師匠の十八番だから、聴く側はどうしてもそのイメージが強くて、その呪縛を解くのに腐心されたのではないか。赤ん坊にバァーとやったあと、首を傾げて顔を真っ赤にして座り込んだ赤ん坊を見て、「おーい!何かおかしいぞぉ」と叫んだあと、「ほーら、やっちゃった」。それを自分は何もアクションせず、ただ扇子で床を叩いて「ナムアミダ、ナムアミダ」とお経をリズミカルに唱えるだけという可笑しさを表現するには、もっともっと年季がいるのだと思う。

御御御付けの実は何にしますか、と問われ、芋は駄目だと言って、泥鰌屋が通るから、泥鰌にしようと提案する段も同様だ。ばあさんの声では小さくて、泥鰌屋に気がついてもらえず、思わず「どじょやぁ!」と叫ぶところ、そして「ナムアミダア!」に戻るところの絶妙なタイミングの可笑しさも難しい。買った泥鰌を鍋に入れ、火にかけたら泥鰌の元気がなくなって、ほくそ笑む。信心とは裏返しの殺生がこの噺の最も面白いところで、それを上手に表現するために、今後何遍も何遍も高座に掛けていくことになるだろう。楽しみである。

三三師匠の「浜野矩随」を聴いていて、矩随が開眼したのは、若狭屋のお陰ではないかという気がしてならない。矩随が野駈けの馬を彫ってきたが、足が三本だった。理由を聞いてみると、居眠りをして、一本切り落としたという。矩随が彫り物を持っていけば、若狭屋は何でも一分で買い取ってくれるから、彫り損じでもいいと思ったのか。なぜ、もう一回、彫り直そうと思わなかったのか。

酒が残っていた勢いで、言葉が過ぎて、「死んでしまえ」と言ったのは、確かに若狭屋の落ち度だが、彫り物に向き合う姿勢を矩随に教えてくれたのも若狭屋だ。自分を籠めろ、魂の籠った彫り物を彫れ。母親が形見に観音様を彫っておくれと頼んだことによって、命懸けで彫る=魂を籠める、ということに初めて矩随は気づいたわけだ。

みかん箱13箱をいっぱいにするほど、若狭屋は我慢して矩随の駄作を一分で買い取りつづけていた辛抱に感心する。いつか、矩随が魂を籠めた彫り物をするときがくるまで、ずっと待っていたわけだ。どこか見どころがあると思っていたのだろう。だが、矩随は開眼しなかった。だから、少々手荒だったかもしれないが、「死んでしまえ」と5両渡すという荒療治は正解だったのだと思う。

見る目がある商人が職人を育てる。そんなメッセージがこの噺にはあるような気がした。そんな三三師匠の高座だった。