京山幸枝若独演会、そして「落語の仮面」第4話
木馬亭で京山幸枝若独演会に行きました。僕が幸枝若師匠の生の高座に初めて接したのは、去年12月、「ゆきのすみれ大感謝祭」のスペシャルゲストとして出演されたときだ。「左甚五郎 掛川宿」を聴いて、その素晴らしさに惚れこんだ。そして、令和4年度の芸術選奨文部科学大臣賞をお獲りになった。そんな幸枝若節が聴きたくて、おっとり刀で出掛けた。
「弁慶 五条橋」京山幸太・一風亭初月/「出世一番」京山幸枝若・一風亭初月/中入り/「武蔵屋新蔵」京山幸枝若・一風亭初月
幸枝若師匠の一席目は、第九代横綱の秀の山雷五郎の出世譚だ。強いだけでは横綱になれない、人情がわかる男でなければ本当の力士とは言えない、そんなメッセージがこめられた一席だ。情け相撲では、谷風が講談でよく掛かるが、この浪曲に出てくる岩見潟(秀の山の前名)のバージョンも心にグッとくる読み物だと思った。
9勝を挙げて、明日の千秋楽の鷲ヶ浜戦に勝てば、岩見潟は大関になれる。タニマチの伊勢屋金兵衛が、さらに玉千代と夫婦にしてやると応援してくれた。だが、そんな岩見潟のところに鷲ヶ浜の母である老婆が「明日負けると大名のお抱えを外され、路頭に迷う」と懇願に来た。恋と情けとの板挟み。人情に厚い岩見潟は「喜んで負けましょう」と引き受ける。
そして、千秋楽。いざ土俵に上がると、岩見潟の「力士としての本分は真剣に勝負することではないか」という考えが脳裏をよぎる。だが、瞼の裏には老婆の顔が浮かぶ。誓いを破るわけにはいかない…。そう思った瞬間、岩見潟は鷲ヶ浜にすくい投げで敗れた。
だが、力士の本分を果たせなかったと、岩見潟は刀で髷を切って、力士を辞めようと決意する。そこへ、親方が現われ、「事情は分かっている。全て老婆から聞いた。短気を起こすな。その優しい気性こそ大切だ。わしは勝負に勝つより嬉しい」と岩見潟を慰留する。
タニマチの伊勢屋金兵衛も事情を理解し、この一つの黒星は九つの白星にも勝ると讃える。お陰で、鷲ヶ浜は大名のお抱えを継続できただけでなく、年寄株も手に入れることができたという。
親方は「大関の地位がどうした。人情を捨てて勝ったとて、何の意味があろうか。血と涙があってこその、名力士だ」と、岩見潟を褒めた。そして、末には日下開山、横綱という最高位にまで登りつめたという出世譚が心に沁みた。
二席目は、武蔵屋新蔵の渡世人としての美学、男伊達の世界の素晴らしさに心を奪われた。病気で床に伏せている小天狗留吉と、その女房を助けるために、留吉の親分から貰ったと嘘をついて、自分の懐にあった50両をポン!と渡すところに、痺れた。嘘も方便どころか、美しすぎる嘘ではないだろうか。
そもそもは留吉の女房が病気になって、薬代に困っていたために、留吉が親分である水野弥太郎の金で博奕をして薬代を儲けようとして、スッカラカンになってしまったことがいけない。なぜ、素直に親分に事情を話して、薬代を融通してもらうことをしなかったのか。留吉の短慮が発端だ。
だが、親分の水野弥太郎も世間から堅気に腰が低いと評判が高いのなら、留吉のしくじりを許してやり、女房の病気を治してやりなよと、薬代を融通してあげることができなかったのか。可愛い子分だと思っていた留吉に裏切られたと思い、恨みに思ったのだろうか。
事情を訊いて、新蔵が弥太郎の家に直談判に行ったときも、おかみさんは「留吉にやる金など、ドブに捨ててもない。一文もやる気はない」と冷たい対応で、新蔵の顔を立てる意味と言って、二分金一枚を渡したというのも、留吉のことをまだ許していないということだろう。
カッコイイのは、新蔵だ。「こんな端金いらねえ!」と投げ返し、「ヤクザの道が知りたけりゃぁ、俺の爪の垢でも飲むか、足の裏でも舐めろ」と、胸のすく啖呵を切って、去って行く。そして、留吉に「親分は優しかったよ。真心を無駄にするなよ」と嘘を言って、50両を弥太郎から貰った体裁にして、渡す。強いばかりがヤクザじゃない、義もあり、情もあってこそ、これぞ本当の男伊達!
面目を潰された弥太郎が新蔵の後を追いかけてきて、いざ勝負!となったとき、留吉は恩のある(と思った)弥太郎と、義のある新蔵のどちらに味方をするのか。さあ、決着は?というところで、「丁度時間となりましたぁ」。義理と人情の浪花節の世界をたっぷりと堪能した一席だった。
帰宅後、配信で弁財亭和泉の挑戦!「落語の仮面」全十話、第4話「テレビ仮面舞踏会」を観ました。
三遊亭白鳥師匠の作品は本当にわかりやすい。寄席から干されていた三遊亭花がNHK新人落語大賞を受賞したことで、一遍に世間の注目を浴び、「笑点」の座布団運びのレギュラーとして人気者になるという展開が、単純明快。CM出演のオファーも相次ぎ、地方の落語会では20分高座で「18分は笑点の漫談、1分の小咄、1分はラーメンの宣伝」をして、信じられないような額のギャラがもらえるという…。
寄席に行くと、これまで花のことを嫌っていた若手噺家たちが、急に媚びを売るようになって、たかるという構図も漫画の世界だ。花も良かれと思って、毎日のように楽屋連中を引き連れて、高級な寿司屋や焼肉屋に行ってご馳走し、どんちゃん騒ぎ。第三者的には“調子に乗っている”ように見える。
そこに落とし穴が!「フライデー」には「深夜の御乱心。お年寄りを突き飛ばす」とすっぱ抜かれ、「週刊文春」には「マクラ営業」(意味が違う!)と叩かれ、ネットニュースに「父親が座布団賭博」と書かれ、テレビの世界の光と闇を思い知らされる。
師匠の月影先生には「チヤホヤされて、新作落語を1本も書いていない!」と指摘され、破門を言い渡されそうになる。路頭に迷った花が公園を彷徨っていると、あるホームレスの老人に出会う。愛称は権爺。
権爺の故郷はテレビはNHKしか映らないので、花を知っている人もいないから、そこへ一緒に行かないかと誘われる。そこは偶然にも、月影先生が口演の権利を持っている「夢幻桜」の作者、林田馬太郎の出身地で、そのモデルとなった桜の谷があり、お姫様伝説が残っているという…。
落語界で袋叩きにあった花が再び自分を取り戻し、創作の才能の華を咲かすことができるきっかけを掴むことができるのか。三遊亭花の落語ロードは、いったいどのような道標を示されることになるのか。和泉師匠の巧みな話芸に導かれ、どんどん楽しみになってきた。