劇団☆新感線「ミナト町純情オセロ」、そして柳家さん喬「雪の瀬川」

劇団☆新感線43周年興行・春公演「ミナト町純情オセロ」~月がとっても慕情篇~を観ました。演出を担当しているいのうえひでのり氏は今回でシェイクスピア関連作品が10作目だそうだ。僕は2018年に「メタルマクベス」をdisc1からdisc3まで3作品を観ているが、その根底に流れているのは、原作へのリスペクトを失わず、独自の美学で面白さやかっこよさを追求していることだ。

今作は、2011年の「港町純情オセロ」と同じ、青木豪氏の脚色だが、「再演ではない。改訂版だ。初演と言っていいほどの改訂だ」とプログラムの中で書いている。11年は橋本じゅん、石原さとみの組み合わせだったが、今回は三宅健、松井玲奈の組み合わせ。このキャストからイメージを膨らませたという。

STORYの冒頭を抜粋。

復興とともに新たな混沌が生まれつつあった1950年代の日本。ヤクザの間でも、血で血を洗いシノギを削る争いの末、新たな勢力がのし上がりつつあった!その中の一つが、関西の港町・神部をシマに戦後の混乱の中で勢力を拡大した沙鷗組である。その中心にはブラジルの血を引く若頭筆頭・亜牟蘭オセロ(三宅健)がいた。

図抜けた腕っぷしと度胸を武器に、若頭補佐の汐見丈(寺西拓人)とシマを広げてきたオセロ。しかし、四国の新進ヤクザ・観音組の者に組長を射殺された際、村西医院の娘・モナ(松井玲奈)と出会う。彼女に惚れたオセロは自分にとっての“幸せ”について考えを巡らせ、沙鷗組を抜けてモナと夫婦になろうと決める…。

先代組長の未亡人アイ子(高田聖子)、市議会議員・三ノ宮一郎(栗根まこと)らも巻き込んで、人の清さと醜さが入り混じった愛憎劇が展開され、その渦は周囲を吞み込んで大きくなっていく。そして、取り返しがつかない悲劇が待っている…。そんな3時間40分という時間の長さを感じさせない、ハラハラドキドキ、愛とスペクタクルに満ちた人間ドラマだ。

演出のいのうえひでのり氏の「ごあいさつ」がこの演劇の魅力の全てを言い尽くしている。

コロナ禍となって3年の月日が経ちました。この期間、僕たちは、ある意味意識的に歌や踊りを多用した、明るい楽しいお芝居を極力心がけてきました。しかし、「もうそろそろいいんじゃないか」「普通に、フラットに色々なお芝居やってもいいんじゃないか」、そんな気持ちも芽生えてきました。もっともっとオシバイオシバイしたお芝居を。物語る演劇を。人と人の感情のうねりが物語を動かす人間ドラマを。それらは決して明るく楽しい結末ばかりではない。辛く悲しい終着点の悲劇もある。そういうお芝居も受け入れられる時がやって来たのかな?と(願望も含め)

時代を戦前から戦後の復興気運が高まる50年代中盤に移しました。高度経済成長期へ向かう日本が、明日に向かって顔を上げたそんな時代。血生臭くて暑苦しい、でもギラギラと元気だったあの時代。そんな時代に僕はどうしてもロマンを感じてしまう。そして、このお芝居は大バッドエンドの悲劇ですが、それがとてもロマンティックに思えるのです。

いのうえひでのり氏は1960年生まれ、僕も64年生まれなので、そのあたりの思いはビシビシと伝わってきた。昭和という時代の空気を語り継ぐという意味でも貴重な作品だと思った。

夜は清澄白河に移動して、日本文化研究会「深川でさん喬師匠の噺を聴く会」に行きました。寄席愛好家が集うこの研究会は、過去に「ちきり伊勢屋」「牡丹燈籠」「塩原多助一代記」など、寄席や一般の落語会では聴くことが難しい長講を、柳家さん喬師匠に披露してもらう企画を続けている。今回の「雪の瀬川」も3回目だそうだ。

僕の記録を辿ってみたら、2017年の鈴本演芸場「さん喬・権太楼特選集」、2016年の「よみらくご」で40~50分サイズで聴いてはいるが、完全通し口演となると、2014年の雲光院における「さん喬師匠の噺を聴く会」で聴いたのが一番新しく、もう9年前になる。今回は仲入りを挟んで、前半45分、後半40分の計85分の口演であった。

この噺の最大の魅力は、下総屋の若旦那・鶴次郎と全盛の花魁・松葉屋瀬川との間に本当の純愛があったということだろう。本ばかり読んでいて、吉原なんてとんでもない、と思っていた鶴次郎が、番頭や幇間の華山に導かれるようにして、花柳界に足を踏み入れ、ついには吉原で瀬川太夫と運命の出会いを果たす。

その最初の出会いで、鶴次郎は瀬川の美しさに心を奪われ、以来、毎夜通うようになり、「堅い」と心配していた親から逆に勘当されてしまう。それでも、瀬川に会いたいという強い気持ちは変わらず、いっそ死んでしまおうと吾妻橋で川面を眺めていたときに、昔の奉公人だった忠蔵に見つかる。

下総屋を駆け落ち同然で出て行った忠蔵・お勝の夫婦は恩義があるから、鶴次郎を預かる。苦しい暮らしをしながらも、鶴次郎を居候させるという親切心に感謝するしかない。鶴次郎は金の工面をしてくれないか、と瀬川太夫に手紙を書く。普通だったら、勘当されて一文無しになった若旦那など見向きもしなくなるのが吉原の通例だが、瀬川は違った。二人は本当に「一緒になろう」と約束した仲だったのだ。素晴らしい。

瀬川は遣いの者を通じて、20両と手紙を届ける。その手紙は、「雨の降る日にあなたに会いに行きます」という内容だ。鶴次郎は「瀬川が来る!」と喜ぶが、忠蔵はそれがご法度である足抜けを意味することを懸念する。だが、鶴次郎の無邪気さに何も言えない。僕が忠蔵だったら、やはり「諦めた方がいい」と忠告するだろう。

年を越して、正月を迎え、随分と寒くなって、雪がちらつく晩。鶴次郎は「来るよね。瀬川は来る。来ると言っておくれよ」と忠蔵に話しかける。暮れ六つが過ぎ、夜が更ける。と、頭巾を被って、腰に大小を挟んだ侍が訪ねてくる。だが、それは変装した瀬川太夫だった。黒髪に白い肌、緋縮緬の襦袢という姿が美しさを表わしている。

「鶴次郎さんには辛い思いをさせてしまった。切ない思いをさせてしまった。すまない」と謝る瀬川。鶴次郎は「命を賭けて来てくれたんだね。寒くはないか?」と気遣う。雪が瀬川の着物に積もっては、解ける。やがて、重なる二人。そこに忠蔵が掻巻を掛けてやる。

翌朝、晴れて二人は夫婦になった。昔むかしの物語です、と締めた。お囃子の太田その師匠の三味線と唄が最後に効果的に入って、この噺をグッと引き立てた。