神田松鯉「殿中 松の廊下」、歌舞伎座「廓文章 吉田屋」、そして「吉笑三題噺五日間」千秋楽
国立演芸場三月中席四日目に行きました。きょうは3月14日、殿中松の廊下刃傷の日であり、浅野内匠頭の切腹の日である。講談師にとっては、物日。ということで、主任の神田松鯉先生は赤穂義士本伝の「殿中松の廊下」をお読みになった。
「寄合酒」瀧川はち水鯉/「よめとてちん」三遊亭遊かり/「堪忍袋」三遊亭遊雀/漫談 新山真理/「写真の仇討」桂小南/中入り/「天保六花撰 玉子の強請り」神田伯山/「金明竹」春風亭柳橋/音曲 桂小すみ/「赤穂義士本伝 殿中松の廊下」神田松鯉
松鯉先生に赤穂藩四十七士の討ち入りの発端を丁寧に読んでいただき、とてもスッキリと頭に入った。京都の帝の勅使饗応役に浅野内匠頭、院使饗応役に伊達左京亮が命じられ、その指南役を吉良上野之介が勤めた。その際の吉良と浅野との間に、何があったのかがカギとなる。史実としては不確かではあるが、講談という読み物にするに当たって、色々と入れ事はしているのだと思う。だが、それはエンターテインメントとして当然のことで、だから赤穂義士伝は面白いのだと思う。
吉良に対する饗応役二人の対応が違った。伊達は吉良に加賀絹10反、狩野探幽の龍虎の双幅、黄金100枚を贈答した。これに対し、浅野は鰹節一連(10本)に白扇1本のみ。これは、何も浅野がケチだったわけではなく、吉良のような高貴な家柄に対しては、札束で頬を叩くようなことはかえって失礼で、寧ろ、饗応の役目が無事に済んだらたんまりと御礼をしようという判断だった。
だが、これが吉良には気に入らなかった。伊達は憂い奴だ。浅野は無礼な奴だ、と思ってしまった。そして、無礼な奴には痛い目に遭わせてやると考えた。畳替えをしなくてはいけないところを、しなくていいと言った。山海珍味でもてなすところを、精進料理にしなさいと教えた。また、饗応に当たる際の身なりについても相手に失礼になるような情報を教えた。
恥をかかされた浅野の腹は煮えくり返っている。だが、饗応当日、浅野は吉良に笑顔で挨拶した。すると、吉良は鼻でフン!と笑った。ハナデフン忠臣蔵というくらいですからな、という松鯉先生のギャグが可笑しかった。斬りかかる浅野。それを通りかかった梶川与惣兵衛が止めた。浅野を羽交い絞めにした。「殿中でござる。お控えあれ」と止める梶川に対し、浅野は「武士の情けでござる」と抵抗する。
刀を抜いたことで、御家は断絶、その身は切腹という不文律。梶川は止めたことで、500石の加増をされた。抱きとめた、その片腕250石。吉良には何のお咎めもなく、浅野内匠頭だけが、田村邸にて切腹をした。風さそふ花よりもなほ我はまた春の名残をいかにとやせん。浅野の悔しさが伝わってくる高座だった。
夜は歌舞伎座に移動して、三月大歌舞伎第三部を観ました。「廓文章 吉田屋」は、藤屋伊左衛門に片岡愛之助、扇屋夕霧に坂東玉三郎の組み合わせだ。平成25年5月に歌舞伎座で伊左衛門を仁左衛門、夕霧を玉三郎の組み合わせがあるが、愛之助は叔父に当たる仁左衛門から教わったという。また、平成24年の新春浅草歌舞伎で愛之助が、壱太郎と組んでチャレンジしている。
夕霧に入れ揚げて放蕩の末、七百貫(現在の億単位の金だそう)という借金を抱えて勘当の身分になった伊左衛門が、どうしても夕霧に会いたくて、粗末な紙衣姿で大坂新町の吉田屋を訪れる。
夕霧も伊左衛門に会えなくなった気鬱もあるのか、病に伏せっていると聞いて心配したのだ。吉田屋の主人喜左衛門(中村鴈次郎)と女房おきさ(上村吉弥)も、伊左衛門に同情して、夕霧に会わせてあげようとする気遣いは、以前の羽振りの良かった伊左衛門を知っているからだろう。
夕霧の病は快方に向かい、座敷に出ているという。その座敷はどこかと訊き、伊左衛門は座敷の中を窺い、他の客と一緒にいることに腹を立て、子どものように拗ねて、一旦は帰ろうとするところなど、可愛い。
だが、喜左衛門夫婦の心遣いを思い、部屋に戻って、炬燵に入り、寝入る伊左衛門。そこへ夕霧が現われ、伊左衛門を起こすが、伊左衛門は夕霧への恨み言を言って寝たふりをする。これも可愛い。やがて起きるが、他の客の相手をしていた夕霧のことを「萬歳傾城」と言って罵るのも、愛情の裏返しか。
これに対し、夕霧は伊左衛門に会えぬ苦しみの末、病み衰えた身の上をかき口説く。そこに、これは仁左衛門の型のみの演出だそうだが、幇間が現われ、二人の間を取り持つ。わたしゃ癪持ち、お前癇癪持ち、間に入る太鼓持ち。二人の間に本来の愛が蘇る様は何とも美しい絵巻のようだ。
そして、伊左衛門の勘当が揺れたとの知らせが入る。何ともご都合主義だけれど、“つっころばし”のいい男と絶世の美女の組み合わせに何でも許せちゃう芝居なのだった。
帰宅後、配信で「渋谷らくご 吉笑三題噺五日間」千秋楽を観ました。吉笑さんにとって過酷な5日間の最終日である。お題の中で「エブエブ」を恥ずかしながら存じ上げなかった。今年のアカデミー賞で7部門を受賞した映画「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」の略称だそうだ。吉笑さんも知らなくて、急遽インターネットで調べたとか。擬音として処理することもできたと思うが、この映画の芯を抽出して、落語に転化する心意気が凄いと思った。
立川吉笑「えゔえゔ」(ガツガツ、エブエブ、愛読書)
世の中が歪んでしまい、誰もがいつ死ぬかわからない世界になってしまった。何とかならないか?八五郎と熊五郎が会話する。熊さんが読んでいた映画批評で「エブエブ」が紹介されていた。これがヒントにならないか?
キーワードは“マルチバース”。私たちの住む宇宙以外に観測することのできない別の宇宙が存在しているという概念、という科学用語だそうだ。映画ではある女中さんが、このマルチバースを操る特殊な才能を持っていて、このどうしようもない世界を何とかしようとする。いわば、救世主のような存在になるという。
そういえば…、と八五郎が言う。「俺、マルチバース持っているよ」。隠居のところに行く度、やかんの名前の由来を教えてもらったり、つるの名前の由来を訊いたり、子どもの褒め方を教わったり、妹が殿様のところに行って侍になったり…。いや、それは八五郎がマルチバースではなくて、何でも答えてくれる隠居がマルチバースなんじゃないか?
そこで、隠居のところに「この世界の救い方を教えてください」と尋ねに行こうとするが、嫁を紹介されたり、奉加帳を作るように勧められたり、千早ふるの訳を教えてもらったり…、ことごとく失敗。ようやく、101回目の訪問で“世界の救い方”を伝授される。
それは、大宇宙の外に出て、それを取り囲んでいる落語界に飛び出し、そこの座布団の歪みを元に戻せばいいという…。八五郎は何とか落語界に飛び出すが、彼にはある特性があることを隠居は忘れていた…。
もはや落語というよりは、哲学みたいな噺になっていて、それがまた吉笑さんらしくて、新作落語の新たな境地を切り拓いた、と言っても過言ではない。そんな新作落語の大いなる可能性を、この三題噺挑戦を通して感じた5日間だった。吉笑さん、お疲れ様でした!