神田松鯉「無筆の出世」、兼好人形町噺し問屋、そして「吉笑三題噺五日間」四日目

国立演芸場三月中席三日目に行きました。今席は主任が人間国宝の神田松鯉先生ということで、10日間のうち、半分の5日分のチケットを購入した。松鯉先生が主任を勤めるのは、夏に浅草と末廣で怪談特集、冬に末廣で義士伝特集が毎年組まれているが、それ以外には行ったことがないので、レパートリーの多い松鯉先生の読み物を沢山聴けると思うとゾクゾクする。

「子ほめ」桂南海/「悋気の独楽」桂南楽/「転失気」三遊亭遊馬/漫談 新山真理/「親子酒」春風亭柳橋/中入り/「水戸黄門記 火吹き竹の諫め」神田阿久鯉/「ふぐ鍋」桂小南/音曲 桂小すみ/「無筆の出世」神田松鯉

松鯉先生、「仇を恩で返す」に男の美学があると思った。考えてみれば、佐々与左衛門が向井将監に宛てた手紙は実に罪深い。手紙を届ける中間の治助を試し斬りにして良いという内容は、あまりに酷い。それが、治助が渡し船に乗るときに文箱を落としたことで、手紙を濡らしてしまい、乾かしているときに、乗り合わせた日延上人が読んだことが、治助を助けることになるのだから運命というのは面白い。

持ち前の治助の実直さに、神が味方したのだろう。そして、出会った人に恵まれた。手紙の内容を読んでくれ、その上で自分の寺の寺男として引き取ってくれた日延上人もそうだが、碁仲間の夏目左内との出会いも大きい。夏目が中間に取り立ててくれた。そこで治助は「自分が無筆であったことの悔しさ」をバネにした。その因縁の手紙を手本に手習いの稽古をしているところを、夏目が見つけ、その熱心さに打たれ、治助に読み書き算盤、さらに学問一通りを教える。

元々吸収力のある人材だったのだろう。治助はメキメキと頭角を現し、夏目の後見で御家人になる。侍という身分になれたのだ。勘定奉行右筆だった夏目の補佐的な仕事を任され、松山伊予守治助を名乗る。夏目の早逝後も、治助の仕事ぶりは目覚ましく、その能力が認められ、最終的には勘定奉行にまで昇進するのだ。

さて、罪作りの主である佐々は鳴かず飛ばずの侍のままだ。伊予守はその佐々を招く。床の間にある掛け軸は、あの因縁の手紙が表装してあった。「この手紙に見覚えは?」と伊予守は佐々に問う。このとき初めて、佐々は勘定奉行があのときの治助であることを知る。だが、伊予守は「現在の立場があるのは、この手紙のお陰」と恨むどころか、感謝する。何と人間的に出来た男なのだろう。その後も不遇だった佐々と交流を続けたという。まさに、「仇を恩で返す」。素晴らしい!

夜は日本橋に移動して、「三遊亭兼好 人形町噺し問屋」に行きました。「花見酒」と「紺屋高尾」の二席。「花見酒」は、熊さんと兄貴分がお釣り用の10銭をやったりとったりして、商売用の樽の中の酒を全部飲んでしまうという、いかにも落語的な世界を、軽妙洒脱に演じて、兼好師匠の本領発揮というところ。

「紺屋高尾」は、あまり人情噺っぽくせずに、マイルドな風味にしているのが、兼好師匠らしい。高尾太夫が「次はいつ来てくんなます?」と問うと、久蔵は「三年後に、また10両という金を拵えたら来ます」と正直に答える。自分は流山のお大尽ではなく、紺屋の職人なのだ、と真っ青に染まった手を見せて、告白する。そして、「嘘でもいいから、三年経ったら会いましょうと言ってください」と訴える。それに対して高尾はあっさりと「来年3月15日に年季が明けます。あちきを女房にしてくんなますか」とだけ言う。久蔵の正直に惚れたとか、そういうことはクドクド言わない。そこが潔くて、良いと思った。

あと、神田御玉ヶ池の医者、竹之内蘭石先生が良いアクセントになっていた。久蔵が患ったときに、ひょっこり現れ、脈を取っただけで「お前さんは三浦屋の高尾太夫に恋煩いしているな」と、ピタリと当てる。親方がビックリすると、久蔵が高尾の錦絵をジッと見つめていた、と種明かしするのが愉しい。また、高尾がやって来ると言っていた3月15日に先生が訪ねてきて、「来ましたか?」。「来るわけないだろう!」と親方に言われて、帰ろうとしたら、後ろから高尾太夫が現われて、店中がパニック!という演出も面白かった。

帰宅して、配信で「渋谷らくご 吉笑三題噺五日間」四日目を観ました。きょうは、柳家わさび師匠も吉笑さんと同じお題で創作するという趣向で、とても興味深かった。同じ三題噺でも噺家さん各々の個性があって、それが新作の魅力であることがよく判る。どちらも面白かった。

柳家わさび「おヨダレ弁当」(サンドイッチ、梅干し、サヨナラショー)

宝塚ファンの父親が、私立女子中学校に入学した娘に、お弁当をちゃんと食べてもらおうと努力する噺。小学生時代は父親の手作り弁当を美味しいと言って食べていたのに、急に食べなくなってしまって心配なお父さん。

何とか食欲を刺激する弁当を作れないか。梅干しを使わずに、梅干しを連想させる弁当作戦を妻と二人で立てるが…。実は娘は父親の作る田舎っぽい弁当が大好きだったが、同級生は皆、サンドイッチを食べていて、恥ずかしかったという…。思春期にありがちな乙女心と、娘を元気にしたい親心が入り混じった素敵な物語になった。

立川吉笑「ホケキョー」(サンドイッチ、梅干し、サヨナラショー)

サヨナラショーは宝塚の言葉だが、そこを敢えて人生のサヨナラショー=告別式と捉え、噺の軸にしたのが吉笑さんらしい。

葬儀社の社長、マサキは告別式をパフォーマンスショウにしようというコンセプトで経営していて、自らはイベンターだと思っている。遺影はアー写、香典はチャージ、数珠はリストバンドと呼べと新入社員に教えるのが可笑しい。

そう考えるようになったのは、看取りの仕事のバイトをしていたときに、心電図を見ていて、「人それぞれに形が違う。これは映像作品だ」と感じた。告別式は亡くなった人の人生最後の大仕事だと捉えるようになったという…。

マサキは幼い頃に両親を亡くし、血の繋がっていない“ばあちゃん”に育てられた。すごく愛情をもって育ててくれたのに、ばあちゃんが亡くなるときにちゃんとしたお別れが出来なくて、心残りがあるという。もっと「親」孝行すれば良かった。それが今の仕事に繋がっていると。

ばあちゃんはいつも、弁当が梅干しのおにぎりだった。それも手作りの梅干し。庭にじいちゃんの形見の梅の木が生えていて、そこから収穫して、漬けていた。その木は枯れてしまったが、今も思い出すという。

新入社員が社長のマサキに、実家に行ってみましょうと提案する。それを受けたマサキは30年ぶりに故郷に帰る。風景がほとんど変わっていた。だが、実家は“あのときのまま”残されていた。近所の人たちが、ばあちゃんの葬式にも来なかったマサキがいつか帰ってくるだろうと、守ってくれていたのだ。

そして枯れてしまったはずの梅の木が生えている。近所の人がばあちゃんの梅干しの壺を土に埋め、その種から生えてきたのだ。そして、ばあちゃんの漬けた梅干しが数個残っているから、食べろという。口にすると、とても塩辛かったが、確かにばあちゃんの味だった…。

ロマンティックというのだろうか、ノスタルジーというのだろうか、ちょっと人情噺っぽい、とても良い噺に仕上がっていたと思った。