本山葵 柳家わさび独演会

国立演芸場で「本山葵 柳家わさび独演会」を開催しました。ゲストに柳家喬太郎師匠をお迎えし、「宮戸川」通しをわさび師匠~喬太郎師匠でリレーで演じていただきました。また、「古典と新作」をテーマに対談して頂き、大変勉強になりました。出演者、そしてお客様にただただ感謝です。

「金明竹」春風亭貫いち/「宮戸川」(上)柳家わさび/「宮戸川」(下)柳家喬太郎/中入り/対談 柳家わさび×柳家喬太郎/「厩火事」柳家わさび

「宮戸川」は(上)で、わさび師匠が軽妙な高座を魅せてくれた。締め出しを食った半七とお花の追いかけっこ。何でも飲み込んでしまう霊岸島の叔父さん。寝ぼけてお仏壇の位牌を持ち出したり、昔の馴れ初めを喋って興奮してしまったりする叔母さん。そして二階の若い二人…。

(下)は一転して、シリアスに。正覚坊の亀が「一度だけいい女を抱いたことがある」と厭らしく独白する件。そして、それを聞いて、それまでは冷静で穏やかだった半七が「これでカラリと様子が知れた」と芝居台詞になり、金山はる師匠の三味線と貫いちさんの附け打ちが入って…。

一人で通しで演じるのとは違った、二人の個性がそれぞれに光り、リレー落語という演出にした効果が出ていたように思う。

そして、中入り後の対談は大変興味深い内容になった。

わさび師匠はよくお客様から「古典で行くの?新作で行くの?」と訊かれるが、古典と新作の間に垣根を作りたくない、喬太郎師匠はどのようにお考えか?と切り込んだ。

喬太郎師匠も、若い頃、それはいっぱい言われたという。今は新作に対して、お客様の理解があるし、違和感がない時代になってきている。だが、喬太郎師匠の若い頃はまだその垣根があって、昇太師匠の頃はもっとあって、さらに言うと円丈師匠たちの頃はもっともっとあった。大昔は「古典ができないから、新作をやっている」みたいな変なことを言うお客様もいた。

「私は両方やりたいから、さん喬に入門した」と喬太郎師匠は言う。今はお客様の中に多様性があって、「私は古典が好き」「私は新作が好き」と多種多様な時代になった。昔は「新作が好きな奴は落語ファンじゃない!」と言う人もいたという。

前座の内は基礎が大事だから、古典を勉強した。一部の特別な勉強会を除いて新作はやらなかった。それが二ツ目になって正式に新作をやり始めて、さん喬師匠のファンに「弟子が新作をやること」に否定的な意見を言う人がいた。針の筵みたいなところもあった。

だから、新作をやる先輩たちも物凄い勢いで闘っていかないといけなかった。気迫がないといけなかった。だから、喬太郎師匠は「古典と新作、両方とも半分半分、しかも両方とも100%の力で取り組んだ。活動としては50%ではなく、100%の力で半分半分やりたかった」。中には「あいつは古典も新作もやって」と否定的な人もいた。さん喬師匠も、円丈師匠も心配して、親心から、「どちらかにしないと、中途半端になっちゃうよ」と言ってくれたこともあった。

わさび師匠も「それはよく聞く」、「どっちかにしろ」と言われた噺家も知っていると言う。そして、古典か?新作か?という区分けではなく、噺によって向き不向きを考えた方がいいのではないかとおっしゃった。わさび師匠の場合、古典では「明烏」「死神」、新作では「純情日記~横浜編」(喬太郎師匠作品)などが評判がいいし、自分でも向いていると思うから演じていると言う。

喬太郎師匠は「宮戸川」を通しで持っているが、これは先代圓歌師匠からお許しを頂いて演っているネタだそうだ。圓歌独演会の録音のCDを聴き、「全編通しで30分、江戸前であっさり演っているけど、これがいいんだわ」。それでお稽古をお願いしたら、「やっていいよ」と許可をもらった。「中沢家の人々」に代表される新作派のイメージだが、「品川心中」「坊主の遊び」など古典のネタもお持ちだった。

同じく亡くなった川柳師匠も「声質が古典に向いていないから」と新作を中心におやりになっていたが、喬太郎師匠は川柳師匠から「初音の鼓」を習っているし、「湯屋番」「お祭り佐七」「首屋」などをお持ちだった。主軸をどっちに置くかというのはあると思うけど、わさび師匠には「気にしないでいいと思うよ」と温かい言葉を投げていた。

落語の描く空気感を出せるか、という部分で、「自分の声はこの時代の噺が合っている」というのはあるのではないかという、わさび師匠の質問に答える形で喬太郎師匠が例に挙げたのは、小満ん師匠。あの方は江戸でも、明治でも、大正でも出せる。うっとりしちゃう、と。また、明治大正の匂いがプンプンするのは雲助師匠だとも。そして、喬太郎師匠は「俺は江戸の風は吹いていないけど、80年代の風はビュービュー吹いている」と。

「古典落語」という言葉は戦後に生まれた言葉だ。先代三平師匠、先代圓歌師匠、もっと遡るとジープに轢かれて亡くなった先代歌笑師匠、「綴り方狂室」の痴楽師匠…、こういったわかりやすいものを大衆は求めた。その一方で、筋モノの昔ながらの落語を演ることをちゃんと啓蒙しなくちゃいけないと、「古典落語こそが王道である」みたいな価値観が生まれたと。だけど、三代目金馬師匠は評論家の評価は低かった。なぜなら、わかりやすいから。でも、大衆は金馬を支持した。そういうところに、古典と新作の対立構図の根っこがあった。

昭和の名人と並び称される志ん生、文楽はプレーヤーとして、古典新作の意識がない。文楽師匠の十八番「癇癪」は益田太郎冠者作の明治の新作。「宗論」だって、今は仏教とキリスト教の対立になっているけど、大昔は仏教の中の宗派の争いであり、それを面白く変えている。志ん生、文楽、圓生、小さん、三木助…、昭和の名人と言われた人の口演と、明治の速記を比べたら、全然違う。時代によって受けるものが違うから、その時代のお客様に受けるものに変えていく必要があったのだと喬太郎師匠は説く。

(喬太郎師匠が発掘した)「擬宝珠」は、初代円遊師匠の速記から掘り起こしたが、随分と変えたそう。それは時代に合わないから。なぜなら、皆芸人だから、その時に受けるものを演る。

圓朝師匠だって、やっぱり芸人で、好きなお茶の蘊蓄を延々と語っている。「にゅう」も「熱海土産温泉利書」も、その部分は相当削ったそうだ。それは私(喬太郎師匠)がウルトラマンを延々と落語にするのと同じ。やれば受ける。自分が喋りたい。つまり、芸人なんだ。それは、昔の名人も偉人もそうだった。

喬太郎師匠のメッセージは、わさび師匠への応援歌にも聞こえたし、また落語ファンにとっても非常に為になる対談であった。