三遊亭兼好・三遊亭萬橘二人会
渋谷道玄坂寄席「三遊亭兼好・三遊亭萬橘二人会」に行きました。この落語会のプロデューサーである広瀬和生さんがプログラムの中で、こう書いている。
六代目圓楽が亡くなったことで再び(圓生の)名跡が宙に浮いたが、圓楽逝去に際し、三遊亭好楽は「うちの一門(五代目圓楽一門会)には優秀な人材がいる。ぜひ圓生はうちから出したい」と語った。その「優秀な人材」として好楽が真っ先に名を挙げたのが兼好、次いで萬橘だ。名跡の行方はさておき、兼好が圓楽党のエース、萬橘が圓楽党のホープであるのは事実。二人の個性を存分に楽しんでいただきたい。
兼好師匠は「元犬」と「三方一両損」、萬橘師匠が「長屋の花見」と「廿四孝」。二人の個性を大いに楽しんだ。
兼好師匠の「元犬」の可愛さが堪らない。人懐っこい白犬だったから、八幡様のご利益で人間になっても、その可愛さは変わらないということだろう。上総屋が隠居のところに連れて行って、身の上を訊くと、この“忠四郎”なる青年は「相当不幸で複雑な家庭」に育ったことが次々と判り、隠居が「悪いことを訊いてすまない」といちいち謝るところ、隠居の優しさが出ていて好きだ。
「三方一両損」は、江戸っ子の描き方がいい。三両を落とした神田堅大工町の熊五郎と、三両を拾った神田白壁町の金太郎の意地の張り合いもそうだが、それぞれの大家も喧嘩が好きで、意地っ張りというのが可笑しい。双方ともに負けずにお奉行に願書を出すのだから。で、その願書を面白がる大岡越前守が興味津々なのが、落語たる所以だろう。元は講釈ネタだが、江戸っ子を前面に押し出して、笑いに変換されるところに、落語の面白さがあるだと思う。
萬橘師匠の「長屋の花見」は変わっている。大家に花見に誘われた長屋連中が先に花見の場所取りをして待っているところから始まる。で、大家が持ってきたのが何と、お酒ならぬ“おちゃけ”と蒲鉾代わりの大根、玉子焼き代わりの沢庵。現場でビックリするという仕掛けだ。与太郎が隣町の連中も傍で花見をしているから、少しお酒を分けて貰いにいったら、この一升瓶の中も“おちゃけ”だったという…。
「廿四孝」は萬橘師匠のアレンジが冴えわたる。孝行の威徳によって天の感ずるところ。大家が八五郎に親孝行の有難さを説くのだが、ことごとく八五郎が茶化すのが面白い。中国は四千年の歴史があるのに、たった24人しか親孝行がいなかったの?貧乏と婆はつながっているのだね。親孝行をすると、金が儲かり、女にもてて、酒が飲める!八五郎は本当は理解しているのに、すっとぼけてバカなことを言っているように見えるのが、萬橘落語の凄いところだ。